物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

このところ入力だけで

2021-01-20 12:24:24 | 本と雑誌
このところ入力だけで出力をしていない。

変な言い方だが、つまりは本を読んだり、インターネットからとったコピーを読んだりすることに専念していて、それをまとめた文章、すなわち、エッセイを書くという作業をあまりしていない。

私はそれなりに自分に入力して、それがある程度自分の中にたまると出力したくなるという性質をもっているのだ。

以前に、大学の同僚だった方は、「ある疑問に取りつかれて、それの解決を目指すのだが、それが自分にわかるとそれをまとめて論文にするという気が起こらないのです」という方がおられた。

要するに、自分が分かったという段階で、もう満足してしまうのだという。そういう方もおられるのだということをその方と話す機会があったときにはじめて知った。

その方は知的には優れた方なのだが、ちょっとこういう人は研究者としては損をする。私などは自分の知ったことを人に知ってもらいたいという気が強いほうだと思う。これはあまり珍しい見解を自分がもったのでなくても。

だから、あることが他の方にも知られていることかどうかは、あまり関係がない。

認知症の対策に外国語の学習は?

2021-01-19 17:36:46 | 本と雑誌
認知症の対策に外国語の学習はどうだろうか。

最近、わたしの兄妹の家族に認知症らしき症状を呈するものが現れた。認知症はその予防も進行を遅らせる方法もあまりよくはわかっていない。

将来において、いずれはこういう病気のかからない、またはかかっても治癒する時代が来るのだろうが、それは現在ではないのは確かである。

私は外国語の学習に関心があるので、それが役に立たないかと思っている。しかし、これも人それぞれであるから、なかなか単に外国語を学習したらいいという話でもないのかもしれない。

サッカー・プレイイヤーの名言

2021-01-19 11:19:38 | 本と雑誌
NHKのEテレの「旅するドイツ語」の昨夜の放送で日本人プレイヤーの長谷部誠さんの名言が出ていた。

Ich bin Fussballprofi.  (イッヒ ビン フスバールプロフィ)
 私はサッカーのプロです。
Fussballprofi heisst, man muss f"ur Fussball alles geben.
(フスバルプロフィ ハイスト、マン ムス フュア フスバル アッレス ゲーベン)
 サッカーのプロだということは、サッカーのためにすべてを捧げなければなり
 ません。
Es gibt kein Geheimnis.    (エス ギープト カイネ ゲハイムニス)
 秘密はありません。

                                              Makoto  HASEBE(長谷部 誠)

講師の草本晶先生が長谷部さんのファンだとのことです。

いつもなにか考えているのだが

2021-01-18 12:32:39 | 本と雑誌
いつもなにか考えているのだが、それがきちんと頭に明確になることはその中のごく一部である。たとえば、このブログのテーマだが、それについても考えており、朝食後に妻との話がその話題となることが多い。

それにもかかわらずもっといろいろなことをおよそ同時に考えているらしい。geodesyという英語を最近知ったのだが、日本語では測地学という。

測地学がどういう学問なのかはあまりよくは知らない。これは最近、球面三角法に関心があるので、その球面三角法が応用される学問分野としての測地学に関心をもちはじめた。

わかりやすい球面三角法の解説を書きたいと思いながら、それをまったくはたせていない。

その前に、今週の土曜日の雑談会での話を簡単な説明の文章にまとめなければならない。



ガウスの定理とストークスの定理の証明

2021-01-16 13:05:21 | 数学
さきほど大街道の明倫館書店を覗いてきた。そこでノマドなんとかという会社の方が書いた物理数学の本をちょっと立ち読みというか、立ち見してきた。

この本のガウスの定理とストークスの定理の証明は普通の説明ではあるが、わかりやすいものであった。

こういうわかりやすい本がたくさんあるにもにもかかわらず、私はどうしてこの2つの定理の証明にいつもひっかかりを感じているのだろうと考えながら、帰ってきた。

一つはこれらの定理が微積分学の基本定理の自然な一般化であるという見解が多くの本で書かれているにもかかわらず、それを示すような説明がないことが一つの理由である。実はこのことはほとんどのこれらの定理の説明に暗黙で使われているのだ。ただ、それを明示的に説明した書はあまりない。実はつながりがあるのだが、そのつながりを明示されていないからだろう。

つぎに、ガウスの定理とストークスの定理は曲面上の微分積分学の定理だということをきちんと示した証明はあまり多くはないことであろう。これはそういう証明を書くと証明が長くなる。それでそういうきちんとした証明はした本はあるのだが、直観が働きにくくなる。

もう一つの問題は微分形式を導入して、ガウスの定理とストークスの定理を証明したいという数学者からの欲求であろうか。これは多くの理論物理学者もそうであるかもしれない。

微分形式までいくとガウスの定理とストークスの定理も一つの定理の単なる例と言うことになろう。


いつも気が多くて

2021-01-15 13:53:19 | 本と雑誌
いつも気が多くて一つのことに集中できない。これは研究者としては重大な欠陥であろう。

せっかく球面三角法の現代的な導出について目途がついてきたのに、今日はまた四元数のことが気にかかる。

それとかベクトル解析の重要な定理である、ストークスの定理とガウスの定理の証明法が気にかかる。

体力がないのだが、それだけでもないようだ。ちょっと一日か二日あることに集中すると他のことに気がとられる。

球面三角法の現代的な導出

2021-01-15 11:27:35 | 数学
まだ完全にわかっているわけではないが、球面三角法の現代的な導出法がすこしづつわかってきている。

これはもちろん私にとってという意味である。専門家にとってという意味ではない。以前にインターネットからとってきてプリントしていたコピーを少し読んでいる。

もっともたぶん一番たどり着きにくいのは球面三角法の発見法的な導出であろう。

『四元数の発見』の第11章の「四元数の広がり」で球面三角法の定理の導出の方法として

1.発見法的に導く
2.現代的に導く
3.平面三角法を用いて導く
4.四元数を用いて導く

の4つの導出法をレヴューしたいと自分の願望を述べたが、2-4の導出法はそれぞれどこかにすでに記述されているはずだ。いま学んでいるのは2の「現代的に導く」である。

だが、1の「発見法的に導く」はそういう観点をもっている人が世界全体をみてもどれくらいいるのだろうか。

もっとも不勉強な私はTodhunterの球面三角法のテクストをインターネットでダウンロードしてもっているが、それをまだ開いて読んだことはない。

球面三角法と欲求不満

2021-01-14 12:11:34 | 本と雑誌
平面三角法を私たちはよく知っているが、球面三角法をあまりよくは知っていない。

これは私だけのことかもしれないが、いやたぶん私一人ではないだろう。天文学を専攻している人とか船を動かして、航海をしている人には昔はこの球面三角法は必須の知識であった。

それは海の真ん中で今、自分がどこにいるかを知ることが必要不可欠な知識とか技術であったからである。

いまではGPSの出現でそういう苦労はしなくてもいいのだろうが、それでも船の航海士はいまでもその知識は背景知識として知っているだろう。

平面三角法をつかって球面三角法を理解するのがほとんどだろうと推察するが、数学史の本を読むと平面三角法よりも球面三角法の方が先に発達したという。

ところが数学史の本でもそのあたりを詳しく書いてくれている書はあまりないようでもある。

座標系の回転で球面三角法の公式を導いたあるサイトのコピーを読んでほぼ理解したが、それは球面三角法の公式が与えられたときにそれが正しい公式であることの証明にはなっているとしてもそれらが歴史上で初めての発見の仕方を教えてはくれない。そこに大いに不満を感じている。

こうしていつも私の欲求不満はなかなか解消されない。

天文計算の本で

2021-01-13 12:27:36 | 本と雑誌
天文計算の本のコラムで見たのだが、計算者は誤りをおかさないことは皆無だという。上手な計算者とは誤りを早く見つけて、それを正せる人だという。これは多分正しいだろう(注)。

このコラムによれば、計算をすることは誤りをすることだという。これはなかなかencouraging(励まされる)なコメントである。

そういえば、ある四元数の本でいくつかの等式が載せてあり、これを用いて計算をチェックせよとは書いてなかったが、そういうつもりでこれらの等式を載せたらしいことが推察された。

また、これは別のことだが、数学の専攻の学生よりも私たち物理の専攻の学生が数式の計算という点では達者だという印象を学生時代に持っていた。

もっともその中の物理の学生としては、私のような計算下手な学生もいたことを付言しておきたいが。

(注)高校の英語で学んだことわざに

To err is human, to forgive is divine.

というのがあった。「人間は過ちする存在であり、許すのは神性(神?)」とでもいうのだろうか。

また「神様は積分をなさらない」というアインシュタインだかの言もある。積分などという理に勝ったことをするのは人間だからであり、神様は積分などしなくてもすべて物が分かっているはずだというのであろう。

予約でも

2021-01-13 11:45:55 | 本と雑誌
予約でも時間の予約と空間の予約とで言葉違うことを最近知った。

これはNHKのボキャブライダーだったかで放送されているのを最近聞いたのが、誰かと会う約束をしているときはappointmentを使い、レストランとか劇場とか汽車の席の予約にはreservationを使うという。

そういえば、ドイツ語でも人との会う約束ではeinen Termin habenという。レストランとかの席の予約だとeinen Platz reservierenというから、確かに言葉がちがっているのだが、それを今まで意識したことがなかった。

Terminとは医師との診察時間の予約とか弁護士との会う約束とかに使う。会社の人と会うときでも誰それさんに会いたいのですが、というとたぶんHaben Sie mit Herrn H einenTermin ?(Hさんと会う約束をされていますか)とでも聞かれるであろうか。 

フランス語なら、avoir  un rendez-vous avec qn(ランデブー)というはずだ。ランデーブーというと日本語の感じでは恋人と会う秘密の密会のような感じがするが、そういうロマンティックな意味よりも普通の会う約束である。

