田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ニシパの恋人

2017-09-20 20:49:33 | その他
 平取町産トマトジュース「ニシパの恋人」を愛飲している。ところが、今年は品薄のためか取り寄せすることができなくなった。そこで今日、平取町まで走り、現地で一年分の「ニシパの恋人」を購入してきた。 

                    

 もうかれこれ10年近くになると思う。我が家では毎朝、平取町産トマトジュース「ニシパの恋人」190gの缶入りジュースを妻と二人で飲むことが習慣となっている。
 私にとっては「ニシパの恋人」を飲むことがいわば一日の始まりのルーティンなのである。

 ところが今年に入り、「ニシパの恋人」の製品の一部に黒色の異物が混入していたとして、回収騒ぎが勃発した。そのため、いつもお取り寄せで購入していた「ニシパの恋人」が購入できなくなってしまった。
 そのため我が家では某メーカーのトマトジュースに切り替えたのだが、長年慣れ親しんだ「ニシパの恋人」とは、風味も、味も、そして色合いもどうも馴染めなかった。
 そのことを妻に話すと、地元では住民向けの販売をしていると聞いた。

 そこで今日(9月27日)、平取町まで車を走らせ、平取町農協店舗で190g缶×30個詰めの箱詰め12箱(計360缶)を購入してきた。これで一年間は安泰である。
 我が家から平取町まで約110キロ、行きの道中は穏やかな天気でドライブも楽しかった。(帰路は一時雨に見舞われたが…)出不精の妻と外出するのは、久しぶりだったが、たまあ~に二人のドライブもいいものだ。

               
               ※ 農協の店舗に山積みにされていた「ニシパの恋人」の箱詰めです。

                    
                    ※ 店内には写真のような断り書きで掲示されていました。             

 購入の目的はすぐ終わった。せっかく平取町まで来たので、ちょっと町内を散策した。
 平取町は義経伝説が伝えられる地である。そこで町の郊外にある義経神社義経資料館を訪れた。義経が実際に平取町を訪れたのかどうか、その真偽のほどは定かではないが、地元の人たちがそうした言い伝えを大切にしていることが、神社の境内の様子や資料館を整備していることから伺えた。

               
               ※ 義経神社の本殿です。

               
               ※ こちらは義経資料館の建物です。

 昼は予めネットで調べてきた「ニシパの恋人ランチ」なるものを食した。
 「ニシパの恋人ランチ」は、町内のご当地グルメとして売り出すべく、五つの飲食店がそれぞれ個性豊かなメニューを用意しているという。
 その定義はパンフによると、次のようである。◆お米は平取産を使用する。◆お肉は「びらとり和牛」、「平取産黒豚」の肉いずれかを使用する。◆びらとりトマト又はびらとりトマトを使用した加工品を使用する。◆野菜は、季節に合わせた平取産野菜を使用する。◆所定の「のぼり」を立てる。◆価格は全店980円(税込)という制約の中で、各店が知恵を絞っているようである。

               

                    
                    ※ 店内に掲示されていた「ニシパの恋人ランチ」のポスターです。

 私たちは街中にあった「味処いこい」で昼食を摂ることにした。
 「味処いこい」の「ニシパの恋人ランチ」は「トマトと黒豚のマリアージュ」と銘打ったものだった。そこには、次のような説明書きがあった。
「平取産黒豚とトマトの好相性をワンプレートに黒豚のハンバーグにトマトソースをかけトマトを表現。日高山脈をイメージしたご飯と横に添えたポークチャップに沙流川(黒豚のカレー)のせせらぎを表現しました。デザートには自家製トマトのシロップ煮です。オーブンでじっくり焼き上げるため約20分くらいかかります」とあった。なかなかの凝りようである。
 説明書き通り、およそ20分後に「ニシパの恋人ランチ」味処いこいバージョン「トマトと黒豚のなマリアージュ」が運ばれてきた。
 凝りに凝った(?)マリアージュだったが、アイデア倒れにならず、味も私の好みに合ったものだった。特に私にはトマトソースを絡めたポークチャップが私好みだった。

        
        ※ これが噂(?)の「トマトと黒豚のマリアージュ」です。ちょっと大写しにして…。
 
 トマトづいた私は、トマトジュース「ニシパの恋人」を使用したという「真っ赤なトマトの完熟アイス」なるものを求めて、町の商工会の事務所へ行ってゲットした。(250円)
 しかし、こちらはあるいはアイデア倒れになるのでは、という思いを強くした。まずアイスの色がトマト色(赤色)ではなくオレンジ色に見えるのだ。さらに舌にのせてみてもトマトの味や風味が感じられないのだ。これはどうかなぁ~?

