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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道遺産“じんぎすかん”命名の由来は?

2016-05-23 22:51:30 | 「めだかの学校」関連

 北海道人が愛して止まない(?)“じんぎすかん”の命名の由来には諸説紛々あるらしい。そうした中「これが真説!」というお話を聞いた。今日の「めだかの学校」は“じんぎすかん”を学び、“じんぎすかん”を食するという粋な講座だった。 

 夏季の「めだかの学校」は教室のある「かでる2・7」を飛び出して、教室外での学習も企画されることがある。
 今日(5月23日)の講座は豊平区にある八紘学園を会場に行われた。
 八紘学園はその創始者である栗林元次郎が学園の敷地内に、札幌で初めてじんぎすかん焼きを供する「成吉思汗倶楽部」を作ったことで知られている。いわばじんぎすかん料理の札幌のルーツとも言える存在である。

          

 そこで「めだかの学校」では、まず栗林記念館々長の佐藤利雄氏から「北海道遺産“じんぎすかん”を語る」と題して、しんぎすかんに関する薀蓄を学んだ。
 佐藤氏からじんぎすかんのあれこれを学んだが、特に興味深かったのが“じんぎすかん”の命名の由来である。
 その由来について触れるとき、佐藤氏は北大の某教授が“じんぎすかん”に関する膨大な研究成果(?)をウェブ上に公開していることを教えてくれた。そのサイト名は「現場主義のジンパ学」というものだ。某教授はそこで「尽波満州男(じんぱ ますお)」と名乗っている。その名が示すように研究といってもそれは余技であり、パロディ的でもあるのだが、さすがに大学の先生である、余技にしても奥が深い。

          

 講師の佐藤氏は、そこで語られている命名伝説が今のところ真説ではないかと紹介してくれた。その原文を転写することにする。

「この料理は、今から二十年前、當時北京に居住して居た井上一葉といふ料理通によつて発見された。井上氏は『正陽樓』といふ料理屋に於て、偶然にもこれを知つて、在留邦人間に吹聴し先づ鷲澤與四二氏を誘ひ出して賞味した。鷲澤氏は當時、時事新報の北京特派員で、現に同社の顧問であり、雑誌『べースボール』の社長である。その席上
 『支那那に遺された唯一の原始料理だ、これを食べると、なんだか三千年の太古に還つたやうな氣がする』
 だが『烤羊肉では陳腐だ、何んとか奇抜な名をつけやうぢやないか』
 『三千歳(みちとせ)とはどうだ』
と両人の間に話が纏まり、『三千歳』といふ新しい名称がつけられた。このことは、當時北京の邦人間で発行されて居た『燕塵』といふ雑誌で発表され、忽ち評判となつた。爾來これを食はざれば支那通にあらずといふ風に流行しだした。
 それから程なく、鷲澤氏は、折柄來遊せる人々を、此樓に招待して『三千歳』に舌鼓を打つて居ると、或人が『僕が蒙古を横断した時に、蒙古人は、牛糞の乾燥した燃料を用ゐて、羊肉をあぶつて食つて居たのを見た。よく聞くとジンギスカンが陣中で、好んで食つたといふことだ』
と話したので、鷲澤氏は、早速、
 『それでは「成吉思汗料理」と名づけやうではないか』
と提議、満場一致で命名された。このことも當時の『燕塵』誌上で発表されたので、遂々成吉思汗の遺物の如くに誤り伝へらるるに至つたのである。」

 「現場主義のジンパ学」には、これ以外の説も含めて、じんぎすかんに関するあらゆる研究が網羅されているので興味のある方は覗いてみてほしい。

          

 1時間半の講義を終えて、私たちは八紘学園の敷地内にある「ツキサップじんぎすかんクラブ 白樺」に移動して、焼いた肉にタレを後から付ける「月寒(札幌)式」で味わった。
 天気も良く、気温も上がった一日だったので、肉も旨かったが、ビールも旨かったぁ…。