坂口氏は言う。「○○さん(私のこと)は聞き上手だ」と…。そんなことはない。坂口氏のお話が魅力満載だからなのだ。今夜もまた、坂口氏の新たな一面を知ることができた愉悦の一夜だった…。
※ まだまだ若さいっぱいの坂口一弘氏です。
坂口一弘氏…、私はこれまで坂口氏のことをsakagさんと表記していた。しかしもう氏の本名を明らかにしていいだろう。これまでも拙ブログでsakagさんのことを紹介してきたが、改めて紹介すると日本三百名山を完登したほか、国内の全て旧街道を踏破する(今秋完成予定)他、さまざまなチャレンジを敢行している凄い方なのだ。
そんな坂口氏と偶然の出会いから知己になることができた。私の山旅、歩き旅などは坂口氏の足元にも及ばないのだが、そんな私に時折り出会いの機会を設けてくれていることを本当に有難く思っている。
本夕(8月11日)、札幌に来られていた坂口氏からお誘いの連絡があった。私に断る理由など何一つない。二つ返事でOKの連絡を入れた。
ススキノの某所、二人の会話は弾んだ。三百名山完登のこと、今秋完成をみる奥州街道の歩き旅のこと、等々坂口氏のお話はいつも聴いているだけで心躍るものがある。私もそれに刺激を受けて、と思うのだが凡人故なかなか坂口氏のようにはいかないところが悔しいところであるが、それはいたしかたないところでもある。
坂口氏のお話はいつしか現職時代の話に移っていった。道南と道北の違いはあるが、坂口氏と私は同じ教職人生を歩んだという共通項がある。坂口氏は単に山登りなどの冒険的な挑戦で名を成すだけではなく、教員としても優れた実践を残されてきた方である。
そうした坂口氏の教職人生の中で、一人教え子との出会いがあったという。その教え子は父親が早世したにも関わらず、力強く人生を歩み今では一つの会社を率いる存在になっているという。実は坂口氏も若くして父親を亡くされていたことを初めて知った。坂口氏は4人兄弟の長男として教え子と同様の苦難の時期があったという。そうしたことが坂口氏の脳裏に走馬灯のように巡ったのだろうか?教え子と氏の人生がオーバーラップされたのか坂口氏は思わず涙ぐみながら教え子のことを語られた。
私からみると、坂口氏の歩んでこられた道は私などよりは2倍も3倍も色濃いものだと思われた。先年(一昨年)坂口氏は日本三百名をはじめ道内の数多くの山を登られた記録をまとめた「ほっかいどう 山楽紀行」という著書を発刊された。それは大変に好評だったという。
そこで私は「坂口さん、あなたの人生を振り返る自分史をまとめられたら?」と私は提案した。坂口氏は意外な表情をされながらも「それはグッドアイデア!」といった表情をされた。いやいや、きっと内心では構想されていたのかもしれない。坂口氏のように内容の濃い人生を歩まれた方の自分史をぜひ拝見したいと思う。
「○○さんは聞き上手だ」と称されたが、聞き惚れるとはこのことだと思いながら、今夜も坂口氏のお話に聞き入った。またの機会に、坂口氏のお話を伺えることを心から期待している私である。愉悦の一夜はいつにも増して短かった…。