               
               ※ 「真っ赤なトマトの完熟アイス」のパックです。

               
               ※ 「真っ赤なトマトの完熟アイス」の上蓋を取るとオレンジ色のアイスが現れました。

 とトマト尽くしの一日を過ごした私たちだったが、帰り道に平取町の畑を眺めながら帰ってきたのだが、他の地域と比べて圧倒的にトマトを栽培するビニールハウスが多かったことが印象的だった。

               
               ※ 林立するトマトを栽培するビニールハウスです。


※ なお、商品名の「ニシパの恋人」の“ニシパ”とは、「平取地方で先住民族が長老をekas(エカシ)、旦那、紳士、金持をNISPA(ニシパ)といいます。その言葉を使い首長(親方)が健康を守るためトマトを恋人にしたことを表現している」と缶に印字されていた。


北海道低山紀行 79 南暑寒岳・雨竜沼湿原(後編)

2017-09-19 17:03:46 | 北海道低山紀行 & Other
 雨竜沼湿原を目にしてから、さらに2時間30分登り続けた先に南暑寒岳の山頂があった。湿原からは雲がかかっていて全く山頂が望めなかったのだが、強風のおかげか、山頂では少しの間だったが眺望も楽しむことができた。 

 雨竜沼湿原は広大だった。湿原の大半はすでに黄金色の黄葉に覆われていた。訪れる時期としては遅かったのかもしれないが、夏とは違った趣きも悪くはない。湿原内に点在する池塘(湿原の泥炭層にできる池沼)が湿原の風景にアクセントをつけ、表情豊かな湿原を造っている。

        

        

               

               

               

               

 湿原内は木道が敷き詰められていて、訪れた人は木道以外には踏み込めないようになっていた。南暑寒岳を目指す人も木道を通り、湿原を縦断してさらに高みを目指すのである。
 この湿原の縦断に、多少コースが湾曲していたとはいえ、私の足で30分以上かかったのだから、湿原の広大さが想像できると思われる。
 目ざす南暑寒岳の山頂は厚い雲に覆われて、まったく望むことができなかった。「また空振りに終わるのか」と思うと、登頂への意欲を削がれる思いだった。しかし、「ここまで来たからには…」と気持ちを奮い立たせて南暑寒岳山頂を目指した。

 湿原から急こう配の上りを経て、湿原展望台に到達した。展望台からは湿原が一望でき、再度その広大さを実感したのだった。

                    
                    ※ 雨竜沼湿原から展望台に至るまではかなりの急登がありました。     

               
               ※ 雨竜沼湿原展望台の階段状のデッキです。ここから写した一枚が本日の最初の写真です。

 湿原展望台からは緩やかな上りが延々と続いた。展望台付近で標高はすでに950mに近かった。それから南暑寒岳まで350m前後標高が上がるだけなのに1時間45分かかったのだから、長い距離の割には標高に差がないことがお分かりいただけることと思う。
  
               
               ※ 展望台を過ぎてからの山道は写真のようにチシマザサの中を往く登山道でした。

               
               ※ その登山道で出会った面白い木の形です。まるで竜か、タツノオトシゴを見ているようで面白かった。

               
               ※ この辺りのチシマザサは私の背丈の倍以上もあるような高いものでした。

 湿原展望台からしばらくは背丈以上のチシマザサが生い茂る中を緩やかな上りが続いた。
 時折り急斜面にぶつかっても長くは続かない。やがてチシマザサの背丈も低くなり、展望台から1時間後にはハイマツ地帯に突入した。
 ハイマツ地帯に入り、周囲が見渡せるようなポイントもあり、そこからは空を覆っていた雲が流れて遠くも見渡せる状況になっていた。

               
               ※ 高度が上がるにつれて、ササの背丈が低くなってきました。

               
               ※ やがてハイマツ地帯に突入しました。マップではハイマツ廊下とも称していました。

               
               ※ この辺りではまだ周囲の山並みを見渡せたのですが…。

 南暑寒岳の山全体はまだ紅葉には早かったが、登山道のところどころでは気の早い一部の木が紅葉していた。
 ハイマツ地帯を抜けると、周りは低い草だけ…。急に風の強さを覚えた。山頂から下りてきた人も「頂上は風が強いですよ」と言っていた。風に体温が奪われるのを避けるため、ウィンドブレーカーを羽織った。

               
               ※ ハイマツ地帯の一か所てせ出会った見事に紅葉した葉です。

 そうこうしているうちに「頂上?」と思われる標石のようなものが立った地点に至った。しかしその石は、いかにもそれらしく立ってはいたものの、ニセの頂上だった。
 そこからさらに10分、緩やかな上りを続けていたら、そこに本物の山頂標識が姿を現した。

               
               ※ 一瞬、山頂標識かと間違えた石標です。何も表記はされていなかった。

               
               ※ 山頂標識を中心とした南暑寒岳の山頂付近の様子です。

               
               ※ 何とか標高1,296.4mの山頂に到達することができました!

