札幌近郊の屯田兵村を訪ねる企画の最終回「山鼻屯田兵村」を訪ねた。この日(9月24日)は秋日和に恵まれて、気持ち良く屯田兵村の史跡を訪ね歩くことができた。
私が所属する「めだかの学校」では、今期野外見学学習として札幌近郊の屯田兵村を訪ね歩く企画に取り組んでいる。実はこの企画は「さっぽろの古を訪ねて」という大きく企画の一環で、「Ⅲ」と示すとおりに3年目の企画なのだ。
1年目(2018年度)は特にテーマは設定せず、札幌の開拓に携わった人物の史跡を訪ねて回った。
2年目(2019年度)は、「お雇い外国人の史跡を辿る」をテーマに、各所を巡った。
そして今年度が3年目ということである。その間4年の空白があるが、これはコロナ禍によって中断を余儀なくされ、今年度ようやく3年目で「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」をテーマとして行うことができたのだ。
さて、その3年目の最終回「山鼻屯田兵村」を訪ねるでは、次のところを巡り歩いた。
① 山鼻屯田記念館
② 明治天皇御駐蹕(ごちゅうひつ)の地
③ お声掛かりの柏跡(その二世の若木)
④ 山鼻屯田兵村開設碑
⑤ 行啓通り
⑥ 山鼻神社
山鼻屯田記念館は、(一財)山鼻記念碑保存資産が1988(昭和63)年に建設した3階建の建物で、1階は店舗として貸出、2階が資料室となっている。(3階の用途は不明)
※ 山鼻屯田記念館の担当者から説明を聴く「めだかの学校」の会員です。
記念館では担当者から説明をいただいたが、ややあっさりとした説明でやや物足りなさも感じたが、資料としては当時の生活道具や開村当時の地図、西南戦争に赴いた資料など興味深い資料を見ることができた。
※ 山鼻屯田記念館の資料室の展示の一部です。
問題はその後だった。というのも、琴似屯田兵村や野幌屯田兵村では、それらについて詳しく説明してくれる方がいたのだが、山鼻屯田兵村ではそうした方が見当たらなかった。
窮余の策として、私が俄か勉強で取得した浅はかな知識を伝えることでお茶を濁すことにした。
資料などから得た知識では通り一遍のことしか伝えられなかったきらいはあったが、それなりに会員の方々に伝えることができたかな?と自己評価している。
面白いと思ったのは、「明治天皇御駐蹕の地」の碑は山鼻小学校のグランドと仕切られた金網の外側に建てられているのに対して、その目前にあったと思われる「お声掛かりの柏」の跡は金網の内側(つまり学校のグランド内の一角)に木片で円形に描かれて残されていたことだ。
※ 「明治天皇御駐蹕の地」の碑です。
道路を隔てた「山鼻公園」内の中央付近に「山鼻屯田兵村開設碑」が建てられている。高さ6mの堂々たる石碑だった。そこから少し離れたところに「お声掛かりの柏」二世の若木が育っていた。「山鼻公園」で存在感を放っていたのはスズカケノキ(別名:プラタナス)の大木である。合せて3本ほどあったと思われるが、いずれも見上げるほどの大木で、屯田兵村開村以前から植わっていたものではないかとも思われるが、どうなのだろうか?
※ 「山鼻屯田兵村開設碑」の横の説明を見入る「めだかの学校」の会員です。
「山鼻公園」から「行啓通り」を東方向に1キロほど行ったところに「山鼻神社」が祀られている「札幌護国神社」に向かった。「山鼻神社」そのものは現在「札幌護国神社」内の「多賀神社」に相殿されている。その「山鼻神社」の碑や祠は「札幌護国神社」内の「彰徳苑」という戦没者慰霊碑がたくさん立ち並ぶ奥の一角にひっそりと建てられていた。
以上、予定していた史跡等を巡り歩き今回の学習を終えた。
私たち「めだかの学校」では、これまでの3年間にわたる「さっぽろ古を訪ねて」の見学学習を終え、その成果を顧みることも必要ではないか、という声から来年度の企画として(仮題)「 “さっぽろの古を訪ねて” から学んだこと」の企画が進んでいる。私たちが棲む札幌のことをより深く知るというところに大きな意味があると思っている。