きのうは失礼いたしました。 きょうは小国川での鮎釣りの報告ですが、その前にいろいろと言いたいこと、書きたいことがありまして、ストレスとならないためにも”うざい”と言われようが書いて行きます。
(その1) 東北楽天ゴールデンイーグルスはとっくにブロンズイーグルスに変わってしまったので折角投手陣はそこそこいい投球をしているのに相変わらずどうしようもない打線は打っても点が入らないように打っているのではないかと勘繰りたいくらいにチャンスで打ってくれません打てませんもう呆れかえって口あんぐりですので楽天については書きませんが、セリーグが面白いじゃありませんか!!
一位から最下位の六位までは何となんとナント勝率五割を切っているのです。 それでも順位が付きます。 負け越ししていても一位とはこれ如何に?です。 セパ交流戦の結果セリーグのチームが惨敗したからのようですが、これからセリーグの順位はどう展開していくのか?非常に興味があるところです。
(その2) 東京16区の大西英男、福岡1区の井上貴博、比例近畿ブロックの長尾敬については何をかいわんやですが、選挙区の有権者の皆さんはどう思っているのか?!その感想を知りたいものです。どうせまた次期総選挙では楽勝しての当選ということになるのでしょう!だから日本はよくならない!この選挙区にしてこの議員ありでしょうから。
(その3) 「まれ」、よかったですね、ついに圭太と結婚に至るようですが、でも今までのストーリーからするとまだまだ二転三転の展開があるように思えます。 「あまちゃん」と比較しながら「まれ」を見ているとその相似点が見えてきて面白いです。 来週からどんな展開となるのか、興味は尽きません。 (その4)は長いから、最後にあります。
長くなりそうなので、小国川の様子を。きのう3日に鮎釣り大会会場である山形県小国川へ視察、リサーチも兼ねて行って来ました。 ①の写真は午前8時40分頃の小国川で、場所は河原に障害者(ばかりではないですが)用のトイレがあるところの向かいの様子です。
この写真には3人の釣り人が写っています。草茫々の中洲みたいなところの奥にも一人います。 さすが小国川、やっているな!上流にはどれだけの人がいることやらと思いつつ、一関大橋へ向かいました。
①
ところがいないのですす、人はいますが、釣り人がほとんどいないのです。②には一人しか写ってはいませんが、二人いて、一人は上がってきました。全く釣れないからと。 ②の釣り人がいる辺りは、大会のときは真っ先に釣り人が入る場所です。右岸側ですね。
②
上流側の一関大橋です③。 その下流には誰も、だあれもいません。 釣り人がゼロなのです。こんな光景初めて見ました。 解禁して三日目の小国川で、こんな状況は全く初めてではないのかな、もしかして。 信じられません。 天下の銘仙ならぬ名川である小国川がこういう状況とは。
③
一関大橋の上流の経壇原の手前にも行ってみましたが、瀬に二人の姿が見られました。それにしてもこんな状態の小国川で、一体5日の大会はどうなるのだろう?どんな大会となるのか?信じられないような大会になるのかもしれません。
駐車場に車を停めていたらケータイに着信音がありました。 釣り友からの電話でした。 やはり小国川へ向かっているということでしたので、ここで到着を待つことにしました。 40分弱でやってきました。 この付近には釣り人は居ないけれども、釣りに来た人は車の近くに釣り人よりは多くいました。 その中に長いこと一緒にトーナメントに通い続けた人もいて、話しを聞きました。
解禁日は③で竿を出したが釣果は7匹のみとのこと。この名人級の釣り人にしてそんな貧果とは。 そしてきのうはここで1時間30分竿を出して、釣果はゼロと言います。以下にこの付近に鮎が居ないか、少ない鮎が居ても追わないのでしょう。
ずーと上の方がいいということです。最上町の方とのこと。白川との合流点付近とか、とにかく上流の放流アユがとっても大きくなっているそうです。優に20センチは超えているようで、解禁したばかりの小国川でそんな大きい鮎が釣れるのか?半信半疑でした。
まあ、とにかく小国川へ来たのだから、こういう状況ではリサーチは諦めて楽しもうということになり、オトリ等を買ってとりあえず瀬見温泉に行ってみようと動き出しました。実際にオトリを買う時に見せてもらった、上流で掛かったという鮎の大きさにびっくりです。21センチ、22センチクラスの鮎です。 本当にいたのです。
