にはエネルギー保存則だとか運動量の保存則があるが、それらは時間の並進についての法則の不変性だとか、空間の並進の不変性から得られるというのが、解析力学を学んだ人の常識であろう。
方程式が与えられたときにその方程式をみたす保存量はいくつあるのか。それを決めるのはなにかということなどいままで考えたことがなかった。
私がいかにぼんやりとした人間であるかが分かって恥ずかしいしだいであるが、それが私の現実であるからしかたがない。
ということで1回も読んだことがないランダウ・リフシッツの『力学』(東京図書)を書棚からとり出してきたが、まだそれを読んではいない。近日中に読むかどうかも定かではないが、全く読んだこともなかった本を読む動機が出てきたことだけは確かである。
方程式が与えられたときにその方程式をみたす保存量はいくつあるのか。それを決めるのはなにかということなどいままで考えたことがなかった。
私がいかにぼんやりとした人間であるかが分かって恥ずかしいしだいであるが、それが私の現実であるからしかたがない。
ということで1回も読んだことがないランダウ・リフシッツの『力学』(東京図書)を書棚からとり出してきたが、まだそれを読んではいない。近日中に読むかどうかも定かではないが、全く読んだこともなかった本を読む動機が出てきたことだけは確かである。