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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

カルチャーナイト2018を楽しむ

2018-07-21 17:21:48 | ステージ & エンターテイメント

 2年ぶりのカルチャーナイトへの参加だった。今年の私は、華麗なトリオの音楽に浸り、若者たちの勢いのある書に目を見張ったカルチャーナイト2108だった。

           

 札幌市内において、公共施設や文化施設、民間施設が夜間開放され、市民が地域の文化を楽しむカルチャーナイトが2003年から行われるようになって今回で16年目である。

 毎年のように楽しんでいた私だったが、昨年は参加できなかった。

  今年は7月20日(金)開催ということで、「どこを訪れようか?」と検討した。なにせ札幌市内105カ所で一斉に開催されるので訪れることができる施設は限られる。

 検討の結果、18時から北海道銀行本店ロビーが行われるロビーコンサートを聴き、19時から道立近代美術館で行われる書道パフォーマンスを見ることにした。

 

 お金に縁のない私は初めて北海道銀行の本店に入った。本店のロビーは天井が高く、コンサートには適した空間だった。

 ステージに登場したのは、ソプラノの倉岡陽都美フルートの大島さゆりギターの亀岡三典の三人だった。クラシックのステージをこれまでけっこう聴く機会があったが、この組み合わせのコンサートは初めてだった。

 

 演奏された楽曲は次のとおり。

  ◇T.コットラ/「サンタ・ルチア」

  ◇G.ビゼー/オペラ『カルメン』より“ハバネラ”

  ◇F.タレガ/アルハンブラ宮殿の思い出(ギターソロ)

  ◇V.モンテ/チャールダーシュ(フルートソロ)

  ◇V.ベッリーニ/オペラ『ノルマ』より“清らかな女神よ”

 

ソプラノの倉岡陽都美は声量豊かに歌い上げる実力派と見た。

          

 私が興味深く聴いたのは二人のソロだった。

 ギターの「アルハンブラ宮殿の思い出」はクラシックギターの名曲である。若き実力者亀岡が爪弾くトレモロは繊細な響きを道銀ホールに響き渡らせた。

          

 フルートの大島さゆりは、彼女の美貌が際立っていたが、技量の方もそれに負けてはいなかった。彼女が披露した「チャールダーシュ」は、ヴァイオリニストが挑む超絶技巧の曲として、これまで何度かヴァイオリンで聴いていたが、フルートでは初めてだった。フルートの世界でも超絶技巧の曲として有名らしい。その難しい曲を大島さゆりは見事に演奏し切った姿が眩しかった。

          

 そして私にとって新しい発見は、ソプラノの伴奏としてクラシックギターの音がしっかりと耳に届き、その意外な存在感が私にとっては新たな発見だった。

 

 北海道銀行から道立近代美術館に移動し、道立札幌南高等学校書道部による書道パフォーマンスを見た。

 大きな紙に筆で大書いる書道パフォーマンスは、最近いろいろところで実施されているが、私はTVを通して見るだけで、実際に見たことはなかった。

           

 すると、書道パフォーマンスは音楽をバックにして、12人の部員たちが代わる代わる入れ替わり立ち代り書を認めていった。一枚目は大きな赤い字と黒い墨を使った小さな字との組み合わせだった。

 出来上がって披露してくれたが、私には一部判読できないところがあった。

 どうやら高校生らしく(?)“どらえもん”の歌詞の一部のようだったので帰宅して調べたところ、次のように書いたものだと判明した。

           

  今で繋ごう 

  僕ら繋ごう

  だからここにおいでよ

  一緒に冒険しよう

  何者でもなくても

  世界を救おう 

  いつか君に会えるよ

        どらえもん

 

と書いたものだった。

 そしてもう一枚。今度はほんとに大書して「百花繚乱」という4文字を書いた。

 「百花繚乱」は、現在近代美術館で開催されている特別展のテーマでもあったが、太い筆を使って勢いよく筆を運ぶ姿に若者らしさを見た思いだった。

           

 7月20日(金)夕刻は、札幌市内の各所にたくさんの人が出て、さまざまに趣向を凝らした催しを楽しんだことと思う。

 カルチャーナイトは夏の夕刻のイベントとしてすっかり定着した感がある。来年も楽しめたらと思っている。


北大講座⑤ 隣国中国はどこへ向かうのか?

2018-07-20 15:29:10 | 大学公開講座

 習近平が国のトップに君臨する隣国中国は、世界の覇権を握るのではないかと危惧されるほどの伸長ぶりを見せている。中国ウォッチャーである講師が、これまでの中国、そしてこれからの中国について興味深く語ってくれた。

 

 7月16日(月・祝)午後、この日の北大の全学企画公開講座「去る時代、来たる時代を考える」は時間も、会場もいつもと違い、北大学術交流会館で二つの講座が実施された。レポとしてはやはり二つに分けてレポする方が良いと判断し、まずは1講目をレポすることにする。

 

 1講目は「中国の改革・開放40年と習近平体制の行方」と題して、メディア・コミュニケーション研究院教授の藤野彰氏の講義だった。藤野氏は読売新聞の中国特派員や中国総局長などを歴任された後、北大に着任された中国通である。

                

 藤野氏はまず、現代中国の歴代指導者についてざーっと振り返った。藤野氏がまとめたものを紹介すると、

 ◇第1世代 毛沢東(1949~1976年)……27年間

 ◇過渡期  華国鋒(1976~1981年)…… 5年間

 ◇第2世代 鄧小平(1981~1997年)……16年間

 ◇第3世代 江沢民(1989~2002年)……13年間

 ◇第4世代 胡錦涛(2002~2012年)……10年間

 ◇第5世代 習近平(2012~20●●年?)