 山頂は風が強かった。登山途中では一時晴れていたときもあったが、強い風が再び雲を運んできたようだった。
 特異な山容をした「黄金山」は認めることができたが、その他の山々は確認することができなかった。健脚の人がさらに目指すという隣の暑寒別岳も山頂は雲に隠れていた。
 山頂は風が強すぎて、とても憩える雰囲気ではなかった。写真を撮ると、そそくさと山頂を後にし、風にあたらないところまで下がって、持参した軽食や果物で補給をした。

               
               ※ 山頂からなんとか特異な形をした黄金山を望むことができました。

               
               ※ 周辺の山々の中では主峰にあたる暑寒別岳の山頂は雲に隠れていました。

 そこで30分ほど休み、下山を開始した。すると、私より遅く出発した人たちが次から次へとやってきた。私が出会った人たちは12~3人だろうか?意外に少ないように思った。
 ところが、雨竜沼湿原まで下りてみると、たくさんの人たちに出会った。つまり湿原までの登山を楽しむ人が多いのかもしれない。

 総行動時間が7時間を超えたのは、雄阿寒岳以来だ。下山を終えるとさすがに疲れた。しかし、想像以上に広大な雨竜沼湿原を目の当たりにできた心地良い疲れでもあった。

【南暑寒岳(ペンケペタンコース) 登山データ】
標 高  1296.4m (標高差 756m)
駐車場  雨竜沼湿原ゲートパーク(登山口)に計150台収容の駐車場有り
     ※ 「環境美化整備等協力金」500円が必要     
行 程  《グランドシニアの足とお考えください》
     登山口→(40分)→白竜の滝展望台→(1時間)→湿原入口→(45分)→湿原展望台→(1時間)→ハイマツ廊下→(45分)→南暑寒岳山頂→(1時間15分)→湿原展望台→(40分)→湿原入口→(45分)→白竜の滝展望台→(25分)→登山口
時 間  上り(4時間10分)  下り(3時間15分)  
天 候  曇り時々晴れ、山頂付近は強風
登山日  ‘17/09/17


北海道低山紀行 79 南暑寒岳・雨竜沼湿原(前編)

2017-09-18 21:13:09 | 北海道低山紀行 & Other
 「天空の湿原」…、雨竜沼湿原を目にしたとき、私は思わずそう呟いていた。かなりの険しい登山道を登り、標高850メートル至ったその時、私の目の前には広大な湿原が広がっていた。 

 南暑寒岳登山口のある「雨竜沼湿原ゲートパーク」までの道(導入路?)が凄かった。何せ国道から25キロも山あいに入ったところにあった。
 その道も凄い!途中、国道から12キロ入ったところにある「尾白利加ダム」までは舗装道路なのだが、その後が凄かった!舗装道路と砂利道がまるでまだら模様のように繰り返すのだ。しかも、砂利道は極端に狭いのだ。
 昆布岳の時に知った「単道双方交通」の道路である。私はゲートパークに向かう際、その砂利道で何台とすれ違っただろうか?そのたびにお互いが広い道まで引き返したりしながら、なんとか互いの車を交差させゲートパークを目ざした。

 そんな凄い道を通過して到着した「雨竜沼湿原ゲートパーク」は、山奥にあるとは思えないほど立派の施設が点在する素晴らしい公園になっていた。
 まず完全舗装された駐車場は第一と第二を合わせて150台が収容できる。そして定員70人の山小屋「南暑寒荘」、さらには管理棟、キャンプ場等々。トイレはもちろん水洗で、清潔度はコンビニ並み。極めつけは発電施設である。周辺の必要電力を作るために大きな発電棟があったのには驚いた。

               
          ※ ゲートパーク全体を私は写すことができなかったのでウェブ上から拝借しました。左奥が管理棟。手前はトイレや炊事棟です。

               
               ※ 私が朝早く撮った山小屋「南暑寒荘」です。

 さてさて前置きが長くなった。ゲートパークは山奥のためかスマホが圏外のため、当日の天気予報は確認できなかったが、前日までの予報では晴れの予報であり、朝焼けも見られたので、期待をもって朝5時20分、管理棟で登山届を提出し、500円の「環境美化整備等協力金」を収めて、管理人の見送りを受けながら登山を開始した。

               
               ※ 登山開始直後の登山道です。写真右奥に見える山は「円山」というそうで、雨竜沼湿原と同じ高さだそうです。

 初めは車が通れるほどの砂利道を行く。10分ほど行くと、鋼鉄製の立派な「渓谷第一吊り橋」を渡る。渡り終わると、道は山道へと変わった。

                
               ※ ちょっと手振れをおこしてしまった第一吊り橋です。 

 それからは岩が並ぶ山道や、小さな渓流を渡ったりしながら徐々に高度を上げていく。
 途中に「白竜の滝」が見えるところに導かれる脇道があった。そこまでは50mと近かったので寄り道をして、白竜の滝をカメラに収めて、さらに上を目指した。

