JFA…、ジャパン・フットボール・アソシエーション(公益法人 日本サッカー協会)のことである。つまりO-40サッカー大会は日本サッカー協会主催の正式な大会だったのだ。我が息子も出場し、それを観戦した大会を振り返ってみたい。
我が息子が所属する北海道代表の「オッサンドーレ札幌40」の戦績を息子の動きを交えて振り返ってみる。
◇予選グループA 第1試合 (10/12)
オッサンドーレ札幌40 1-0 FCプリメーロ福島レジェンド
(北海道代表) (東北代表/福島県)
この試合、センターFWで先発した息子はキレキレだったように見えた。(親の欲目?)サイドや最後列から相手ディフェンスの裏を突く縦パスに走り込むという姿が何回も見られた。残念ながらパスが通らなかったり、トラップがうまくいかなかったりして得点には至らなかった。試合は後半札幌の点取り屋(?)とMFが上手く連携して得点を挙げ、その後も押し気味の展開で危なげなく勝利した。
◇予選グループA 第2試合 (10/13)
オッサンドーレ札幌40 4-0 松山クラブ2002シニア
(北海道代表) (四国代表/愛媛県)
この試合は予選3試合の中でも唯一人工芝のピッチでの試合だった。また台風の余波でこの日は強風下での試合となった。この試合でも先発で出場した息子は試合開始早々に味方からのパスを受け、見事に先制点をゲットした。息子はその後前半途中に退いたが、残りのメンバーが次々とゴールを決め、4対0と完勝した。
◇予選グループA 第3試合 (10/13)
オッサンドーレ札幌40 0-2 坂井フェニックスレジェンド
(北海道代表) (北信越第一代表/福島県)
ここまで2試合を終え、勝ち点6で札幌はトップ、一方相手の坂井は勝ち点4で2位につけていた。文字どおり予選突破をかけての一戦だった。この試合でも息子はセンターFWで先発出場した。前半は風下だったが試合開始早々、息子がクロスバーすれすれのシュートを放ったが、相手GKが見事なセービングで弾き出し、得点に至らなかったのが惜しまれた。さらに札幌のMFがボールをゴール前まで運んだところ相手DFに引っ掛けられた。「PKだあ!」と沸き立った味方ベンチの歓声をかき消すように審判は「シミュレーション」と判断し、MFにイエローカードを示した。この辺りが、この試合の勝負の綾だったように思われる。その後風下の影響もあり、あれよあれよという間に前半に2失点を喫した。前半途中で退いた息子は、後半開始から再び登場した(この辺りがO-40大会独特のルール)ものの42歳ゆえの疲労も重なっていたのか、目立った働きができなかった。またチーム全体としてもチャンスらしいチャンスも訪れず、悔しい敗戦となった。そのことで予選敗退も決定した。
以上が「オッサンドーレ札幌40」の戦いだったが、何の予備知識もない中観戦に駆け付けた私には、40歳以上の大会ならではの独特のルール(大会規定)の存在を知った。まず試合時間である。試合は前後半25分ずつの50分間が試合時間であること。交代要員が14名まで認められ、それらの選手は試合中に何度も交代が可能であることが大きな特徴だった。(他にも細かな規定があるかも)そのルールを活用して(?)札幌では息子が第一試合、第3試合では前半途中で退き、後半再び登場するケースがあった。これなどは戦術的に面白い選手起用の方法のように思われた。
私は息子が40歳を超えてもサッカーを楽しんでいることは知っていたが、あくまで楽しみとしてやっているんだろうと考え詳しく話したことはなかった。そんな息子が全国大会に出場するような強豪チームに所属しているとは知らなかった。ここからは若干我が息子の自慢話めいたことになり、お聞き苦しいとは思うがご容赦願いたい。
「札幌オッサンドーレ40」がどんなチームかというと、元コンサドーレ札幌の河合選手が加わっていること自体が凄いことだが(河合選手は今春に引退したばかりである)、大会要項を見ると各チームの注目選手が紹介されている。その部分の「オッサンドーレ札幌40」関係のところを転写してみる。
桂田直和 選手
高校卒業後、実業団チーム北海道電力サッカー部→ノルブリッツ北海道に所属し北海道リーグで長く活躍したプレーヤー。北海道リーグ得点王、アシスト王、MVPにも輝いた北海道No.1プレーヤーの1人。ドリブル、パス、シュートどれをとっても一級品で、懐の深いプレーが特徴。当チームではエースで司令塔。チームを勝利に導くプレーをいつも見せてくれる。今季リーグ戦では得点王とアシスト王の2冠王に見事に輝く。
豊澤孝樹 選手
名門、仙台育英高校出身で全国大会出場の経験があり、宮城県選抜にも選ばれた選手。社会人になってからは北海道札幌市にてプレーを続け、札幌リーグアシスト王、北海道社会人サッカー選抜大会MVPにも輝いた選手である。視野が広くキックも正確で技巧派タイプ。攻守の要でもあり、決定的な仕事をいつもしてくれるチームの中心選手である。
山中健樹 選手
札幌市内の強豪高校を卒業後、大学サッカーを経て、北海道社会人サッカーリーグの上位リーグで長くプレーを続けている。テクニシャンでありながら、豊富な運動量と献身的なディフェンスでいつもチームを助け、そしてゴールに結びつくプレーをしてくれるサイドアタッカーである。今大会期待のルーキー。
いずれも錚々たる球歴(サッカー歴)である。対して、我が息子は上記の選手のような華々しい球歴などまったくない。道東の片田舎で小学校以来ボールを蹴っていたが、高校に入って道東から代表で北海道大会には度々出場はしていたが、1・2回戦止まりのチームだった。大学は道内では強豪の一つと目される大学に入った。そこで、私は入部を勧めたが息子は頑として拒否し、街のクラブチームに所属しサッカーを楽しむ程度だった。それがオーバー40歳代とはいえ、道内でも強豪のチームの一員になぜ所属できたのだろうか?
ここからは私の推測である。息子の特徴は脚が早いことである。サッカーのFWとしては大きなアドバンテージである。おそらく街のクラブチームでプレーしていてその脚の早さが目立ったのではないだろうか?それでいろいろなチームから誘いがあったのではないかと想像される。事実、時々親子でサッカーの話をしたとき、話すたびにチーム名が変わっていたような気がする。華々しい球歴はなくとも、40代にして道内の強豪のチームのレギュラーの座を獲得していることを父親としてはちょっぴり誇らしく思う。

それにしても40代でサッカーを本格的に楽しめるということは、さまざまな条件をクリアしたうえでないと続けられないのではないかと想像する。勤務先においては中堅としてそれなりの重要なポジションを担っており、職場の理解なしにはサッカーを続けることなど無理だろう。また、家庭においても子育て真っ最中の年代で家庭(奥さん)の理解なしでは到底サッカーなど続けられないだろう。さらには、健康面においてもピッチを走り回る若々しい体力が求められる。おそらく「札幌オッサンドーレ40」に集った25名の選手はそうした条件をクリアされた方々なのだろうと思われる。息子も幸い、そうした条件をクリアできているようだ。
今回は残念ながら目標には届かなかった「札幌オッサンドーレ40」だが、また来年挑戦するのだろうか? JFAのHPを眺めてみると、O-40、O-50、O-60と各年代別の全国大会が設定されているようだ。はたして息子はこれからも長くサッカーを続けていくのだろうか?親としては楽しみでもあり、若干心配でもある…。
以上、ちょっぴり親爺の自慢めいたお話を披露しながら、大会を振り返ってみました。最後までお読みいただきありがとうございます。