 

 その現代中国のこれまでを俯瞰すると、政治優先の毛沢東時代から、「先富論」を唱えて改革・開放政策に舵を切った鄧小平によって中国は大きく変貌を遂げ、現在に至っていると振り返った。

 そして藤野氏はその功罪を次のようにまとめた。

 ◆改革・開放の「功」

  ①総合国力の大幅な増強

  ②国際的地位の大幅な向上

  ③国民生活の全般的なレベル向上

  ④対外交流の拡大と価値観の多様化

  ⑤社会の開放性が増大

 ◆改革・開放の「罪」

  ①貧富格差の拡大

  ②事実上の「階級社会」復活

  ③共産党員・幹部の腐敗

  ④環境破壊の進行

  ⑤治安情勢の悪化

  ⑥大国意識の増長と対外摩擦の増加

  ⑦政治改革の停滞

 

 藤野氏のまとめでは「罪」の方が「功」の項目より数が多くなってはいるが、中国国民の大多数は「功」の部分を感じているのではないかと思われるのだが、どうなのだろう?

 日本をはじめ周辺アジア諸国やその他の国々にとってはその動向が気になる存在ではあるが…。

                

 さて、現在の中国のリーダーである習近平の登場後、豊かになった経済力を背景に強力なリーダーシップを発揮しながら、覇権的な意欲を隠そうともしない姿勢を露わにし始め、周囲に不安を与えている。その不安とは? 藤野氏は次の8点を挙げた。

  ①軍事膨張、対外拡張主義に対する国際社会の反発、警戒感。

  ②「信頼される大国」への遠い道のり。

  ③中国式高度成長路線の終焉。

  ④一党独裁に対する民主化・人権圧力の高まり。

  ⑤環境汚染・水資源不足による生存空間破壊。

  ⑥増大する貧富格差・不公平感と社会治安悪化。

  ⑦摩擦が激化する少数民族問題……チベット、新疆ウィグル。

  ⑧次のステージへの道筋の見えない不透明感。

 

 中国の台頭は私たちにさまざまな不安を与えるが、最後に藤野氏はそのような隣国中国といかに向き合うべきか、という点について次のようにまとめられた。

 もはやGDPの日中逆転はあり得ない状況の中で、隣国中国を過大にも過小にも評価せず、その強さと弱さを冷静に把握し、長期的展望に立った対中戦略を構築すべきではないかとした。

 そして、日本の強みである科学技術、教育、文化、環境、医療、防災安全、社会秩序などの分野で世界トップレベルの優位性を確立することが大切であると説いた。

 藤野氏の説得力ある説に概ね頷いた私だった。

 

※ いつの場合でもそうであるが、講義記録のレポはあくまで私が講師から伺ったことを私なりに受け止め、講師の発言の一部を切り取ったものであることをお断りしておきます。講師の意図が私の受け取りとは別な場合も多々あると考えられるからである。


松浦武四郎展のナビゲート

2018-07-19 15:58:34 | 講演・講義・フォーラム等

 幕末の蝦夷地を6度も旅し、“旅の巨人”と称され、「北海道の名付け親」ともいわれている松浦武四郎の特別展が北海道博物館で開催されている。その特別展の見どころを北海道博物館のナビゲーターが解説してくれた。

           

 7月14日(土)午後、北海道博物館においてミュージアムカレッジが開講され参加した。この日のテーマは「特別展 ここが見どころ!」と題して、同博物館の三浦泰之学芸員が担当した。

 三浦学芸員は特に北海道史に詳しい方で、私たちが開催している野外講座の「さっぽろの古を訪ねて」の最初の講義も担当していただいた方である。 

 特別展の正式名称は「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎-見る、集める、伝える-」であるが、これは担当の三浦氏が考えたということだ。特に、「見る、集める、伝える」という副題にこだわったということだが、その言葉はまさに松浦武四郎の人生そのものだと三浦氏は語った。

              

 松浦武四郎は、幕末の未開の蝦夷地を6度にもわたって見て歩いた。

 さらに、武四郎は蒐集家として、旅した先で貴重なものをたくさん集めたようである。

 そして、膨大な書である。旅した地を緻密に著わした地図、克明な記録を膨大に残したという。

 

 意外な事実を知った。武四郎の身長は147cmという小柄な方だったという。そんな小さな体で一日60キロから70キロのペースで蝦夷地の荒野を歩き回ったという。どこにそのようなエネルギーを秘めていたのだろうか?

