何十年ぶりだろうか? 私の記憶では、小学生時代以来のような気がするが…。札の読み方にも危うさがあったが、あの頃の楽しさが蘇り、子ども心に帰って真剣に札と向き合った。
またまた「めだかの学校」である。
「めだかの学校」の企画ものとして、競技形式で北海道版の「小倉百人一首」の会が企画され、参加した。
1月26日(月)午後、「めだかの学校」のホームグランドである「かでる2・7」の会議室で行われた。
実はこの企画は昨年に続いて行われたもので、昨年は畳の上で行ったところ、参加した高齢者の方々から「座っての百人一首は辛い」との声を受け、「めだかの学校」方式としてテーブルの上で実施することを試してみるということだった。
参加者は運営する関係者を入れて24~5名だったろうか? 参加者は私と同年代、あるいは少し上の年代の方々が多かったようだ。
試合方法にも「めだかの学校」方式が取り入れられた。普通は3人一組行うのだが、「めだかの学校」方式では、4人一組でチームを作り、4チームが編成された。
この方式では、チームの札50枚を、突きが5枚、中堅がそれぞれ10枚、守りが25枚を受け持ち試合が行われた。
※ 懐かしい木札が並べられました。この札は私の相手となる守り役の札です。
手前に並んでいる5枚だけが、突き役である私の札です。
私の子ども時代といえば、田舎では冬になるとカルタ(百人一首)くらいしか子どもの遊びはなく、毎日のように隣近所を回ってカルタ遊びに興じたものである。
私はけっして早い取り手ではなかったが、そこそこには札を取ることができる子どもだったと記憶している。
まずは、チームを編成するための予備戦が行われた後、4チームが編成された。
そこそこの私はチームリーダーから突き役か守り役をするよう命じられたので、守り役を希望して、一回戦に挑んだ。
守り役は自分に与えられた25枚の札をできるだけ相手(突き役)から攻め込まれないように死守するのが役目である。相手の突き役は女性の方だったが、私ほど昔に体験されていなかったようで、私がほとんどの札を取ることができたし、リーダーの方が素晴らしい取り手だったこともあり、楽勝することができた。
※ このように全員が立った状態で対戦しました。手前の空いている席が私の席です。
決勝戦はリーダーから突き役を命じられたが、この試合も相手の方があまり得意な方ではなったようで、相手の札をかなり取ることができ、チームも見事二連勝し、優勝ということになった。
北海道で広まった下の句を詠んで、木札を取り合う百人一首は、北海道の気候風土にマッチした豪快さが呼び物の一つとも云われている。ただし、今回はテーブルの上での戦い、そして高齢者の遊び、ということで割合静かな戦いとなった。
参加者からテーブルの上での試合形式は好評だった。私も立った状態で戦いの方が体への負担は小さく、高齢者には適した方法だと感じた。
※ こちらはもう一組の対戦の様子です。試合は終盤を迎えているようです。
それでも、一札詠むごとに札に集中するためには、大変な体力を要することを改めて認識させられた。一試合終えると「ふーっ」と疲れを覚えていた。
翌日には下半身が強張っているのを感じた。札が詠み上げられるときに、上半身を沈めて集中することを繰り返すために、思いのほか下半身が疲労していたのだと思われる。
ほんと~に、久しぶりの百人一首だったが、昔友だち同士で競り合ったことが蘇り、楽しいひと時を過ごさせていただいた。
自分たちの楽しみは置いておいて、運営に専念された「めだかの学校」のスタッフに感謝である。
《ウォーキング覚書》
1/26~1/31の6日間は歩数が激しく上下した6日間だった。また、少しは体力がついたかな?と思えた6日間でもあった。
◇1/26 10,693歩 ◇1/27 7,726歩 ◇1/28 17,491歩 ◇1/29 24,047歩 ◇1/30 13,347歩 ◇1/31 10,893歩
◇6日間合計 84,197歩 ◇1/26~1/31の一日平均 14,033歩
1/27は一万歩に満たなかったが、これは前日の百人一首が原因である。下半身に疲れが残りもウォーキングに出かけようとする意欲が湧かなかった。妻から買い物を頼まれ、それをこなすのが精一杯だった。翌日は17,000歩強は、前日のていたらくを取り戻そうと少し遠くまで出かけた結果である。1/29の24,000歩余は、「冬の石狩川を遡る」シリーズⅣによって歩いた歩数である。この日、歩き切ることができたのは、あるいは少しばかり体力が付いてきた証かもしれない?
〔1月の記録〕
◇1月の31日間の総計 399,884歩 ◇1月一ヶ月の一日平均歩数 12,899歩
冬にも関わらず、この数字は我ながらかなりの歩数だと自信をもって良い数字かもしれない。2月も頑張ろう~っと。