               
               ※ こんな石がゴロゴロ転がった中を高度を上げていきます。

               
               ※ この標識につられてちょっと寄り道してみました。

               
               ※ 写真では小さくしか写っていませんが、かなり大きな規模(落差36m)の滝でした。

 さらに行くと、二股道に遭遇したが、そこには何の説明もない。ガイドブックによると、右側に行くと白竜の滝経由らしい。しかし、私はすでに白竜の滝をカメラに収めていたため、左側の道を選択した。
 登山開始から40分後、「白竜の滝 展望台」に至った。先ほど横から見た滝を、上から眺める角度で白竜の滝を見た。

                    
                    ※ こんな石場も乗り越えながら…。

               
               ※ 白竜の滝を上から眺めるポイント「白竜の滝展望台」からの一枚です。
 
 展望台からほどなく「渓谷第二吊り橋」があった。後から知るのだが、雨竜沼湿原から流れ出るペンケペタン川が作る渓谷はなかなかの迫力だった。
 登山道はここからは斜度を増し、徐々に徐々に高度を上げていく。
 ペンケペタン川を挟んで対岸は切り立った岸壁が姿を見せ、さらには尾根も見えてかなりの高さまで登ってきたことを教えてくれる。
 そしてペンケペタン川のほとりに出て、なんとなく湿原が近いことを匂わせてくれる。
 ところが、コースは一旦沢から離れて、右手の高みへ導かれる。

               
               ※ 第二吊り橋です。冬季は通行禁止になるようです。

               
               ※ 第二吊り橋からペンケペタン川の上流を見たところです。

               
               ※ ペンケペタン川の上流の脇の岩場の登山道です。                    

               
               ※ かなり上り詰めたところでペンケペタン川に再会しました。もう間もなく湿原ではと思わせる一枚です。

 急登を上り詰めると、そこから笹原の中を緩く下り始める。やがて木道が始まるが、湿原はその先だった。
 湿原入口の前には、帰化植物などの種子を持ち込まないように靴底を洗いなさい、という指示が出されていた。靴底を洗い、いよいよ湿原へ踏み入った。

                     
                     ※ しかし、川岸から離れ、さらに登りは続きました。

               
               ※ 湿原を前にしての靴洗い場の表示です。

               
               ※ ここの流れで靴の底を洗いました。

               
               ※ 湿原の入口に設けられたテラスです。

 そこには、遠くまで黄金色に変色した(黄葉した)湿原が広がっていた。
 私が想像していた湿原よりはるかに広く、「これほどの湿原が高さ850mの大地に広がっているなんて!」と素直な驚きだった。
 そして私は陳腐な表現ながら「天空の湿原」と思わず呟いたのだった。

               
               ※ 湿原入口のテラスから見た雨竜沼湿原です。明日の後編で湿原の様子たっぷり写真と共にレポします。

 ※ 雨竜沼湿原の詳細、そして南暑寒岳登山の様子は、後編でレポします。

天空の湿原 雨竜沼湿原

2017-09-17 18:20:26 | 北海道低山紀行 & Other
月形町で無為な一日を過ごした私は、傷心の気持ちを抱えたまま帰札したくはなかった。
修理会社から言われていたより早く、午後2時半頃にタイヤ交換は終わった。そこで私は当初予定していた増毛からの帰りに雨竜沼湿原と南暑寒別岳登山を実行することにして、南暑寒別岳の登山口に向かった。

そして今日、雨竜沼湿原と南暑寒別岳登山を終えて、先ほど帰宅した。
雨竜沼湿原は私が想像していたよりは、はるかに広大で素晴らしかった。



南暑寒別岳は、当初快晴を期待していたのだが、残念ながら期待の眺望とはならなかった。



長時間の行動(登下山で約7時間)でいささか疲れたので、詳細は明日以降にレポすることにします。

パンク騒動顛末記

2017-09-16 11:45:26 | その他
なんとも退屈な土曜日を月形町で過ごしています。今ごろ増毛山道の山中で喘いでいたはずなのに、と思うと残念でなりません。

ということで、暇にまかせて騒動を振り返ってみます。
車の異音に気づいたのは、当別町と月形町の中間くらいでした。
実は以前にも同じようような異音を覚えた時があったのですが、その時は車体とタイヤの間に木の枝がはさまっていたためでした。だから今回もその類だろう、と軽く考えていた節が私にありました。

ともかく、明るいところで確認しようと思いながら走り続けました。田舎道ゆえ、明るいところなどなかなかありません。
とうとう月形の街まで車を、走らせてしまいました。月形の街の端にセブンイレブンの駐車場がありました。
店舗の明かりが届くところで確認すると、なあんと異音の原因はパンクでした!