 

 武四郎は16才のときに家出し、17才から日本各地を放浪し始めた。21才の時に大病を患ったために出家したそうだが、26才になって北方情勢の危機的状況を耳にしたことがキッカケとなって蝦夷地踏査を志し、還俗して蝦夷地を目ざしたという。

 

 そして28才~32才(1845~1849)の5年間に3度も蝦夷地を探検した。この時は一介の志士として、松前藩の役人や足軽、あるいは商人や番人、アイヌ民族の世話を受けながら踏査したという。

 そして、39才~41才(1856~1858)にかけてさらに3度、今度は幕府の「御雇」として踏査し、都合6度にわたって蝦夷地の隅々まで踏査した。

 

 その後、幕府に辞職願を出して、6度の踏査で見聞したことを「石狩日誌」、「十勝日誌」、「東西蝦夷山地理取調図」など、およそ45件(一説によると151冊という説もある)にのぼる著書を著わしたそうだ。

 

 明治維新後、1868(慶応4)年に明治政府に取り立てられて、北海道開拓に関わるさまざまな官位を拝命し、その間に「北海道」の名の元となる「北加伊道」という名称を提案するなど北海道の開拓に尽くしたが、1870(明治3)年自らの意思で退職した。

 それからは悠々自適の生活で、全国各地へも旅したようだが1888(明治21)年71才にして東京神田五軒町の自宅で亡くなったそうだ。

 

 講座では、武四郎の残した各種の書物から、武四郎が蝦夷地の踏査だけではなく、政治家・商人・学者・文人などと幅広い交友関係を持っていたことも紹介された。

 

 講座後、さっそく展覧会場に足を運んだのだが、その資料の多さは私の予想を大きく上回るものだった。この日はミュージアムカレッジを含めて、3つの講座を受講した後で、いささか疲れていたので、他日を期し早々に会場を後にしてしまった。

 後日、展覧会についてもレポしてみたい。


う~んコンサ敗戦 しかし光は失せず

2018-07-18 22:00:50 | スポーツ & スポーツ観戦

 ロシアWC期間中の約二か月の休戦が明けてJ1リーグが再開した。我がコンサドーレは厚別に昨年度のJ1チャンピオン川崎フロンターレを迎えての戦いだったが1対2の敗戦となった。巧者川崎の前に屈したコンサだが、その戦い方には私たちサポーターをワクワクさせるものがあった。

         

 足の故障はいかんともし難い…。久々のコンサ戦を厚別まで行って観戦しようと計画していたのだが、とてもそのようなコンディションではなく、しかたなくTV観戦となった。

 

 対戦は試合巧者の川崎がボールポゼッションでコンサを上回り、札幌陣内での時間が多かったが、コンサは粘り強く守り、時には鋭い反撃で何度もチャンスを作ったのだが…。

 前半をなんとか0対0で折り返したいと思われた42分、GKのク・ソンユンが相手シュートを弾いたところを詰められて1点を献上してしまった。

 

 さらに後半開始直後の52分、今度は川崎のエース小林に技ありのシュートを許し、0対2となり試合は難しくなってしまった。

 その後もコンサは粘り強くチャンスは作るものの決めきれず時間だけが過ぎていった。

 このまま試合終了かと思われたアデショナルタイムに入り、途中出場の小野のシュートが相手DFのハンドを誘い、福森のFKを相手GKが弾いたところに都倉が詰めていて1点を返したが時すでに遅く、試合終了のホイッスルを聞いてしまった。

 

 試合は残念な結果であり、J1中断前からこれで2連敗(天皇杯を除いて)となってしまった。ちょっと心配ではあるが、これがJ1の厳しさだろう。前半戦を5位で折り返したことのほうが予想外の出来事だったのだから…。これからはますます厳しい戦いが予想される。

 しかし、今日の試合を見ていて、けっして悲観することはないと思った。

 相手の川崎は確かに戦力的にもコンサを上回っていて、試合巧者だった。それでも今年のコンサは少しも臆することなく、試合の随所において攻撃的姿勢を見せてくれ、試合を見ている私たちをワクワクさせてくれるシーンが何度もあったからだ。私はミシャサッカーを熱烈に支持したいと思う。

 

 後半戦のJ1は神戸や鳥栖には元スペイン代表の大物選手が加入するなど勢力地図にも変化が見られ、厳しさは一層増すものとみられる。

 そうした中においても我がコンサドーレは、そこに伍して十分に戦ってくれるものと確信させてくれる今日の試合だった。

 

 ミシャ監督の「冒険コンサドーレ」のポスターを部屋に飾って、熱烈応援を続けたいと思う。コンサドーレ!!


パークジャズライブ in 教育文化会館

2018-07-17 21:35:09 | ステージ & エンターテイメント

 まさにJAZZ(自由な音楽)である。ビッグバンドあり、トリオあり、ソロ演奏あり、と…。さらには、Jポップ風のバンド、そして極めつけは和太鼓の登場と多彩に彩られたパークジャズライブ in 札幌市教育文化会館会場だった。

          

          ※ 総勢70人というビッグバンドの中のビッグバンド「Enjuラテンオールスターズ」のステージです。          

 札幌では今、パシフィック・ミュージック・フェスティバルと、サッポロシティジャズの二つのミュージックフェスが同時進行中である。

 好奇心旺盛な私はどちらも気になるのだが、7月15日(日)はパークジャズライブを楽しむために札幌市教育文化会館へ足を運んだ。

 

