石狩地区地域防災施設、通称「川の博物館」の見学と、そこに所属する河川調査船「弁天丸」に乗船する機会を得た。どちらも普段はなかなか立ち入れない施設や船だったので興味深く拝見させてもらった。
※ 国道231号線沿いに立つ「川の博物館」の建物です。ふだんは「休館中」の札がかかっている。
9月25日(月)は、私が所属する「めだかの学校」の野外学習として石狩市新港南1-28-24にある「川の博物館」を見学した。
「川の博物館」は通称:オロロンラインと称される国道231号線を石狩市から増毛町方面に向かって走ると右手に見える。私は以前からその存在を知っていて中を見学したいと思っていたのだが、その建物の前にはいつも「休館中」の札が下がり、ゲートが閉じられていたため、見学はできないものと諦めていた。
しかし、今回のように事前に見学を申し込むと、可能だったようだ。
※ 「川の博物館」が所有する河川調査船「弁天丸」の全容です。
今回は河川調査船「弁天丸」の乗船体験があり参加者数が制限されたため、参加は「めだかの学校」の会員限定の学習会となり、参加者は12名だった。
参加者は2班に分けられ、前半にまず6名が乗船し、残り6名は先に「川の博物館」を見学し、後半はそれを反対にして実施された。
私は先の班に属し、まず「弁天丸」の乗船体験をした。
「弁天丸」はなかなか立派な船だった。弁天丸のトン数は16トンと小さく、最大積載人員は22名ということだが、しっかりした座席が備えられ、小さな遊覧船といった感じだった。
※ 弁天丸の操縦席です。河川の様子を探知するソナーも備えた立派な船です。
船は茨戸川に乗り出し、しばらく走って石狩川との間に設けられた細い運河を通って、石狩川本流に出て、石狩川河口橋のたもとでUターンをして帰ってくる40分間の行程だった。(茨戸川は、もともと石狩川であったものがショートカット工事で取り残されたところを茨戸川と称しているようである)
この日は好天だったこともあり、川面は波も立たず穏やかな中でのクルージング(?)となった。河原にはアオサギの姿も見える中、のんびりと船旅を楽しんだ。
※ 茨戸川と石狩川を結ぶ運河を行く弁天丸です。
※ 運河の岸の木の上で中央灰色っぽく見えるのがアオサギです。ちょっと不鮮明ですが…。
※ 前方に見える橋は、石狩川を跨ぐ「石狩川河口橋」です。船はこの橋の手前でUターンしました。
※ 波を蹴立てて走る河川調査船「弁天丸」です。
続いて「川の博物館」に入って、職員から石狩川の歴史や施設などについて説明を受けた。
その説明の中で、以前は職員が常駐していて常時開館していたのだが、職員削減によって希望者がいた場合のみ札幌開発建設部から職員が派遣され開館するという方式に変更されたと説明があった。
職員の説明は多岐にわたったが、私が興味を抱いたのは川に設けられた「樋門」、「排水機場」、「頭首工」、「遊水地」など、治水や利水の施設の働きであった。というのも、私が「冬の石狩川河岸を遡る」に取り組んだときに、これらの施設に何度もお目にかかったからである。
また、現在の石狩川の長さは268キロだそうだが、29ヵ所の及ぶショートカット工事の結果、元の長さより100キロも短縮されたそうだ。その結果、石狩平野の湿原の乾燥化が始まり、現在の水田地帯が生まれ、今や国内有数の穀倉地帯となったということだ。
※ 「川の博物館」内で札幌開発建設部の職員の方から説明を受けました。
私にはぜひ聞きたいことがあった。
それは、私が4年間かけて冬の石狩川河岸を、石狩川河口から旭川市の旭橋まで至ったのだが、実距離を私は知っていなかった。(そのことを知る術を私は知らなかった)そのことをぜひ聞きたいと思い、尋ねたところ157.1kmだったことが判明した。そして、そのことをウェブ上で調べる方法も教示していただいた。そのことが私にとっては、最も大きな収穫になった今回の学習会だった。
※ 「川の博物館」内で目立った書家による「石狩川」の揮毫です。