クラシックの初心者がこんなことを書くのは失礼と知りつつも、つい愚痴をこぼしたくなってしまった今回の札響コンサートだった。無料招待でそんなに期待しなさんな、という声が聞こえてきそうですが…。
9月7日(水)午後、札幌市の医療グループ「タナカメディカルグループ」の主催による「札幌交響楽団招待コンサート2016」がキタラにおいて開催された。鑑賞を希望したところ招待券が舞い込み喜んでキタラに向かった。
タナカメディカルグループは、特に高齢者向けの医療や介護、高齢主向けマンションなどの経営に力を入れている医療グループである。私は入り口で大量のパンフレットなどが配布されるのではと予想したいたのだが、案に相違しコンサートプログラム一枚で、その片隅にグループが経営する施設一覧が載っているだけというスマートさに好感を持った。
コンサートのプログラムは次のような構成になっていた。
【第1部】オルガン独奏 サン=サーンス/幻想曲 変ホ長調
ハイドン/交響曲第88番ト長調Hob.I:88「V字」
……… 休憩15分 ………
【第2部】シベリウス/交響曲第2番ニ長調op.43
指 揮:佐藤 俊太郎
管弦楽:札幌交響楽団
オルガン独奏:吉村 怜子
ここからの感想はクラシック初心者の私の独断と偏見に基づくものだから、札響ファンの方々、及び関係者にはご容赦いただきたい。
まず、私にはオルガン演奏の良さが分からないのだ。コンサートホールにあの独特の野太い音が響き渡るのをどうしても好きになれないのだ。単に好き嫌いの問題であるのだが、私にはどうしても好きになれないオルガン独奏だった。
続いて、札響による演奏でハイドンの交響曲が演奏された。このとき「おやっ?」と思った。演奏する団員の数がずいぶん少なく感じたのだ。数えてみると40人前後だった。
おそらくこの曲には、この程度の人数で十分ということなのだろうけど、やはり大人数に比べると音の厚みに欠けていたように思われた。
ただし、ハイドンの曲自体は美しいメロディーで、弦の響きも心地よく、今回のコンサートの中では私が最も楽しめた曲だった。
問題は第2部のシベリウスだった。
演奏する団員の数も60名前後に増えて、ようやくオーケストラらしい演奏が期待できるかに思えたのだが…。
解説文によると、フィンランド人であるシベリウスが南国イタリアを旅行中に曲想を練ったということで、南国らしい明るく軽やかな演奏が期待できるものと思って演奏を待った。しかし、私に聴こえてきたのは、明るさや軽やかさはどこへやら、どこか重々しく、重厚な感じのする曲に聴こえてきた。また、印象に残るような旋律も私の耳には届かなかった。(単に聴く力がないだけなのかもしれないが…)
シベリウスはフィンランドのみならず、20世紀を代表する作曲家の一人としてたくさんの作品を世に出している大作曲家である。今回の交響曲だけで云々することはできるはずもないのだが…。
さらには、その作曲家の曲を演奏しただけの札幌交響楽団には何の責任もなく、演奏者たち一人ひとりの技量は十分であり、全体が奏でる音にも不満はなかった。
ただ私からすると、これまで何度か聞かせていただいた札響のコンサートと比較したとき、コンサート全体に対してちょっと残念な思いが残ったということなのだ。
もっとも、無料で聴かせていただいて何を不平を言っているんだい、という声が聞こえてくるような気がしないでもないのだが…。
9月7日(水)午後、札幌市の医療グループ「タナカメディカルグループ」の主催による「札幌交響楽団招待コンサート2016」がキタラにおいて開催された。鑑賞を希望したところ招待券が舞い込み喜んでキタラに向かった。
タナカメディカルグループは、特に高齢者向けの医療や介護、高齢主向けマンションなどの経営に力を入れている医療グループである。私は入り口で大量のパンフレットなどが配布されるのではと予想したいたのだが、案に相違しコンサートプログラム一枚で、その片隅にグループが経営する施設一覧が載っているだけというスマートさに好感を持った。
コンサートのプログラムは次のような構成になっていた。
【第1部】オルガン独奏 サン=サーンス/幻想曲 変ホ長調
ハイドン/交響曲第88番ト長調Hob.I:88「V字」
……… 休憩15分 ………
【第2部】シベリウス/交響曲第2番ニ長調op.43
指 揮:佐藤 俊太郎
管弦楽:札幌交響楽団
オルガン独奏:吉村 怜子
ここからの感想はクラシック初心者の私の独断と偏見に基づくものだから、札響ファンの方々、及び関係者にはご容赦いただきたい。
まず、私にはオルガン演奏の良さが分からないのだ。コンサートホールにあの独特の野太い音が響き渡るのをどうしても好きになれないのだ。単に好き嫌いの問題であるのだが、私にはどうしても好きになれないオルガン独奏だった。
続いて、札響による演奏でハイドンの交響曲が演奏された。このとき「おやっ?」と思った。演奏する団員の数がずいぶん少なく感じたのだ。数えてみると40人前後だった。
おそらくこの曲には、この程度の人数で十分ということなのだろうけど、やはり大人数に比べると音の厚みに欠けていたように思われた。
ただし、ハイドンの曲自体は美しいメロディーで、弦の響きも心地よく、今回のコンサートの中では私が最も楽しめた曲だった。
問題は第2部のシベリウスだった。
演奏する団員の数も60名前後に増えて、ようやくオーケストラらしい演奏が期待できるかに思えたのだが…。
解説文によると、フィンランド人であるシベリウスが南国イタリアを旅行中に曲想を練ったということで、南国らしい明るく軽やかな演奏が期待できるものと思って演奏を待った。しかし、私に聴こえてきたのは、明るさや軽やかさはどこへやら、どこか重々しく、重厚な感じのする曲に聴こえてきた。また、印象に残るような旋律も私の耳には届かなかった。(単に聴く力がないだけなのかもしれないが…)
シベリウスはフィンランドのみならず、20世紀を代表する作曲家の一人としてたくさんの作品を世に出している大作曲家である。今回の交響曲だけで云々することはできるはずもないのだが…。
さらには、その作曲家の曲を演奏しただけの札幌交響楽団には何の責任もなく、演奏者たち一人ひとりの技量は十分であり、全体が奏でる音にも不満はなかった。
ただ私からすると、これまで何度か聞かせていただいた札響のコンサートと比較したとき、コンサート全体に対してちょっと残念な思いが残ったということなのだ。
もっとも、無料で聴かせていただいて何を不平を言っているんだい、という声が聞こえてくるような気がしないでもないのだが…。