 私にとっては久しぶりのパークジャズライブだった。なかなか日程が合わず、このところ数年参加することができなかった。

 今年は幸い特に他に予定もなかったので参加を決めていたのだが、「さて、どの会場で?」という問題があった。何せ札幌市内16会場で同時に開催されていたからだ。

 ジャズミュージックの世界などとんと疎い私としては、どこの会場に優れたミュージシャンが集うのか、などということはまるで分らなかった。

 そこで私が選択したのは?我が家から近く、座席も確保できそうで、雨の心配もないという、極めて非音楽的要素から「札幌市教育文化会館小ホール」(以下「教文会館と表記」)

に決めた。

 

 結果としてこの選択はまぐれ当たりだったかもしれない。

 教文会館小ホール会場のラインナップは次のとおりだった。

 ◇ケニー三上とニューアルバトロス

 ◇濱田樹

  

 

 ◇BECON

  

 

 ◇ぶっちーず

  

 

 ◇室蘭市立翔陽中学校ジャズバンド部

  

 

 ◇Free Formless Jazz Orchestra

  

 

 ◇平たい顔族

  

 

 ◇JASS915アンサンブル

  

 

 ◇mifushito

  

 

 ◇Enjuラテンオールスターズ

  

  ※ 「Enjuラテンオールスターズ」のステージの最後は、サンバ娘が登場し、華やかに賑やかなステージとなりました。

 ◇らんびょうし

  

以上11組だったが、私は2番手に登場した濱田樹さんのギターソロから聞くことになった。

 

 私は結局10組のステージを楽しんだのだが、率直な感想は登場した人数や音楽の多彩さ、そして技量の巧拙など、まさに玉石混交といった感じだった。それがいいのだが…。

 

 先に教文会館は当たりだったかもしれない、と記した。その理由の一つにビッグバンドの割合が多かったことだ。BECON、翔陽中学校、Free Fomless、JASS915、Enjuラテンオールスターズと5組ものビッグバンドが登場したからだ。

 特にBECONは、小学校でJAZZ系の管楽器クラブとして活動していることで有名な学校である。さらには、室蘭市の翔陽中学校は統合前の鶴ケ崎中学校のジャズバンド部の系譜を受け継ぐクラブで、その腕前には折り紙付きである。

 そして、Enjuラテンオールスターズはステージから溢れんばかりの総勢70名が発する大音量が会場を圧した。

 

 それにしてもその規模の大きさには驚かされる。私が数えたところでは、この日16会場でステージに登場した数は183組である。前日14日にもほぼ同数の会場で、同じくらいの数が登場しているから優に300組を軽―く超える。

 ほとんどの方がアマチュアだと思われるが、ジャズ系(そうでないミュージシャンも登場したが)のミュージシャンがこれだけ活動していることに驚いた。

 

 パークジャズライブ、なかなか面白い。来年もまた、どこかの会場に駆け付けようか!?


札幌学院大公開講座⑭、⑮ 新たな展開、そして…

2018-07-16 20:13:57 | 大学公開講座

 札幌学院大の公開講座「人間論特殊講義」も最終回を迎えた。今回は、公開講座を修了した後の展開に向けて考えること、そして地元江別市長の特別講義を拝聴した。

  このところ、講座受講録のようなブログとなってしまっている。自分としては本意ではないのだが、いたしかたない。というのも、このところ足の具合が悪くアウトドアフィールドにでかけることができなく切歯扼腕の日々を送っている。早く回復したいと焦りを感ずるのだが、こればかりは回復をひたすら待つしかない。

 ということで、しばらくは講座受講記録のブログとなってしまいそうだ。

 

 札幌学院大学の公開講座は5月以来、毎週土曜日に受講してきたが、2日ほど都合が悪く欠席したため、15講義中、11講義に出席し、この日最終講義を迎えた。(札幌学院の講座は二つの講義が連続して行われる形式だった)

 第14講座は、「新たな展開に向けて」と題して、同大学の新田雅子准教授白石英才教授がコーディネーター役となって、受講者がグループワークをするものだった。

 グループワークの趣旨は、受講者が15回の講座を受講したことで終わりとするのではなく、今回の受講を契機として学びや交流の場に発展することができないか、ということについて受講者同士がディスカッションしてほしいという趣旨だった。

           

       ※ グループワークはSGUホールというところで行われたが、そこの机がユニークだった。

        下部に滑車が付いていて移動が自由なこと、上部のテーブルも可動式のためグループワークには最適だった。

 コーディネーターからは、「世代と立場をこえた学びと交流の場」として、月2回程度札幌学院大学で、その都度大きなテーマを設定して、ワークショップやフィールドワークを取り入れた交流の場を作ってみては?という具体的な提案もいただきながら、受講者がグループに分かれて検討した。

 私も4人のグループに組み分けられ、グループ討論を行った。

 結論として、私たちのグループも、全体のグループにおいても、突然の提案という感は免れなかったこともあり、提案にはやや消極的な考えだった。

 私自身としても、テーマなどに大きな魅力があれば馳せ参じてみたいと思うが、車で40分もかかるとあっては、積極的にはなれないところがあった。

 はたして大学側が具体的な提案をされるかどうか、その動向を見守りたい。

           