それじゃスペアタイヤに履き替えなくては、とスペアタイヤを探したのですが、見つかりません。車の説明書を確かめてみると、スペアタイヤは乗せていなく、パンク修理剤が備え付けられているだけでした。タイヤはパンクしてから長い時間走ったために、一部がバーストしていて、とても修理剤では間に合わないことを悟りました。まして、修理剤の使い方も私は良く分かりません。

そこで、セブンイレブンで月形町の修理会社を紹介してもらい、電話すると「すでにに業務は終了した。明日にしてくれ」というつれない返事で万事休すでした。

セブンイレブンの店長にお願いして、広い駐車場の片隅に一晩駐車させてもらうことにしました。その後、宿を取ろうしたのですが、車中泊の準備をしてきたこともあり、そのままそこで車中泊としました。

本格的な車中泊は失礼と考え、運転席で車中泊体制を取ったのですが、寝付かれません。すると、保険会社のことが思い浮かびました。
保険会社に電話をすると、ロードサービスと契約している、と聞いたので俄然希望が出てきた思いでした。
しかし、ロードサービスとのやり取りから、ロードサービスは車のレッカーサービスだけで、しかも私は同乗はできないとのこと。
これでは私は夜空の下に投げ出されることになります。ロードサービスの利用を諦めました。

そして今朝、地元の修理会社に連絡を入れると、レッカーがやってきて工場まで運びました。会社に私の車に合うタイヤの在庫はありませんでした。そこで岩見沢にあるタイヤ会社から取り寄せることになったのですが、岩見沢の会社でもサイズの合うタイヤは午後に入荷とのことで、それまで私は手持ち無沙汰というわけなのです。本夕4時頃には修理が完了しそうです。

さあて、困ってしまった私は、ともかくなんとかして時間を潰さねばなりません。
ところが、月形町は特別見るべきところもありません。
唯一の見どころ「樺戸博物館」はすでに以前見ています。さらに私は以前に空知24市町村全てのフットパスコースを巡っていて、当然月形町も歩いているのでまったく困ってしまいました。

そこでとりあえず、町民の憩いの場である「皆楽公園」に来ました。石狩川の直線化工事によって出来た沼を中心に造成された公園です。
近隣ではキャンプ場として人気のようでたくさんのテントが張られていました。
また、沼ではたくさんの人が釣り糸を垂れていました。



ここでアイデアがひとつ生まれました。「そうだ!まだ月形刑務所に行ったことがない!」調べると中にはまったく入れそうではなかったが、時間だけはあるのでてくてく歩い向かいました。皆楽公園から片道20分、暑い中のウォーキングでしたが、入口に着きました。
しかし、その厳しさは一般人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していました。私は国道からの引き込み線を少し入ったところで写真を撮らせてもらうと、すごすごと刑務所を後にしたのでした。



そして今、再び皆楽公園に戻り、長い長い「パンク騒動顛末記」を書き上げたのでした。後はパンクが直るのを待つだけです。(終わり)

がっくり… 月形町にて

2017-09-15 18:55:44 | 道内の旅

明日の「増毛山道体験トレッキング」に参加するために増毛に向かっていたところ、タイヤがパンクしてしまいました。
パンクの経験などなかったことから、かなり走行してしまったために、応急措置では走行が難しい状態です。
山道トレッキングは断念するしかありません。
今夜はここ月形町に宿泊し、明朝修理会社でタイヤを修理して、帰札しようと思います。もう、がっくりです。

増毛に向かうのに、何故月形町?と思われるかもしれませんが、実は国道231号線が崖くずれのために不通になっていたために迂回している最中にパンクになったというわけなのです。


札幌麺紀行 126 手打ちうどん寺屋

2017-09-14 15:13:48 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 適度な弾力があり、もっちりとした感じの麺が心地よく喉を通り過ぎる。出汁もほどよく利いていて、「手打ちうどん寺屋」のうどんは評判通りの美味しさだった。 

               

 いつか訪れてみたいと思っていた「手打ちうどん寺屋」にこの度ようやく訪れることができた。
 その理由は単純なのだが、HTBテレビの「おにぎりあたためますか?」の番組で過去14年間に訪れた札幌のお店のベスト10をランキングするという企画で、「手打ちうどん寺屋」が見事第一位に輝き、番組出演の大泉洋が絶賛したという番組をたまたま観てしまったからだった。

