私などよりはるかに旅の経験が豊富な方たちは誰もが感じていることかもしれない。旅することによって、体験したその地はそれまでの想像の地から、実感を伴った地へと変貌するということを…。
※ NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」の舞台になった小浜島の民家です。(テレビでは民宿「こはぐら荘」として)
「八重山諸島の旅を振り返る」シリーズをあれこれと綴ってきた。気が付くと一週間以上も続けていた。まだまだ感じたこと、テーマとして取り上げたいこともあるが、いつまでもというわけにはいくまい。私はすでに日常に戻っている。そこで今回で一応の締め括りとすることにしたい。そこで改めて、旅についての私の思いを綴ってみることにした。
旅する度に思うことがある。
それは旅した地が、訪れる前と後とでは、その地に対する思いにかなりの隔たりを感ずることが多い。
それはどういうことか?
※ 黒島にあった「仲盛御嶽」です。
自分にとって未体験の地を旅するということは、情報が発達した現代においてはかなり詳しい現地の情報を入手できたとしても最終的にはそこは想像の地でしかない。だから、例えばその地についてのニュースに接したとしても、それはリアル感の伴わないニュースとしてしか伝わってこない。
※ 竹富島にあった「世持御嶽」です。
対して、その地を訪れた後で同じニュースに接したとしたら、「あゝ、あの建物の横にはこんな風景が広がっていたなぁ…」とか、「あそこの周りはこうだったなぁ…」というように、リアル感をもってそのニュースに接することができる。
また、その地の情報に接したときにも、その情報を無批判に受け入れるのではなく、自らの体験も踏まえて判断することができる。
例えとして、あまり相応しくないかもしれないが、国際的な政治や経済を論ずるアナリストたちは頻繁に諸外国を訪れているという。それはやはり伝わってくる情報だけから分析し、論ずるのではおそらく不安なのだと思われる。問題となっている地、話題となっている現場に身を置き、関係者に取材することで的確な分析・評論が可能なのだと思う。
※ 小浜島で見かけたお墓です。3軒分くらい並んでいます。
旅から帰ってきて、STVの人気番組「一八行こうよ!」を観ていたら、出演の大泉洋と木村洋二アナが石垣島を訪れた様子を放映していた。すると、映し出される景色の中に見覚えのあるところが映し出され、彼らが何に驚き、何を面白がっていたかが、私には実感を伴いながら彼らの言動を理解することができた。
※ 竹富島の道路脇で見かけたお墓です。ちょっと本州のものとの折衷案的お墓にも思われます。
私が旅した経験はそれほど多いとはいえない。しかし、体験した地は間違いなく私の中の記憶に残り、その地が想像の地から、実感を伴った地へと変貌を遂げていることを感ずる。
手前味噌ではあるが、私がこだわる旅する形がより記憶に深く刻み込まれることに作用しているだろうことも感じている。
加齢と共に、私が志向する旅する形をいつまでも続けることは難しくなってきたかもしれない。
さて、次はどうなるのだろうか…。
これにて「八重山諸島の旅を振り返る」シリーズを閉じたいと思います。お付き合いありがとうございました。
※ 竹富島で見かけた民家です。シーサーが屋根で見守っています。
※ 今回掲載した写真について若干の説明が必要のようだ。沖縄(八重山)というと、信仰心に溢れた地域という一面がある。その信仰のシンボルが「御嶽(うたき)」という社である。どういう基準で建てられているのかは分からないが、ともかくいたるところに「御嶽」が存在する。おそらく地域の人たちは何かある度にそこに集まって祀りごとを催しているものと思われる。
もう一つの特徴が「墓」である。ともかく規模が大きいのだ。おそらく相当の費用をかけて建てられるものと想像される。沖縄(八重山)では、命日などのときは墓の前に一族が集い、そこで酒食を共にすることが習わしとも聞いている。
そして、沖縄(八重山)らしい古くから伝わる形をした民家の写真を載せることにした。