黒板五郎…、もちろんあの伝説的なTVドラマ「北の国から」の主人公であるが、その黒板五郎を演じた田中邦衛さんの訃報が伝えられた。だからタイトルは「田中邦衛さんを偲んで」というのが本来なのだろうが、敢えて役名で表記させてもらった。
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テレビドラマをほとんど見ない私が倉本聰原作の「北の国から」だけは放送を心待ちにしながら視聴したことを憶えている。それは何といっても田中邦衛さんが演ずる黒板五郎が富良野という大自然を舞台に純と蛍という子どもを抱えながら、武骨に生きる様が私の琴線を揺すぶったのだと思う。黒板五郎という人物は、もちろん原作者の倉本聰氏が創り出したものだが、黒板五郎に血を通わせ、ドラマを国民的な関心事まで高めたのは紛れもなく田中邦衛さんの個性であり、演技力だったと思う。
さらにこの番組が大成功を収めたのは、彼の子ども役を演じた純(吉岡秀隆)と蛍(中嶋朋子)の存在だろう。彼らが登場した時、純は小学4年生、蛍が小学2年生だったという。それからの21年間を追ったドラマなのだから、彼らの成長も視聴者には大きな関心事だったし、二人の演技力も並の子役のレベルを超えたものだったことが関心を呼んだものと思われる。さらには、脇役陣にも人を得たキャスティングだった。
そして舞台となった富良野の自然の素晴らしさと、ドラマのアクセントのように現れる野生生物の愛らしさ。そして、そしてさだまさしが作曲した「北の国から~遥かなる大地より~」がドラマの魅力を何倍にも押し上げたと私は見る。
とドラマを構成するすべてが見事にかみ合った稀に見るドラマだったいえると思うが、やはり何といってもその立役者は田中邦衛さんに尽きると思う。当初、倉本聰氏は黒板五郎のキャスティングに迷ったとも聞いているが、黒板五郎が田中邦衛さん以外だったならこれほどの成功はなかったのではないか、とさえ私には思われる。ドラマが始まったのは1981年(昭和56年)である。我が国は好景気に沸いていた時代で、誰もが高級志向、上昇志向に走っていた時代に、利便性に背を向け、電気も通っていない富良野の荒れ地に住居を求めるような不器用な生き方を選択する男を演ずることができるのは田中邦衛さん以外にはなかったと心の底から思えるのだ。田中邦衛さんのご冥福をお祈りいたします。
そしてドラマ「北の国から」は原作者の倉本聰氏の世相を見る思いを鋭く反映したドラマでもあったのだ。本原稿の最後に、倉本氏が世に問うた有名な言葉を再掲したい。
あなたは 文明に麻痺していませんか
石油と水は どっちが大事ですか
車と足は どっちが大事ですか
知識と知恵は どっちが大事ですか
批評と創造は どっちが大事ですか
理屈と行動は どっちが大事ですか
あなたは感動を忘れていませんか
あなたは結局何のかのと云いながら
わが世の春を謳歌していませんか
聰