物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

トレモロ

2017-02-23 17:54:27 | 日記

先日、市民コンサートでギターの演奏を聞いた。朴葵姫という韓国出身の女性ギタリストの演奏会である。そのときにトレモロという演奏法があることを知った。

タレガという人の「アルハンブラの思い出」という曲がこのトレモロを使って演奏される曲であった。親指とか人差し指とかの動きとかを見ていたら出てこないと思われる音が聞こえる。まるでさざ波がおし寄せるみたいな奇妙な感覚をもった。もちろん奇妙とはいえすばらしい音楽である。

いま日本語の辞書を引いてみたら、「音楽で同一音の急速度の反復。ふるえるように聞こえる。震音、tremolo(イタリア語)」とあった。ギターでの音楽の演奏をいままでに一度も聞いたことがないなんてことはないが、このトレモロははじめてであった。

不思議な感覚を呼び起こさせる演奏法である。

フランス語でtrembler(トランブレ)は震えるという動詞である。こちらの語はいまフランス語の辞典を引いて知った語であるが、tremblement de terre(トランブルマン ドゥ テール)とはフランス語で地震のことだと知っていた。

トレモロの響きに寄せる夢をみる  徹


今日は書くことがない

2017-02-23 12:22:33 | 日記

と書いたが、これは「『この白壁に落書きするな』と落書きする」みたいなことか。

弁証法というのは現象が常に変化して流動的で固定的でないという見方だと若い学生のころに学んだ。ところがもしそうだとするとそういう弁証法の固定的な考え方は弁証法に矛盾にしているのではないかという指摘がありうる。

もっともこれはある日本人のドイツ語言語学者からあるときに聞いた話ではこういう法則というか、ものの見方には上部の決まりがあって、例えば弁証法の場合だが、弁証法自身に弁証法の考え方とか見方は適用しないという約束事があるのだと聞いた。

自分に言及するというときには法則にもある程度あやふやというかあいまいになるということがある。

よく言われるものの言い方に『「クレタ人はみなうそつきだと」あるクレタ人が言った』というのがある。

もしか「クレタ人はみなうそつきだと」命題が正しいとすると、『「クレタ人はみなうそつきだと」あるクレタ人が言った』全体の命題からはあるクレタ人は嘘をついていることになるので、「クレタ人はうそつきだ」ということが否定されるので矛盾が生じる。

もしか「クレタ人はみなうそつきだと」という命題が正しくないとすると『「クレタ人はみなうそつきだと」あるクレタ人が言った』という全体の命題は正しいので、はじめの「クレタ人はみなうそつきだと」という命題が正しくないとする仮定が成り立たなくなり、矛盾する。

こういう自己言及型の言及はいつも議論を起こすようである。

上のことわざというか。例はどうも(-1)*(-1)=1となることをなんらかの文章で表しただけのような気がする。否定の否定がどうなるとか昔学んだ弁証法の一例にあったかもしれない。