          ※ グループワークの後の各グループの討議内容を全体に報告しているところです。

 続いて、第15講義は最終講義としての位置づけで、地元江別市の三好昇市長「人口減少時代のまちづくり~江別市の人材を活かした雇用・労働・観光分野~」と題して講義された。

 三好氏は江別市の特色である私立4大学が集う江別市だが、卒業生が江別市に留まる(職を得る)人が少ないことを嘆かれ、なんとか受け皿づくりのための施策を講じたいとし、地元企業への有給のインターンシップ制や学生地域定着自治体連携事業などに取り組んでいることを強調された。

               

               ※ 三好昇江別市長

 しかし、三好氏の印象は能吏な行政マンという印象は拭えず、全てに目配りを忘れない、欠点のない行政を目指すという印象が強く、外部の者が聞いても面白みに欠ける内容であった面は否めない。いや、行政の首長としてはその安定性が最も大切な資質であることは違いないのだが…。

 

 6日間にわたり、計11講義を受講した今回の公開講座だったが、はたして車で往復80分をかけて受講する価値があった講座だったかどうか、私の中では評価は定まっていない。後期もまた公開講座が予定されていると聞いたが、今のところそれにどう対応するかまだ決めてはいない。


北大講座④ 総長が語る北海道大学の挑戦

2018-07-15 21:39:32 | 大学公開講座

 北大の総長が公開講座に登場するのは初めてだという。そうした貴重な機会を得た私たちは、名和総長の時にユーモアも交えながら、世界的な情勢を語り、北海道大学が果たすべき役割について語る名和総長の話に聞き入った。

 

 7月12日(木)夜、北大の全学企画公開講座「去る時代、来たる時代を考える」の第4回の公開講座があった。

 この回は、「世界的課題解決に貢献する国立大学の使命~北海道大学の挑戦~」と題して、北海道大学総長の名和豊春氏が講義された。

       

 名和氏はまず、世界が当面している諸課題についてさまざまな統計などを用いて説明された。環境・気候変動問題、食料・鉱物・エネルギー資源の枯渇、感染症の蔓延、等々…。

 その中でも特に、世界の人口が爆発的に増え続け、今や地球の人口が80億人時代を迎え、食糧危機が目前に迫っていることに強い警鐘を鳴らした。

 

 さて、そうした世界的課題を前にして、北海道大学リーダー(総長)として名和氏は北海道大学をどこに導こうとしているのか?名和氏は語った。

 名和氏は北大を二つのポリシーを掲げて北大を導いていこうと考えている、と語った。

 その二つとは、〈1〉「世界トップ100を目ざす研究・教育拠点の構築」〈2〉「北海道の地域創生の先導」の二つだという。

 

 北大は札幌農学校として発足以来、①全人教育、②フロンティア精神、③国際性の涵養、④実学の重視、を伝統としてきたが、その精神を継承しながら新たな時代の課題に果敢に挑戦したいと語った。

 そのための環境づくりとして、国際社会で活躍する同窓生によるキャリア教育や海外留学の経験、さらには多様な人種・文化・宗教・国籍を持つ留学生とともに学ぶ場を設けることによって、大学内に「国際社会の縮図」ともいえる環境を作り、課題解決型の学習を推進したいと語った。

 

そしてポリシーの〈1〉の実現を目指すために、北大の研究者の研究で世界水準にある研究については国内外に積極的に情報発信するとともに、AIやビッグデータなどのデータサイエンスの活用し、工学や生命科学、医学、農学、人文社会学が融合的にかかわるネットワーク科学の推進に努めたい、とした。

 

 一方、〈2〉の「北海道の地域創生の先導」については、北大には札幌農学校開校以来、農学の知が集積されているが、これらを工学・保健科学・経済学などの分野と融合させた技術体系を確立し、北海道の地域創生を目ざしたいとした。具体的には各種機関・官庁とも連携し「日本版フードバレー」を整備し、スマート農業を展開することだという。

 名和氏はご自身の専門が工学だからだろうか?工学と農学が融合することによって、センサーで生育情報を収集し、ビッグデータ解析によって最適な栽培管理を行うスマート農業の実現にことのほか熱心なように聞こえてきた。さらには、AIを活用した画像分析による病虫害の早期発見や、ロボット化と自動化による農業の省力化、農薬の使用の減少、などにより生産性の飛躍的な向上が可能になるとした。

 農業の生産性の向上だけではなく、経済学との融合も図ることにより、生産現場と加工・流通分野との連携も強化することで、北海道をより魅力的な地域へと発展していくことを先導したい、と語った。

 

 名和氏は最後に、世界的課題の解決に向けて、教職員が一体となって挑戦し、「独立心と自立心を持つ豊かな北海道大学」を創っていきたいと結んだ。

 総長自らが、私たち一般市民に対して、大学の理念や夢を直接語りかけてくれたことはとても意義深いひと時であった。そうした総長の積極果敢な姿勢を一市民として心から応援したいと思った。

 

 と思いながら帰宅したところ、その日の北海道新聞夕刊の一面に「スマート農業」と題するコラム記事が載っていた。ここに引用しておくことにしたい。

 

