念力と称する力が存在すると主張する人がいたりする。この場合にこの念力を存在しないなどと論理で論破するのは難しい。
しかし、これは哲学をする人の間ではよく知られたことかもしれないが、実践というレベルでその存在を考えると物事がよくわかる。
これはもし念力が存在するのならば、その念力とかで電動モーターを動かして物を生産すればいい。念力とやらで常時電動モーターを動かしてエネルギー不要の工場をつくってものを生産すればよい。
ところが念力の存在を主張する人にはそういうことができないのである。そういう観点から考えるとやはり念力の存在は眉唾である。というか存在しない。存在するかしないかの基準はそういう実践的な基準をクリアしない限り多くの人々の了解は得られない。
天然ガスとか石油とかそれをを使って発電された電力だとかが物質的な基盤が実は必要なのである。そういうことを教えてくれたのは物理学者の武谷三男であり、この観点は『物理学入門』上(岩波新書)に書かれていた。
ところがこういう簡単なことを書いた本を私は他のところではみたことがない。