私たちプロジェクト〇(ゼロ)が企画実施している野外講座「さっぽろの古を訪ねて」も先日で4回目の講座を終了した。今回は「北海道開拓の父 島義勇を訪ねよう!」と題して、主として島義勇に関する史跡等を巡った。
※ 北海道神宮の前庭に配された島義武勇の像です。
7月23日(月)午後、「めだかの学校」の今年度4回目の野外講座が円山公園を中心にして実施した。
この講座についてはこれまでも触れてきたと思うが、「めだかの学校」の会員の中から希望者でもってプロジェクトチームを組み、企画から実施まで任されて実施しているものである。そのプロジェクト名を「プロジェクト〇(ゼロ)」と称して、私を含めて3人で構成して実施しているものだ。
この回の担当はチームの中のM氏が担当だった。M氏と私、そしてこの日のガイドをお願いしたK氏とあらかじめ打ち合わせをして、コースを次のように設定した。
①円山公園奥にあるカツラの古木(大木)⇒ ②島判官紀功碑 ⇒ ③開拓神社 ⇒ ④鉱霊神社 ⇒ ⑤穂多木神社 ⇒ ⑥北海道神宮(参拝)⇒ ⑦島義勇像 ⇒ ⑧六花亭参拝者休憩所 ⇒ ⑨福玉仙吉献櫻百五十株記念碑 ⇒ ⑩岩村通俊像
というコースを参加者とともに巡った。
※ 円山公園の奥に立つ古色然としたカツラの古木(大木)です。
私にとっては下調べなどで何度も訪れたところなので新たな知見を得ることは少なかったが、ガイドの説明で「円山公園が公園となる前は、養樹園(見本林)だった」という事実について恥ずかしながら知らなかった。ガイドの説明で、なるほど北海道には自生していなかったはずのスギやヨーロッパクロマツなどが散見され、見本林の痕跡がうかがえた。
※ 高さ8mにもなる一枚岩は宮城県から運ばれてきたそうだ。人との比較でその高さがお判りいただけると思う。
そして、もう一つ。私にとっては開拓判官・島義勇(しま よしたけ)が札幌の街づくりを構想したといわれる「コタンベツの丘」がいったい何処なのか?という疑問は、諸説紛々あり今では特定できないというのが定説となっている。この点についてはガイドのM氏も同じようなことを言っていて、M氏は「3つの説がある」と話された。その①が「島判官紀功碑」のところ、②が北海道神宮横の「島義勇像」のところ、と二つまでは披瀝したのだが、第3の説について言及しなかった。
私の中では、前述二つのところからは札幌の街を遠望することは難しかったのではとの推察から、第三のもう少し高いところでは?と想像するのだが、この点については永遠の謎としておくのが今では最も相応しい解と考えることにした。
※ 北海道神宮の山道でガイド(赤いザックの人)の説明を聞く講座の参加者たちです。
野外講座「さっぽろの古を訪ねて」は、これまで4回を終え、今のところ参加者からは好評をもって迎えられている。
残り2回であるが、次回「岩村通俊が造ったススキノ・鴨々川を訪ねよう!」は私の担当である。本日(27日)ガイドをお願いしているW氏のとの打ち合わせを終え、巡るコースについても最終決定した。
できるかぎりの準備をして当日を迎えたいと思っている。参加者たちにとっても、また私たちにとっても満足できる講座とするために…。