               
               ※ 店内には「おにぎりあたためますか」で「札幌アワード2017」で第一位に輝いたトロフィーが飾られていました。

 9月13日(水)昼どき(12時半過ぎ)お店に向かうと、駐車場は一杯で、さらには私たちの前に1台が待っていた。10分くらい待ったところ駐車場が空き、ようやく入店となった。 
 入店すると席はほぼ満員状態だったが、幸いにも直ぐに着席することができた。
 店内は主として二人用のテーブルがあまり広いとはいえない空間に並んでいた。下記のデーターでは4名テーブル席3となっているが、それを二人席に分割して並べているようだった。

               

 何をオーダーするか決めてはいなかったが、私は基本「ぶっかけ」にしようと思っていた。
 メニューを見て、私は「かき揚げぶっかけ」(1,000円)、妻が「天ぷらうどん」(850円)を注文した。

               
               ※ 妻が注文した温うどんの「天ぷらうどん」です。

 少し時間が経つと妻が注文した「天ぷらうどん」が運ばれてきた。私の方はなかなか出てこない。
妻の「天ぷらうどん」のたれを失敬して飲んでみると、出汁が効いて上品な味だった。
 まだ私の「かき揚げぶっかけ」は出てこない。今度は妻のうどんの方を失敬した。う~ん、コシがあって、ほど良い噛み応えだ。期待は高まった。

               
               ※ 私がたのんだ「かき揚げぶっかけ」です。かき揚げの大きさが印象的です。

 着席して20分ほども経ったろうか?ようやく私の「かき揚げぶっかけ」が運ばれてきた。
 かき揚げがでかい!しかも揚げたてである。まずは、かき揚げはおいておいて、添えられてきたたれをかけ、さらにスダチを絞って、麺だけをするすると…。旨い!弾力があるうえ、もっちりとした食感が何とも言えない旨さだ!
 続いて、かき揚げを食したが、揚げたてのホクホク感、上手に仕上げたサクサク感がたまらない。
 エビ、タマネギ、ゴボウ、カボチャが絶妙に絡まって美味しさを演出していた。ただ、私にはボリュームがありすぎたかな?妻と、「今度は二人で一つのかき揚げを頼むくらいがちょうどいいね」と話し合った私たちだった。

 かき揚げも、うどんも、私にはボリュームたっぷり!美味しさと満腹感で満足一杯でお店を後にした私たちだった。
 
【手打ちうどん寺屋 データー】
札幌市西区山の手3条6丁目1-10
電  話   011-622-4828
営業時間   [火 ~ 金]11:00~15:00(※売切次第終了)
             18:00~21:00(L.O.20:30)(※売切次第終了)
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入店日   ‘17/09/13

ステップアップに励む人たち

2017-09-13 17:08:01 | 講演・講義・フォーラム等
 いくつになっても自らのステップアップを目指し努力する人の姿は美しい!「放送大学研究発表会」において放送大学大学院で学び、修士を終了するにあたっての二人の論文発表を聴かせてもらった。
 

 9月9日(土)午後、北大構内にある放送大学学習センターにおいて「放送大学研究発表会」において、奥谷札幌学院大名誉教授の記念講演を聴いた後、二つの修士論文の発表を聴いた。

               

 最初の発表は、佐々木可奈恵さん「エゾシカ嚥下調整食の開発と特別養護老人ホームにおける提供の試み」と題する発表だった。
 佐々木さんは病院の管理栄養士として20年以上勤務した後、現在は5年前から釧路短期大学生活科学科で講師を務められているという。
 佐々木さんの研究テーマ設定の動機は、①道内におけるエゾシカの異常繁殖の問題の解決、②エゾシカの肉が他の家畜に比べて高タンパクで、鉄分の含有量が多いという事実、③介護高齢者の低栄養問題の解決方策として、「エゾシカ」をその対象として選んだという。
 
 佐々木さんの研究は、長年にわたる管理栄養士としての経験から課題を見出し、新しい食の開発に取り組んだ経過をまとめたものであったが、その取り組みの手順、検証方法、考察、等々…。そのどれもが私が聞いていて素晴らしい内容に思えた。
 結果として、エゾシカの嚥下調整食の開発はほぼ成功したといえる内容である。ただ、彼女の評価では付着性にまだ問題があり、そのことの改善が今後の課題であるとした。

               

 佐々木さんの論文について、放送大学の客員教授を務める北海道医療大の志渡教授は、学士&修士論文に求められる「実現可能性」、「興味深さ」、「新しい知見」、「倫理的であるか」、「役に立つか」という観点を全てクリアされた論文であると激賞された。
 
               
  
 続いての発表は、高國憲二さん「在宅で生活している高齢者、障がい者への物理療法実施への実施報告」と題する発表だった。
 高橋さんもやはり理学療法士として病院で13年間の勤務を経験された後、現在は札幌リハビリテーション専門学校で後輩の指導にあたられているという方で、さらなるステップアップを期して、放送大学で学んでいると思われる。
 高國さんの研究テーマの設定動機は「病院や医療施設では多くの物理療法が活用されているが、在宅医療などにおいて物理療法が活用されているという報告が少ないため、その実態をアンケート調査によって探りたい」とするものだった。

