モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



多賀神社の隣(車は神社に置いたまま) 建物は 石炭記念館新館 右端に少し見えているのが 本館 筑豊石炭鉱業組合直方会議所  明治43年 111年前の建物です。

建物の間を通って 妹を案内するため裏に行きます。 私は何度も来て勝手を知っています。 

 

このトンネルは レスキュー隊の訓練のためのものです。圧縮空気式機関車があります。( ゚∀゚)アハハ八八 人がいました。

館長さんだと思うけど マスクと帽子で分からない。。

 

 

テストしました。 「今日は999 じゃないけど 333です。(R3年3月3日でした) メーテルは来ないでしょうか」

ニコッとされました。館長さんです。 初めて行った時 SLが12時に動くって言われたんです。(銀河鉄道999より)

 

メタセコイア いま研究者の説で 石炭はメタセコイアじゃなく ツツジ等の色んな樹からできたというのが有力とのこと 

そんな研究しなくていいのにね~ メタセコイアでいいじゃん やっと覚えたんですから・・・

 

龍がいます。 龍に見えませんか? 樹齢111年 建物と同じ111年前のものだそうです。

 

線路は JR筑豊本線 と 平成筑豊鉄道 が通っています。 その上の水色の橋 私の写真じゃ分かりませんが 直方駅の転車台がそのまま橋として再利用されているそうです、 館長さんはターンテーブルと仰いました。

 

ここから 館内です 因みに館長さんはいつの間にか着替え済 2tの大石炭塊 展示用として掘り出されたそうです。 

後で隣の本館で聞いたのですが 壊れないように 特殊なボンドを薄めて塗っているそうです。

 

どっちが重いか質問されました。 左が石炭 右が原石 原石を蒸して石炭にする時 副産物として  コークス コールタール ガス ができる。

だから それらが抜けてるんだから 石炭の方が軽かったです。

 

硅化木(けいかぼく) この化石は 石炭にならなかったそうです。 重くて抱えられませんでした。 瓶の中は 粉塵 吸ってじん肺になって後 亡くなられた方を知っています。

その下 シャモット 懐かしかったです。 建設会社勤務で昔、路盤材に使っていました。

 

全部  子供の頃 見ていました。 下段左は アンカ に1個いれてました。 どべ炭も作ったことあります。

電気を作るにも32% 石炭を使うそうです。 90%は輸入 国内は10% いま炭鉱があるのは北海道だけだそうです。

 

館長さんが説明されているのは 五平太船の艪(ろ)ですが、 折り畳み式で 伸ばしているところです。

これからの話が面白いのですが・・ 人工的な堀川の話 唐戸が2ヶ所あります。 興味のある方は 私のブログで検索していただくと寿命(じめ)と 中間 の唐戸が出てきます。

 

その堀川を 石炭を積んで五平太船が行く 若松港のこの写真で 館長さんは 火野葦平の父 玉井組の話から 

なんと 中村哲さんに行きついた・・・ ここで聴くとは思いもしませんでした。

 

団体客が入ってきて 蜜になるので妹と ここでそーっと抜けました。 入口まで来たら 本館の学芸員さんが企画展みませんか? とのこと  その様子は次回

 

この機関車が 初めて直方に来るとき 一番最初に運転してきたのが 館長の八尋さんだそうです。

 

2018年4月29日 除幕式の様子 鞍手高校の吹奏楽部の生徒さんたちです。 その時 友人と来賓席に座っていました。

いえ 来賓じゃないけど 一般のお客さんが いなかったからです。 

 

 

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています



コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )