田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

神々のやどる森

2011-03-02 12:10:02 | 講演・講義・フォーラム等
 日本人は「自然」を生命・豊穣・繁栄をもたらす世界と捉え、自然の様々な現象の中に霊性や霊威を感じ取り、自然を敬ってきた民族であると講師である北海道神宮権宮司の井澤正裕氏は聴衆に説いた。

            

 2011年は国際森林年だそうである。そのことを記念して各種団体が連携・協力して2月26日(土)、かでる2・7ホールで「森林フォーラム & コンサート」が開催され参加してきた。

 イベントの全体構成は、神山慶子さん(ボーカリスト)のコンサート、井澤正裕氏の基調講演、関係識者5名によるパネルディスカッション、そして斉藤かすみさんのオカリナ演奏という構成であった。

 ここでは「神々のやどる森」と題して基調講演をされた井澤氏の講演について、私には少々重荷であるがレポートを試みることにする。

        
 
 私たちの日本(という言い方には臆するものがあるが…)は、日本神話の中にあるようにイザナギとイザナミの尊によって天地が開闢(かいびゃく)された。それから日本の国が生成される過程における自然との関わりについてもその中で神話的に綴られている。

 私たち日本人は、万物を産み育むのが自然であり、そこから永遠の相(無限創造の思想)を学び、清らかさを尊び、邪(よこしま)の心・穢(きたない)心を嫌い、「正直」・「清浄」を重んじる生活心情を培ってきた、と井澤氏は説いた。
 この部分を聞いていて、私は映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」と共通するものを感じていた。
 井澤氏は言及しなかったが、私たち日本人の中にはこうした精神性を有するDNAが確かに息付いているのだということを言いたかったのだと私は解釈した。

 そしてまた、日本人は神を唯一絶対神とは捉えず、姿ある神ではなく霊性(神威・神徳)の中にあると捉えようとしてきたということだ。その霊性が依り憑く対象が樹木の深く茂った場所や秀麗な山々などであるとした。

 最後に井澤氏は「経済合理主義的な考え方に固執することを止め、日本人本来の感性に立ち返り、大いなる自然に生かされている自分を感じ取る必要がある」と結んだ。
 
 ふ~っ、苦労しながらここまでまとめてみたが、あるいは解釈違いがあるかもしれない。その場で聞きメモするだけではとてもここまでまとめることはできなかった。救いは井澤氏があらかじめ講演要旨を参加者に配布していただいたことによって、それを参考にしながらここまで私なりにまとめることができた。

 私は今の日本にこうした日本人の中に連綿と息づく精神性について、大いに知っていただく機会を増やしてほしいと思う。ただし関係者にはできるだけ平易な言葉で語りかける必用があるとも思う。関係機関・団体の発信力に期待したい。

 この井澤氏の講演の前に聴いた神山慶子さんが歌った「Come Back Forest」、「Imajine」などのパワフルな歌声が印象深かった。

        

※ 原因の良く分からない体調不良により「冬の豊平川を遡る」が未完成になっていました。
なんとかやり遂げたく、再起のために病院を訪れたのですが良く分からずにいましたが、過日その病名が判明しました。
 大したものではないのですが、その病気の誘因がどうやら激しいスノーシューのようだったのです。そのため向こう一ヶ月間激しい運動を止められてしまいました。
 う~ん、とても残念ですが 今冬のスノーシューはあきらめようと思います。宿題を来冬まで持ち越すことにします。
 定山渓に到達することを期待されていたkwさん(?)ごめんなさいね。