今日みちのくにも梅雨明け、もとい入梅宣言がなされました。今日の天気は移り気で、目まぐるしく変わりました。 午前中は暑いくらい、午後になると曇ってきて、ついに小雨、さらには豪雨とまではいかなくてもかなり強い雨、そして短かったけど雷まで、・・・。止んだと思ったら陽射しが見え、喜んだのも束の間またパラパラ降ってきたり、まあ天気の神様も大変だったでしょう。
夕方見た広瀬川は濁りが少し入ったもののほとんど増水は見られませんでした。
久し振りに減水した分流の様子です。
撮影は19日(日)です。
ニュースによると、きょう福島県の飯館村が集団移転、福島市に飯舘支所として再起を図るというか、新規に仕事を始めるというか、何とも言いようがありません。
飯館村がなくなったのです。 誰が何と言っても飯館村、6,000人が共同体を営んでいた”飯館村”はなくなったのです、消えたのです、消されたのです、東京電力に!!!
東京電力の役員、幹部連中はこの現実をどう思っているのか!?自分のこととして考えているのか!?多分考えていないだろうな、そんなことよりも福島第一原発の廃炉は仕方ないとしても、他の原発はなんとしても再稼動できるようにしよう、どうしたらいいのか、そんなことしか考えていないだろう。どのようにして電力業界の権益を守り、政府を動かして原発の推進を図るか、そっちのほうに知恵を絞っているのだろうなあ~雲の上の、いや原発の上の人たちは。
飯館村の村長はじめ村民のことなんて、これっぽちも思っていないのだろうなあ。そういう想像力はないのでしょう。
村長や村民の悔しさなんか感じることもないのだろう。生活の、いままで喜怒哀楽を繰り返しつつ生活してきた、その基盤がなくなってしまった、奪われてしまった。このことが一体どういうことか、正直私もどれだけ自分のこととして実感できているか分かりません。でも住み慣れた土地を追い出される悔しさ、やりきれなさの幾分かは分かるつもりです。
僻みだといわれるかもしれませんが、やはりわれわれが住むところは”みちのく”なのですね。都会ではない、大都会のために尽くすべき立場にある人的・物的の供給基地”みちのく”でしかないのでしょうか。
明治以降これでもかこれでもかというくらい中央政権から搾取され、利用され、蔑ろにされ、犠牲にされ、虐げられてきた歴史、それが今でも生きていた、生きている。 ”みちのく”がなければこの日本はやっていけないのに、・・・・。
くやしいなあ、なんでここまで蔑まれなくてはならないのか、・・・・。同じ”みちのく人”として心底そう思います。
みちのくに住む我々だって人間なのに、露骨な差別さえ感じます。被害妄想、被害感情ですまされますか。
堤防の名も知らぬ花は健気に静かに咲いていました。