昨日今日と小雨模様の肌寒い日が続いています。明日からも雨模様の天気です。一昨日までの夏らしい天気は一体どこに行ってしまったのでしょうか。梅雨に入ったので、梅雨寒というところですか。
今日は6月の26日。6月最後の日曜日。月の最後の日曜日は大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の”復興”ならぬ””福興””市が開かれる日です。朝8時前に家族3人で行って来ました。
3月11日以降の津波被害、仙台市でも大きな津波被害を受けたし、近隣の市や町に住む親戚や姻戚の家も、友達の家も全壊等の被害(人的な被害はなし)を受けました。
11日以降少し落ち着いたら津波被害地を見て回りたい、絶対に見ておかなければならない、実態をしっかり見届けて後世に伝えなければならない、できれば早く行きたい、行って写真等を撮りみなさんにも伝えたい、行きたい、行って見たい、ずーと思っていました。
でも行けませんでした。とっても恐い思いはしたものの、あまり被害らしい被害を受けていないし、もう以前の生活に戻っている自分が、甚大な被害を被ってしまった地域に行って、そこに住む地域の人々に会うことが許されるのか、そんなことをしていいのか、失礼に当たらないか、高慢不遜に思われたりしないか、たとえツルハシやショベル等を車に積んだところで現地に行く資格があるのかどうか、ずーと迷っていました。
四十九日を過ぎたらいいかもと思いましたが、それでも行けませんでした。せめてもの行いとして、雑誌等の特集号はかなり購入させていただきました。 5月の最後の日曜日29日に南三陸町で、地元や全国の応援を得て「復興市」が開催されたということをニュースで知りました。そのとき、これだ!これなら現地に行って、見て、食べて、買って、結果として復興への支援ができるのではないか、これなら少しの疚しいことも感じないで行けるのではないかと思いました。
そして今月震災から3ヶ月が過ぎ、百か日が過ぎるので、6月の復興市(「福興市」)に行こう、それも一人ではなく家族全員で行こう、それなら気後れや後ろめたさ、疚しさを感じずに行けると思い、今日の日を待っていました。
生憎の小雨模様、肌寒い一日でしたが、すっかり気持ちを切り替えることができ、運転することができました。
きょうは南三陸町の防災対策庁舎の今日の姿をお知らせします。
今までテレビや新聞、雑誌等で何度も何度も見てきた、南三陸町の防災対策庁舎です。3階建てですが、完全に鉄骨だけになっています。この庁舎は丸ごと津波に飲まれてしまったのですね。
写真の中央真下に少しだけ写っていますが、それは臨時の祭壇です。その前に立ち、心から亡くなった人々に対し冥福をお祈りさせていただきました。
上下の写真は千羽鶴です。二箇所に吊るされていました。
写真の背景は、いまだにそのまま積み重ねられたままになっている、粉々にされた廃屋、家財道具、建築資材等の残骸です。 ここの周辺は見渡す限りまさに空襲と言うか、原爆投下後の様子と言うかそのままです。道路部分だけはきちんと整理・整備されていました。