小清水町立小清水小学校
昭和62年4月から平成6年3月まで8年間お世話になった学校です。
一般教諭としては最後になった学校です。この学校で出会った5人が今なお毎年集まり旧交を温めてているグループです。様々なことに挑戦した思い出多い8年間でした。
今回のノスタルジック ジャーニーでその変化にもっとも驚いた学校でした。当時の面影はグランドくらいしかありませんでした。校舎の姿はもちろん、建っている場所も違い、学校を探すのに苦労したほどでした。
以上、私が務めた学校、事務所を訪れるノスタルジック ジャーニーはこれで打ち止めとします。楽しくも、懐かしい旅でした。
巡った日が振替休日だったり、お盆休みだったりして、関係者にお会いすることは叶いませんでしたが、先輩面をして内心煙たがれるよりは良かったのではと思っています。
ハイランド小清水725というところに来ています。藻琴山の登山口になるところです。ところが、辺りは霧一色で、気温は14℃でとても山に登ろうとする意欲が起きません。
残念ながらパスすろことにして、明日の斜里岳登山に備えて斜里岳登山口の清岳荘に向かうことにします。
その前にノスタルジック ジャーニーの最後の学校、小清水小学校に寄っていく予定です。
写真はハイランド小清水725に置かれた標石ですが、ここからは屈斜路湖の雄大な景色が望めるはずですが、まったく何も見えません。
旧東藻琴村役場庁舎
昭和55年4月から昭和58年3月まで3年間、網走教育局派遣の社会教育主事として東藻琴村教育委員会にお世話になりました。
当時は新築の庁舎でしたが、あれから30数年経っていますが、ちっとも古さを感じさせない立派な庁舎です。
現在は大空町の東藻琴総合支所として、また大空町の教育委員会事務所として活用されているとのことでした。
網走市立白鳥台小学校
平成13年4月から平成16年3月まで3年間お世話になった学校です。
白鳥台小学校は周辺の4校が合併して新設となった学校で、私は開設2年目に、2代目の校長として赴任しました。
新しい学校だったので、先生方と力を合わせて学校づくりに励んだことが思い出です。
網走市立能取小学校(廃校)
平成6年4月から翌年平成7年3月までのわずか1年間だけの赴任でした。しか、初任の教頭としての赴任だったので、張り切って仕事に励んだこともあり、たくさんの思い出があります。帰宅してからゆっくり振り返ることができればと思っています。
ここ能取小学校へ向かう車中、右手に能取湖を見ながら走ってきました。すると「懐かしの海、山、川、そして湖……」そんなフレーズが自然に出てきましました。まさしくノスタルジック ジャーニーそのものです。
今日はまだまだ私のノスタルジック ジャーニーは続きます。
美幌町コミュニティセンター
昭和58年4月から昭和61年3月まで、網走教育局派遣の社会教育主事として、私は美幌町教育委員会に派遣されていました。その美幌町教育委員会の社会教育課の事務所が、ここ美幌町コミュニティセンターに置かれていたのです。
たまたま職員の方がいたので伺ってみたところ、すでに社会教育課は他のところに移っていて、現在は美幌町役場の他の部署(民政部)が入っているとのことでした。昭和は遠くなりにけりですな〜。