自分の研究結果をできるだけ早く発表するのは科学者にとっては常識であろう。だが、昔はそうではなかった。
ニュ―トンは若いときに自分のした研究結果をかなり晩年にならないと発表しなかったし、ガウスも数学日記を書いていたが、その中には新しい結果もあったのに死後になってそれが他人によって発表されたとかいう。
ガリレイにしても本当は彼のした研究で後世からみて一番価値のある物体の自然落下の研究はローマ法王庁から自宅蟄居を命じられていた晩年になってようやく書いたことを最近知った。いわゆる「科学対話」と言われている著作を書いたのは「天文対話」よりも後だったという。
それでもニュートンは微積分学と力学の創成者として有名だし、別に問題はあまり起こらなかった。いや実はいくつかの先取権の問題はあったのだが、なんとかクリアしたという。
20数歳のときの仕事でニュートンは結果として後世に名を遺したが、それからの余生(?)は権力と富を求めたのではないかとか最近通俗書の科学史の本で読んだ。
ニュ―トンは若いときに自分のした研究結果をかなり晩年にならないと発表しなかったし、ガウスも数学日記を書いていたが、その中には新しい結果もあったのに死後になってそれが他人によって発表されたとかいう。
ガリレイにしても本当は彼のした研究で後世からみて一番価値のある物体の自然落下の研究はローマ法王庁から自宅蟄居を命じられていた晩年になってようやく書いたことを最近知った。いわゆる「科学対話」と言われている著作を書いたのは「天文対話」よりも後だったという。
それでもニュートンは微積分学と力学の創成者として有名だし、別に問題はあまり起こらなかった。いや実はいくつかの先取権の問題はあったのだが、なんとかクリアしたという。
20数歳のときの仕事でニュートンは結果として後世に名を遺したが、それからの余生(?)は権力と富を求めたのではないかとか最近通俗書の科学史の本で読んだ。