 そのアンケート調査は、在宅分野で従事している全国の理学療法士50人(施設)に対してアンケート調査を実施したというものだった。
 残念ながら、高國さんの発表には私からでも?と思う個所がいくつかあった。
 まず、全国的な傾向を探るアンケートとしては調査数が少なくはないか、ということと回収数が23人(施設)であったことから、その数で全国的傾向を探ることははたして適切だろうかと思ったのだが、どうだろう?施設そのものがそう多くはないということなのだろうが、それにしてももう少し多くの基礎資料を得たい気もするのだが…。
 そして何より、物理療法には機器を購入する費用の負担の問題、外傷・感染などのリスクが伴うといわれる問題、そうした問題を超えてまでも在宅医療に物理療法を導入するメリットが門外漢である私には伝わってこなかったところが残念に思えた。
 ただ、私自身がそう遠くない将来に四肢の働きが困難になって在宅医療を受ける身にならないとは限らない。そうした時には門外漢などとは言っていられないと思いながら発表に聴き入ったのも事実である。

               

 高國さんのまとめは、彼が物理療法の専門家であるからだろうか、あくまで在宅医療に物理療法を導入することを前提として、物理療法を在宅分野に必要とされる環境をつくっていきたい、とまとめられたが、若干の説得力に欠けた発表だったような気がしたのだが…。
 コメントを寄せられた放送大学の客員准教授である札幌保健医療大准教授の常田美和氏は、「道半ばですね。頑張ってください」というようなコメントをされていた。

 発表の内容はともかくとして、私には発表されたお二人の姿勢に大いに触発されたし、また感心もした。二人はこれまでのキャリアを生かし、すでに社会の第一線で活躍されている方である。
 そうしたお二人が、現在持っている専門性をさらに高めたいと放送大学の大学院に学ぶという姿勢に率直に敬意を表したいと思った。
 お二人の今後益々の活躍を願い、エールを贈りたいと思った。


 ※ 昨日の拙ブログで「日ハムの大谷選手の今シーズン後の去就が明らかになっていない」と記したが、今夕発行の道新夕刊に「来シーズン米大リーグに挑戦」という記事が一面に掲載された。あゝ、やっぱり行ってしまうのだなぁ、という残念な思いが私を支配している。しかし一方、行くのなら是非とも成功してほしい!という思いもまた強い。 


大谷翔平投手、最後の雄姿?

2017-09-12 22:52:17 | スポーツ & スポーツ観戦
 シーズン終了後の去就がいまだ明らかになっていない大谷選手だが、今シーズン投手として復活した姿をこれまでファンには見せてくれなかった。大リーグ移籍が囁かれる大谷投手が札幌ドームで投げるのは、あるいは最後?そんな心配をしながら今シーズン初の快投を見守った。 

          
          ※ 私の席からドーム全体を魚眼風のアクセサリーを使用して撮ってみました。

 秋のプロスポーツ観戦シリーズは、過日のフットサル観戦に続いて第二戦である。
 この日(9月12日)は中央区民デー招待として早くからチケットを入手していたのだが、直前になって「大谷投手が先発!」という幸運に出くわし、喜び勇んでドームに向かった。

 招待チケットは、C指定席というドームの天井付近の席なので、私は入場後にアップグレードしてホーム側A指定席を買い求めて、三塁側の内野席に陣取った。

 今の時期の日ハムのゲームは、消化試合的色彩を帯びているので、私はゲームの帰趨よりも、もっぱら大谷投手を追い続けることにした。
 何度も何度もカメラを構え、大谷投手のピッチングフォームを写し、瞼に焼き付けようと思った。(それらを繋ぎ合わせて、分解写真風に並べてみた)

               

               

               

               

               

               

               

               

               
         ※ この日は投球数80球制限と聞いていたので、たえず球数を気にしてデータを眺めていました。写真はまだ2回途中のデータですね。

 さて、大谷投手の出来であるが、今シーズンこれまでに二度先発したが、いずれも思うような結果を出せずに今日を迎えた。
 しかし、今日の大谷投手は本来の彼の姿にかなり戻った、と言って良いのではないかと思われた。四球が多い(3個)、三振が少ない(4個)など物足りないところは確かにあるが、5回2/3を1安打失点ゼロに抑えたのだから十分である。球速も一球のみだったが163キロを記録した。大挙して押しかけたという大リーグのスカウトたちも改めて彼の凄さを実感したのではないか?

