鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

「さくら」の思い出

2006-03-18 15:09:38 | 思いつくまま
 今日の新聞記事に、東京と山陰地方を34年間走っていた寝台特急「出雲」が引退?したということが書いてありました。

 皆さんは長距離を走る寝台特急(または急行)に乗った経験がありますか?この記事を読んで私も約40年前にタイムスリップしました。

 あれは、忘れもしない東京と長崎を結ぶ寝台特急「さくら」、はじめて長距離の列車に乗ったのも、寝台車に乗ったのも、この「さくら」が初めてでした。学生時代のことで、一人で長距離旅行も初めてのことでした。20歳を過ぎてようやく長期の一人旅ができたということになります。晩生でした。内気で引っ込み思案な学生でしたから、私個人としてはそれなりの覚悟が必要でした。大学時代の思い出つくりととりあえず九州と四国に一回は足を踏み入れたい、それもどうせなら単なる観光旅行ではなく、目的を持った自覚的な?旅行にしたいという思い込みがありました。

 行き先は、九州は長崎と島原方面、四国は高知方面、中国地方は広島と宮島方面ということにして、宿泊先は全てユースホステルに予約。この旅行の大きな目的の一つに昭和20年8月6日と8月9日の広島と長崎の原爆のことも知りたいということがありました。そのことについては、今回は割愛します。とにかくリュックサック(登山用の)を背負っての初めての長距離・一人旅。

 東京駅発16:20だったと思います。苦労して計画し、実行したことは何年経っても忘れないものです。その当時は寝台車でも個室・A寝台・B寝台とかの区別がありました。もちろん私はお金がないので、B寝台です。当時のB寝台は上下に3段ずつ向かい合っていました。寝る前は対面式の長いすで、3人がけでした。私の予約席は一番上の3段目。初めから3人ずつの6人が座っていたかどうか、はっきりしませんが、5人以上の乗客がいたと思います。私以外はいづれも女性で、内二人は長崎に帰るのだというOL風の美しい女性だったことが今でも鮮明に?思い出されます。もちろんこの中にはいわゆるおばちゃんもいて、何かと話の中心となったり、座が白けない様にとかいろいろ気を使ってくれていた記憶があります。私は話をするというよりは、周りの人の話を聞くという立場に終始した感があります。田舎者ゆえ、自分から積極的に話しかけられなかったということが大きいのですが。その美しい女性二人は友だちで、私の向かい側の席でしたので、顔を十分に見ることができたわけです。といってもじろじろ見るなんてことはできるはずもありませんが。ただ、そういう美人と一緒の席になれたというだけで嬉しかったということです。ついているともいえます。全てが初めてのことなのに。

 確か、長崎に着いたのはお昼頃。その前に向いのおばちゃんが小倉(OR福岡)あたりで降りることになり、荷物を駅のホームまでもっていってやったところ、お礼ということで駅弁をもらってしまいました。お昼が確保できたことが嬉しかった。

 長崎は夏の昼ということで暑かった、熱かった。次の日の昼か、長崎ちゃんぽんを食べましたが、ちゃんぽんの熱さではなく、長崎の夏の暑さに負けてしまって全部食べ切れなかったということもありました。

 若林区の桜の開花情報を知らせるということで始まった「こちら 桜だより情報局」。寝台特急「出雲」に触発される形で、東京ー長崎間の寝台特急「さくら」のことを思い出しましたが、ともに「SAKURA」、これも何かの縁だったりして。長くなりました。私のブログでは一番の文字数です。(ここまでで1474文字)読了お疲れ様でした。

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