 「グォーン」。広大な大豆畑にエンジン音を響かせ、衛星利用測位システム(GPS)搭載のトラクターが進む。ハンドルを握る人がいなくても、誤差は数㌢。SF映画のようだ。

 三浦農場(十勝管内音更町)の三浦尚史社長(47)は6年前から、後続の有人機が無人トラクターを監視・制御する2台連携システムを北大と共同開発してきた。99㌶もの畑を、わずか5人で耕す。

 トラクターを直進させ、種まきする技術の習得に、昔は4~5年かかった。三浦さんは「素人でも作業可能になり、経営面で効率が飛躍的に上がった」と言う。

 ドローン撮影の画像を利用したきめ細かな農薬散布、センサーによる温度管理…。情報通信とロボット技術を組み合わせた「スマート農業」が、一気に花開こうとしている。背景には深刻な担い手不足と、働き方改革がある。

 一次産業の国勢調査にあたる農林業センサスによると、2015年の全国農業就業人口は209万7千人と、5年間で50万人も減った。平均年齢は0.6歳上がって66.4歳。労働時間短縮や作業量軽減など、農業を魅力的な仕事にすることが急務だ。

 農水省は5年前にスマート農業の研究会を設置。国内農機具メーカーは秋以降、相次ぎロボットトラクターの発売を予定している。

 12日に帯広市郊外で開幕した4年に1度の国際農業機械展(ホクレンなど主催、16日まで)では、国内外134社が新製品を披露する。近未来農業の姿をぜひ見に行きたい。

 

 記事は農業就業者の高齢化、就業者不足に焦点を当てているが、名和氏の論はもっと遠大でスマート農業が世界の食料不足の解決策の一つであることを視野に置いている。その点にやや違いはあるものの、スマート農業の現在地点を示す記事なのではと思い紹介した。


夕張市の挑戦 RESTART

2018-07-14 21:04:15 | 講演・講義・フォーラム等

 財政破綻から10年、懸命な再建を図る夕張市だが未だその後遺症に悩まされている。しかし、若き鈴木市長を先頭に逞しく前を見て進んでいるようだ。「RESTART Challenge More.」を合言葉に。市役所職員からお話を聞いた。

           

          ※ 夕張市役所の正面玄関です。立派な外観に見えました。

 7月11日(水)、いしかり市民カレッジの「大人の遠足」で最初に訪れたのは夕張市役所だった。

 財政破綻直前の平成18年度には市職員が263名勤務していたという庁舎は5階建ての立派な建物だったが、現在の職員数は100名だという。庁舎内を巡らせてもらったが、建物が大きいだけに寂しい感じは隠せなかった。

           

          ※ 市役所内は昼休みだったせいでしょうか?閑散とした感じが目立ちました。3階かな?

 私たちは4階の会議室に案内され、企画課の左近航氏(入庁8年目という若手の職員)から、財政破綻の背景、そこからの再建を目指す今の姿についてお話を聞いた。

 まず人口であるが、今年5月末現在で8,267人だそうだが、破綻前の平成17年には13,000余人だったという。

 左近氏は夕張市のおかれた現状をてらいもなく披瀝してくれた。それによると、平成27年度の国勢調査によると、夕張市は全国の市の中で、次の項目がワースト1だったそうだ。

 ◇人口減少率         ➪ 年-4.1%

 ◇15歳未満人口率(少子率) ➪   5.7%

 ◇15歳~64歳(生産人口率)  ➪  45.8%

 ◇65歳以上人口率(高齢化率) ➪    48.5%

さまざまなデータは夕張市のおかれた厳しい現実を示している。しかし、左近氏は「夕張市の現実は、世界で誰もが経験したことがなく、今後日本中が直面するであろう課題にいま向き合っている」と語った。

           

          ※ 夕張市役所企画課の左近航氏からお話を伺いました。

 左近氏は夕張市が陥った財政破綻の原因について触れた。その要因は◇閉山処理費(580億円)、◇観光施設の建設(170億円)、◇観光施設の管理運営費(年40億円)などだそうだ。

 外からは観光施設への異常投資が破綻の原因と聞いていたが、確かに観光施設の建設も要因の一つではあるが、炭鉱の閉山処理費が非常に大きな要因だということを教えてもらった。門外漢には炭鉱閉山の処理費用が地元自治体の負担になるとは、理不尽な気もするが、そうなっているんですね。

 

 財政破綻後、夕張市は財政の再建に奔走し、全国最低水準の市民サービスに徹し、生命に関係のない事業を削減することによって返済を実現してきたそうだ。

 夕張市の解消すべき債務額は353億円で、これまで10年間で116億円の返済を終えているという。残り237億円を平成38年までの10年間で返済する計画だという。

 左近氏は言う。財政破綻で失ったものは、お金だけではない、市民生活だけでもない。最も痛手を受けたのは「地域の誇りが失われたことだ」と…。

 

 財政破綻から10年を経て、夕張市では平成28年度に「地域の誇り」を取り戻すために、

総合戦略を策定したそうだ。そのキャッチフレーズがRESTART Challenge More. ~夢を主語に、挑戦するまちへ~」と制定し、新たなスタートを切ったという。

