物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

近代数学史の成立(解析篇)

2016-07-18 12:11:23 | 日記
という東京書籍の本を金曜日に図書館で借りてきた。著者は高瀬正仁氏である。彼はヨーロッパの数学者の多くの著作の翻訳をされている方である。

私も海鳴社発行の『オイラーの無限解析』『オイラーの解析幾何』をもっている。特に『オイラーの解析幾何』の方は定価が1万円近かったのではないかと思う。これは第2巻はあまり売れないだろうということで定価が高く設定されていると海鳴社の辻さんからそう聞いた。

実はこの二つの書は前から手に入れたいと思っていたが、手を出せなかったので、私が『四元数の発見』を書いたときにその印税の一部で払って購入したものである。

ところで『近代数学史の成立』(解析編)(東京図書)は’おおあたり’の数学史書であり、数学の知識の乏しい私にはよくわからないながらに、印象的な書である。すべて読んだわけではないが、高瀬さんが具象的な数学をお好みであり、抽象的な数学は学ぶ喜びがあまりないと言われているのが特に興味深かった。

こういう数学史なら興味がもてそうである。自分で読みこまれた文献をもとに自分なりの近代数学史を書くのに彼ほど適任の人はいないだろう。ご自分の好みといっては失礼だろうが、この歴史観にしたがった数学のテクストを書いてほしいと切に願っている。

ただ、これは東京図書の要望だろうが、縦書きの数学史の書であり、これはやはり横書きの書にすべきであろう。出版社の見識が問われるところである。

高瀬は数学の本質は抽象性にあるのではなく、潜んでいる本質を具象のモノの中に見つけることにあるという。本質とは何かを追求する姿勢が気持ちがいいし、やはり本物の数学者という感じがする。日本の学問の世界では彼を正しく評価できるかといわれれば、そうでもないかもしれないが、少しづつ評価されているのではなかろうか。

金曜日の夕方

2016-07-18 11:46:08 | 日記
は県立の図書館に本を借りに行った。

これは遠山 啓さんの『数学の広場』1の「数の生い立ち」を途中までしか読んでいなかったので、借用期間の更新が必要だったのと他の本を返却して新しい本を借りるためであった。それでその日の土曜日にようやく上記の本を読み終えたのだが、一個所すぐにわからないところがあった。

特に注釈もなく、新しい復刊版の編者も注をつけていなかった。それでも私にわからなかったのだ。土曜日の昼ころに図を見たら、三角形の相似比を使えば、難なく望みの三角形の一辺の長さがわかった。私が編者ならば、ちょっと注をつけただろうが、復刊版の編者にも難しくはなかったらしい。もっとも復刊版の編者は中学校や高校で数学を教えていた先生であるから、難しくはないのは当然であろうか。

先日、数学ガールの秘密ノートのシリーズがわかりやすいと書いたが、この遠山さんの『数学の広場』も数学教育的には優れたシリーズである。あまり難しいことは言わないで、淡々と書いてあるが、なかなかその含意は深い。

今日は3連休の最終日

2016-07-18 10:59:38 | 日記
ということで仕事場に出てきた。昨日と一昨日は珍しくお休みにした。昨日は日曜なのでお休みはいつものごとくだが、一昨日は土曜だったので、普通はお休みにしないのだが、妻とマネキネマの若尾文子の映画祭の一つの映画を見たのだ。

婚期という映画でコメディである。若尾文子扮する、ある資産家の次女が若尾文子であるが、もう両親は亡くなっていて、この次女は29歳で婚期を逃しつつある。

コメディーなので、傍からみれば、お笑いなのであるが、当人たちには深刻な事態ではある。まあ、最近ならば女性が30歳半ばでも婚期を逃したとかいうことは言われないだろうが、これはなにせ1961年の映画である。

私はあまり大映の映画を見たことがなかったので、あまり若尾文子にもスクリーン上でお目にかかったことがなかった。

また昨日はながえ孝子を支える集いに参加した。この集まりに予想を超える人数が集まったらしく、主催者はうれしい驚きをあげていた。ながえ孝子さんのご挨拶もあったが、今回の選挙で惜敗をしたことで次こそはという気がまわりの人たちにも満ち溢れていた。

ご本人がどう判断されるかはわからないが、当選した候補との差は約8000票と僅差であった。これは愛媛の保守的な風土を考えた時に驚くべきであろう。