フランス語の特徴

2021-01-12 10:02:07 | 本と雑誌
これはフランス語に限ることではないのだろうが、私の気づいている特徴を上げておこう。

一つは形容詞は原則として、名詞の後ろにおくということである。英語でもドイツ語でも形容詞は名詞の前におくので、形容詞が原則として名詞の後ろにおくというのはラテン語族がゲルマン語族とは異なる一つの特徴であろう。

さらに、もし英語で「君を愛する」と言うとすると、これはI love youであろう。ドイツ語だってIch liebe dichで君、または、あなたは動詞liebenとかloveの後ろに来る。だからフランス語のときもそうかというとそうではない。

この文句はよく知られたものであるから、多くの人が知っているだろうが、Je t'aime (ジュテ-ムまたはシュテームと発音する)という。これはイタリア語やスペイン語でも同じであろう。ロシア語でもそうだったかもしれない。

私はスペイン語は学んだことがないが。形容詞が修飾する名詞の性と数によって変わるのはフランス語だけではなく、ドイツ語でもそうであるから、別にびっくりすることはなかろう。

形容詞の位置は原則として名詞の後ろにおくと言ったが、例外もある。それは慣用としてよく使われる形容詞のいくつかは名詞の前に来るものがある。

これはpetitとかgrandとかbonとかbeauとかの慣用的によく使われる形容詞である。un petit garconだとかun grand hommeとかである。Quelle belle vue !などという風に使われる。

フランス語を学び始めたときには英語からのずれはあまり大きくは感じられなかった。それくらい私にはドイツ語と英語のギャップは大きく感じられた。

フランス語で難しいのは動詞だと言われ、それについてはそうだと思う。直接法の単純過去は今でもあまりなじみがない。

x ^{2}=-1の四元数の解

2021-01-11 16:15:20 | 数学
x ^{2}=-1の四元数の解が無数にあることを『四元数の発見』(海鳴社)で示したが、他の示し方があることをブルーバックス『数の世界』で知った。

それでこれの二つを文章にまとめていたら、幾何学的にも表せることに気がついた。

それで先ほどメモをつくったが、その図の描き方がよくわからない。ちょっと考えてみる必要がある(注)。

それで、さきほど球面三角法を説明した図を出してきて見てみたりしたが、うまく描けそうでもあり、描けなさそうでもある。これはやはり試行錯誤で図を描いてみるしかないのかもしれない。

上のテーマとは関係があまりないが、x^{2}=-1の解はxが実数の範囲なら、解はないが、複素数ならば +i と -i との2つあり、四元数の範囲なら無限にあるという。このことをまったく知らなかったとは言えないが、あまり意識はしなかったことである。

(注)先日考えていたことはx^{2}=-1を描くこととしてはどうも一部しか描けないことに気がついた。全部を描こうとするとx^{2}+y^{2}+z^{2}=1を描くしかなさそうである。

もっともこの球を描いたのでは実数部とのつながりが描けないという欠点がある。その欠点を補うという意味が昨日考えていた図では実数部との、つながりが描けるという利点がある思っている。

しかし、こちらの方法では全体像が描けないという欠点があるのはいかんともしがたい。

フランス語の語尾は

2021-01-11 11:16:32 | 外国語
フランス語の語尾は発音しないことが多い。たとえば、形容詞の大きいを意味する grand はグランであり、グランドではない。もちろんこの形容詞の女性形のgrande はグランドとなる。

もちろん、この場合には語尾の e は発音されていない。ところがいくつかの子音で発音されるものがある。

autocar(オトキャール)とか car(カール)とか par(パール)の語末の r も発音される。

前置詞の avec(アヴェック)の c とか、形容詞の neuf(ヌフ)とか疑問代名詞の quel(ケル)とかである。普通の場合にはフランス語の子音の語尾は発音されないされないことが多いので、注意深いという意味の英語carefulと覚えなさいと言われる。このcarefulの中にc, r,  f,  lが含まれているからである。

(2021.6.10付記) フランス語でc, r,  f,  lという語尾は発音されることが多い。

計算力と数学

2021-01-11 10:45:59 | 数学
最近の数学はあまり数式の計算とはかかわりのないことが多いかもしれない。

それで思い出したのだが、どこかで読んだことがあることに数学教育協議会の会長をされていた遠山啓先生は在学していた東京帝国大学数学科を退学するときに尊敬していた高木貞治先生に退学しますとのあいさつに行ったという(注)。

そのときにごり押しの数式の計算はどうも好きになれないとか何とか言ったらしい。そしたら、高木先生は計算力も大事だよとなんと怖い顔をして言われたという。

それで遠山先生はその後、計算力の養成にも力を割かれたとか。その後の数年の浪人生活ののち遠山先生は自由の雰囲気のあった東北帝国大学の数学科に入学してそこを卒業された。

森毅さんによれば、遠山先生は近代的な数学の感覚と計算力とを併せ持ったまれな数学者であったという。

私などは計算力もあまりないし、現代数学的なセンスもない凡人である。
だが、遠山先生の数学の本の中にはそういう片鱗が現れているのではないかと思われるところもある。

(注)なぜ遠山さんが東大の数学科を退学することになったかの話は、すでにこのブログのどこかに書いたので、ここではくりかえさない。