 これからの10年間は「財政再建」と「地域再生」が夕張市の大きな課題だという。財政再建についてはこれまでの再建策の継続であるが、地域再生については「人の距離を近づける施策が必要」だという。そのために、コンパクトシティ構想を実現することだという。

 それは炭鉱全盛時代に夕張に脈々と息づいていた「一山一家」の現代版をまちづくり根幹に据え、地域の人々のゆるやかな結びつきで、互いを尊重し思いやれるまちを目指すことだそうだ。

 

 そして今夕張市が取り組んでいるコンパクトシティ構想の施策が次々と紹介された。

 夕張市の人口は、自然減に加えて社会減も他都市を上回る勢いだから、おそらく人口減は続くだろう。しかし、若い鈴木市長を始め、市職員も説明役を買って出た左近氏がもはやベテランに数えられるほど若い職員が多数を占めているという。

 若さが、熱が、きっと夕張市に新たな息吹を吹き込んでくれるに違いない。もちろん住民たちも手を携えて…。

 夕張市のRestart、そしてChallengeを見守っていきたい。


石狩市民カレッジ 大人の遠足

2018-07-13 18:48:40 | 札幌(圏)探訪

 「大人の遠足」と称して石狩市民カレッジでは、夕張市を訪れた。財政破綻をした背景、そこからの再起を図る夕張市について市役所職員からお話を聞き、その後「石炭博物館」、「幸せの黄色いハンカチ 想い出ひろば」、「滝之上発電所」を巡って歩いた「大人の遠足」だった。

        

       ※ 石狩市の所有するバスでの「大人の遠足」だったために割安で実現できたようだ。

 7月11日(水)、石狩市民カレッジが講座の一環として「大人の遠足」と称して夕張市を訪ねる企画があり、参加した。この企画は、参加費400円(市民カレッジ生)だけでバス代の徴収はなく、道民カレッジと連携しているため7単位が取得できるという美味しい企画なのだ。(ただし、入館料など別に1,200が必要だったが)

  本日のレポでは、夕張市の職員からお聞きした話で一項起こせそうにも思うので、そのほかの三カ所を訪れた印象を記すことにする。

 

【夕張市石炭博物館】

          

         ※ 夕張石炭博物館の概観です。

 石炭博物館は旧北炭夕張炭鉱跡に立地された施設のようである。

 博物館の建物は2階建てで、そこに常設展示があり、それに続く地下展示室・模擬坑道がこの博物館のセールスポイントらしい。

 博物館は今年4月にリニューアルオープンしたということだが、博物館の周辺には1980(昭和55)年当時開館した観光客向けの売店などの廃墟がそのままになっていて、わびしさは隠せようにもない感じだった。

 博物館の展示室に入ったが、正直な感想としては広い展示室を持て余している感じだった。特別に目を止めるような展示もなく、「これで入館料1,080円(団体は860円)は高すぎ!」と思ったほどだ。

          

         ※ 石炭博物館の展示場に展示されていた当時をしのぶ各種の掘削道具や安全対策器具です。

 展示室からはエレベーターで地下展示室、並びに模擬坑道に導かれるシステムになっていた。エレベーターに面白い工夫が施されていた。エレベーターが下降を始めると室内が暗くなり、一気に地下坑道1,000m地点に向かうという仮想体験ができる仕組みとなっていた。(実際には地下2階程度のところ降りたと思われる)

  石炭博物館の真骨頂はここからだった。

 地下坑道のような形づくられた室内では、炭鉱の技術の推移、作業の様子、さまざまな発掘機械や道具が鉱員のマネキンとともに展示されていた。

          

          ※ 手掘りによる採炭現場の様子を再現した様子です。 

          

          ※ 少し時代は下って、機械(機械名は分からない)を使用した採炭現場の様子です。

           

         ※ そして人力に頼らないで完全に機械化した採炭現場を再現した様子です。       

 中には大型機械(ドラムカッター?)が実際に動いているところを展示しているコーナーもあった。時代とともに、採炭現場が機械化だけではなく、安全対策にも進展が見られたことが良く理解できた。それでも悲惨な事故がかなり起こったようだが…。

 

 その後、見学者はさらに地下に導かれた。そこは模擬坑道となっていて、採炭現場(切羽)を再現していた。そこには本物の石炭の層がはっきりと見て取れた。

 石炭博物館の建物内の様子では入館料が高すぎ!と思ったが、地下展示室や模擬坑道を見物にして、「少し高いと思うが、妥当なところかな?」と思い直した私だった。

           

          ※ 模擬坑道を出ると、そこには石炭の露頭がありました。

【幸せの黄色いハンカチ 想い出ひろば】

 こちらは、以前は見学料金など取らなかったはずだが、昨年リニューアルと共に見学料金540円(団体シニアは340円)が徴収されるようになったようだ。財政破綻した夕張市の再建のために協力するという意味のあるのかな?