               
               ※ 5回 2/3を投げ終えたところで球数が78球となり、降板してベンチに帰る大谷投手には盛大な拍手がおくられました。

 試合の方は、若手の横尾選手の3点本塁打、さらに西川選手も2点本塁打で続き、投げては大谷の好投を受け継いだリリーフ陣が零封し、7対0という久しぶりの快勝だった。

               
               ※ 先制の3点本塁打を放った横尾選手の力感あふれる打撃フォームです。

               
               ※ 横尾選手、西川選手のホームランに大喜びする外野応援席の様子です。

               
               ※ 殊勲選手としてインタビュートラックに乗った大谷選手ですが、私のところからはやや影になりました。

               
               ※ オーロラビジョンに映ったインタビューを受ける大谷選手です。       

 さて、大谷選手の去就であるが、ファンとしては残ってほしい思いでいっぱいなのだが…。
 大リーグ機構のポスティングシステムが変更になったことで、日ハム球団がどのような判断を下すのだろうか、という思いもあるが、最近の大リーグのスカウトたちの動きを見ていると、大リーグ移籍が既定路線のようにも感じられる…。
 さて、日ハムは、そして大谷選手は、どのような判断を下すのだろうか?

江戸時代、日本は鎖国状態ではなかった!?

2017-09-11 21:47:59 | 講演・講義・フォーラム等
 高校時代に習う江戸通史においては、江戸幕府は他国との政府間交渉を断ち、鎖国状態にあったと習ったが、講師の奥谷氏は朝鮮からは正式な使節(朝鮮通信使)が来日していたことから鎖国状態にあったとは言えないのではないか、と言及された。 

 9月9日(土)午後、放送大学学習センター(北大構内)において「第15回放送大学研究発表会」が開催された。私は放送大学に学んでいるわけではないが、道民カレッジとの連携講座だったこともあって、参加させてもらった。

               

 その研究発表会の最初のコマとして、札幌学院大学名誉教授の奥谷浩一氏「江戸時代の朝鮮通信使の歴史的意義」と題して記念講演された。
 奥谷氏はまず「朝鮮通信使」とは、日朝両国の正式な外交関係にもとづき朝鮮から日本へと国書をもって派遣された正式の使節団のことを日本側から指し示す言葉であるとした。この使節団は李氏朝鮮国王が室町時代の足利将軍に派遣したのが始まりとされ、その後定期的に日本への派遣が行われていたようだ。
 ところが豊臣秀吉の朝鮮侵略によって中断されてしまい、徳川家康の時代になって朝鮮に対して国交の回復と朝鮮通信使の派遣を要請したという。それに応える形で江戸時代には計12回もの朝鮮通信使が国書を携え、江戸幕府を訪れているという事実があったという。
 これまでの記述の中で、日本から朝鮮への使節はなかったのか、という疑問が残るが、朝鮮としては秀吉時代の苦い思いがあるために、日本の使節は釜山からの北上は許されなかったという。

               

 ソウルから江戸まで約4,000キロ、人間の足で速くて5ヵ月、時には10ヵ月もかけて、400名から500名に及ぶ使節団による大旅行だったという。それまでして行われた文化的意義を日本側から見ると、奥谷氏は主に次の4点が考えられるという。(実際には奥谷氏は計7点を示されたのだが、紙面の都合上4点に絞った)
 ①日朝の学者・知識人たちが漢詩文の応酬を行うことで多くの出版物が残された。
 ②日本の学者たちは朝鮮通信使として随行した学者たちと学術的な質疑応答を行ったことで、江戸時代の儒学及び朱子学の発展に寄与した。
 ③朝鮮側は日本側の要望に応えて1682年の第7回朝鮮通信使から「良医」を随行させることによって、最新の朝鮮医学が日本に伝わった。
 ④朝鮮通信使は我が国に多くの書・漢詩文・絵画を残し、それが大きな影響を与えた。

 以上は文化的側面から見たことで、他の面でも朝鮮を通じて大陸の経済・文化、あるいはその他の面でも大きな影響があったと考えられる。
 一方、朝鮮にとっても奥谷氏は触れられなかったが、大きなメリットがあったものと考えられる。
 こうした事実から、奥谷氏は従来の「鎖国史観」は改められるべきであると強調された。

               
               ※ 韓国では写真のような朝鮮通信使をかたどった人形が販売されているという。

 また、民間サイドで「21世紀の朝鮮通信使 ソウル~東京 日韓友情ウォーク」なるものが開催されていて、奥谷氏自身2013年に実際にこの催しに参加され、ソウル~東京間を歩かれた体験があり、その際の多くの写真を講演の中で見させていただいた。
 朝鮮通信使が日韓の交流を深めたという事実は、現在ユネスコの世界記憶遺産に登録を申請中とのことだった。
 奥谷氏は、こうした歴史的事実をさらに明らかにすることによって、なにかとぎくしゃくする日韓関係が真に有効的な関係になってくれることを願いたいと話し講演を閉じられた。