過日、我が家にも遅まきながら政府支給の布マスク(通称:アベノマスク)が届いた。いろいろと物議を醸したアベノマスクであるが、時の政府から直接プレゼントされたという貴重(?)なマスクをどう活用するか?考えてみた…。
※ 我が家に届いた政府配布の布製マスク(こちらが表でしようね)
安倍首相が布製マスクの全世帯配布を表明したのは4月1日だった。それから我が家に届いたのは2カ月後の今月に入ってからである。いかにも遅きに失したという感は免れない。それでも全国的にはまだ6割程度の配布率だと聞いている。果たして政府が全世帯に対してマスクを直接配布するということ自体が適切であったのかどうか議論のあるところではあるが、そのことについて私自身の言及は避けたい。
※ こうした説明書きなどが4ページありました。
問題は届いたアベノマスクをどうするか?ということである。
配布した政府にとっては、それぞれがマスクを使用してくれることを最も望んでいることだろう。しかし、配布された布製マスクはお世辞にも評判が良いとは言えない。そもそも政府高官の中で布製マスクを使用しているのは安倍首相ただ一人ではないか。配布する側が使用しないようなマスクはどうしても積極的に使用する気にはなれない。
だとすれば、寄付するという方法がある。しかし、自分が気に入らないから他に譲るというのも、どうも今一つ気が乗らない。(強引に自ら導き出した結論に導こうとしている自分の論の未熟さが気になるが…)
ということで、私が出した結論は「アベノマスクを記念の品として保存する」ことにしたのである。
少しオーバーに表現すると、私がこの世に生を受けてこれほど全国民に災難が及んだ出来事はこれまで皆無であったと言えるのではないだろうか?近くには世界経済を震撼させたリーマンショック(2008年)があった。確かに私たち庶民にも多少の影響はあったが、直接的な影響があったとは言えないだろう。また2013年にはあの東日本大震災に見舞われた。直接の被害者にとっては今回のコロナ禍どころではなかったろうが、私自身は災害を免れることができた。今回以上に国民の生命財産が危機に瀕したのは何といっても太平洋戦争(第二次世界大戦)であろう。しかし、これも私たち「戦争を知らない子供たち」世代はその大変さを体験せずにここまで生きてきた。
※ こちらが裏側でしようね。
そう考えると、今回のコロナ禍は私の人生の中でも記念碑的な災難に遭遇している真っ最中ではないのか、と考えている。だったら、配布されたアベノマスクはこの災難を後世まで伝えるべく記念品(グッズ)として残しておくのも一つの方法だと考えたのである。
私はアベノマスクを大して貴重なものなどないリビングのキャビネットの奥深くにしまい込んだのだった。