          

         ※ 映画「幸せの黄色いハンカチ」の象徴的シーンを再現した黄色い旗がなびいていました。

 展示そのものは以前見たときとそれほど印象は変わっていないように思えた。というのも、展示でイン使用的なのは、黄色いハンカチが屋外のポールにはためくところ、屋内の壁や天井に来場者が書き残したおびただしいメッセージが張り巡らされた部屋、そして赤色のファミリアの車である。

          

         ※ 当時の炭住の長屋が保存され、その中に映画に関する諸々が展示されていました。

 あえてリニューアルした思えるところは、映画撮影時期と今日の夕張の様子を展示したパネル写真と、山田洋二監督のインタビュー映像が流れていたことくらいか?

 まあ、夕張まで行ったら立ち寄ってみたい観光スポットということなのだろう。

          

          ※ 来場者が書き残したおびただしい黄色い紙片が張り巡らされていました。

           

          ※ 山田洋二監督、鈴木夕張市長などのメッセージが記されていました。

【滝之上発電所】

 ここは一般の観光客では見学が叶わぬところである。

 夕張市内を離れた夕張川沿いに、時代を経たレンガ造りの建物がある。この発電所は1925(大正14)年、当時夕張で石炭を発掘していた北海道炭礦汽船(株)が建設した水力発電所である。

          

          ※ 大正14年に建設されたというレンガ造りの滝之上発電所です。

 その後炭礦汽船の採炭事業からの撤退に伴い、幾多の変遷を経て1994(平成6)年に北海道企業局に譲渡されたそうだ。発電所は老朽化に伴い、レンガ建屋の発電設備は平成25年に廃止され、隣に新しい発電機を備えて、平成28年10月から運転を再開しているとのことだった。

 レンガ建屋の方は産業遺産(?)として保存されているようだ。

 この発電所を見学できたのも、北海道の特別の計らいによって実現したようだった。

          

          ※ 内部に二つ置かれていた発電機の一つです。今は使われてはおりません。

 以上、けっこう中身の濃い「大人の遠足」だった。


北大講座③ 失われた20年は資本主義の終焉の始まりなのか?

2018-07-12 15:55:47 | 大学公開講座

 平成の経済史は「失われた20年」に象徴されるという。成長著しかった札幌の経済もまた高度成長→低成長→「失われた20年」と同じ軌跡を辿ったという。問題はその後持ち直したかに見える日本経済だが、講師はこれまでの資本主義の理論では説明できない現象が起こっていると指摘する。

 

 7月9日(月)夜、北大の全学企画公開講座「去る時代、来たる時代を考える」の第3回の公開講座があった。

 この回は、「日本史と平成史 ~後世の史家は何を思うか」と題して、北大大学院文学研究科の白木沢旭児教授が講師を務めた。

               

               ※ ウェブ上から拝借した白木教授の顔写真です。 

 講師を務めた白木沢教授は経済の専門家ではない。氏の肩書が示すように文学研究科ということだから、歴史の研究が専門である。その氏がなぜ経済を論ずることになったかというと、札幌市の「新札幌市史」の戦後経済史の編纂を依頼されたことが契機だったそうだ。

 

 講義の前半は、白木氏が携わった「新札幌市史」に関する戦後の札幌経済の推移を、各種統計資料を提示しながら説明された。それによると、札幌市は不動産業者の多さが目立つそうである。2009年現在の統計でも札幌市より人口の多い名古屋市と比べはるかに上回っているという。これは北海道開発事業費が他県と比較して多額なことと関係しているということだ。

 

 戦後の札幌は、他に例を見ない勢いで急発展・急膨張を遂げてきたが、やはり平成に入り各種統計共にマイナス成長を示すようになった。その中で、第三次産業だけは他都市同様平成に入ってからも一時を除き、伸長を続けているという統計が示された。

 

 私が興味を抱いたのは、講義後半になってからである。

 それは札幌経済の推移から、話が日本経済の景気回復に関する話となってからである。

 白木氏から提示された資料によると、2013(平成25)年からの日本経済は回復基調に転じている。輸出額は大幅な伸びを示し、設備投資も上向き基調である。ところが個人消費は伸び悩んだまま、という資料だった。(日本経済新聞〈以下「日経」と表記〉より)

 

 日経の資料はさらに続く。2008(平成20)年を境に、世界のGDPも、株式の時価総額も大きく伸びているのに対して、賃金は伸び悩んでいるというのだ。このことは成長の果実が資本家に流れ込んでいると日経は見ていると白木氏は指摘する。

 

 さらに日経の資料は続く。

 2000年代以降、国内において通貨供給量は拡大の一途を辿っているのに対して、金利はゼロに近い水準である。

 白木氏が言うには、資本主義においては景気が上向いてくると金利も上昇してくるのが通例だったそうだ。それが今の日本では(日本ばかりではないようだが)超低金利時代を迎えている。

 このことはこれまでの資本主義発展の理論では説明できないことだという。

 このことを指して白木氏は「あるいは資本主義の終焉を迎えているのではないか」と話されたのだった。

      

     ※ 白木氏が示した資料とは違いますが、世界の金利を示す資料を見つけたので、参考に載せることにしました。

 経済の難しいことは私には分からない。ただ、メディアや識者が言うところによると、「貧富の差が顕著になった」という論調が多いことに私自身「この先、どうなっていくのだろう」という一抹の不安がある。

 果たして「一億総中流化」を謳ったあの時代はもう帰ってこないのか…。