でも後で分かったのですが、そういう大きな鮎は二日間で釣り切られてしまったようでした。
④から⑥は瀬見温泉の義経橋を渡って行ったところです。去年か一昨年にも来たことがありますが、流れがすっかり変わっていました。 右岸側は護岸工事できれいになっていましたが、流れは右岸側が主流だったのに、今は完全に左岸側の流れとなっていました。 でも誰も入っていなかったのです。見た目はとってもいい流れなのです。
トロから瀬頭の鏡、深さもある急瀬、早瀬、平瀬となり開いて行きます。 二人で勇んで竿を出したのですが、結果は大物は不在というかもういないのでしょうか? 掛かったのはせいぜい15センチくらいかもっと小さい鮎のみ。 それも平瀬から瀬の開き付近で掛かったくらい。
④
⑤
⑥付近で一番掛かりました。 7回も掛けました。しかしキープはたったの3匹でした。後の4匹はどうしたのか??みんな途中で川に戻っていったのです。 川上からちょっと強い風が吹いていまして、風のせいにはしたくはないのですが、オトリ鮎と掛かり鮎を引き抜くのですが、2匹が他もめがけて飛んでくることは飛んでくるのですが、あと1メートル付近でみな川に帰って行くのです。
上が小国川での第一号の鮎(横になっている方)で、下は2番目の鮎(左側)ということになります。
言い訳としては、風のせいと掛かり鮎が小さいためと思っています。小さくて軽いから向かい風に負けて失速し川にポチャンということになるのです。 それを性懲りもなく4回も繰り返すのですから何をかいわんやです。まったく勉強していない、何も学んでいないということになります。
⑥
いやはや参りました。 ここでは10時25分から11時10分くらい竿を出しました。 7匹掛けて取り込み3匹という結果でした。
気を取り直してさらに上流を目指します。こういう時の釣り友は頼もしい限りです。 何しろ20代30代からこの川に通っていましたので、小国川のことならほぼ何でも知っています。ありがたいことです。newoneとしては長澤の堰堤くらいまでしかなかなかひとりでは行けません。
思えば、思わなくても彼と知り合いになってから、一気に私の鮎釣りの世界が変わりました。その変化はまさに劇的と言っていいものです。 彼の車で、それまでは広瀬川しか知らなかったのが、山形県は寒河江川、小国川、鮭川、真室川、秋田県は米代川や阿仁川、岩手県も猿ヶ石川、雫石川、南は久慈川や那珂川、箒川、鬼怒川、新潟県の荒川も行ったか、そういうところに連れて行ってもらいました。 お蔭で私の鮎釣りの世界が大きく変わりました。
そしていつしか競技の世界にも入っていくようになり、今となっては参加することに意義があるだけとなってしまいましたが、現在に至っています。 こう振り返ってみますと、本当にお世話になっています。感謝あるのみです。
そのごまたいろいろ上流の様子を見て回りましたが、午後に竿を出したのは宮城県境にも遠くない最上町の大堀地区?鵜杉橋の近くの小国川でした。 R47からすぐのところです。いろんな川相があり、釣り人が多くなければ思う存分釣りを楽しめる所なのですが、ここも人が多いところです。
⑦
川の中だけでも10人近くはいました。もっといたかも。 河原にも数人いました。 newoneは⑧のようなところに(無理やり?)入りました。 いい型の鮎が結構掛かりました。 でも20センチはないです。 ⑧付近では8回掛けて取り込み6回というもの。またしてもバラシです。
⑧
今回のバラシは、川の中央付近か左岸寄りで掛かりますので、掛かったあと竿をためて右岸側に引き寄せてきて引き抜きます。 でもその引き抜くときに飛んでくるのはオトリ鮎ばかりで、肝心の掛かり鮎はそのばでオサラバというものでした。
⑨
悔しいですね。 掛かりが浅いのでしょうか。
今度はやや上流の⑩の前後から竿を出しました。 掛かるのです、結構。 しかし、ここでもバラシが多発!!!一体どうしたというのでしょうか??? ここでは5匹掛けて取り込みはたったの2匹という無様な結果でした。 合せると、13匹掛けて取り込みは8匹のみということになります。 ここのバラシはいずれも引き抜き態勢にはいってから、水面に出てくるところでのバラシとなりました。
⑩
いやあ情けないやら恥ずかしいやら・・・・・
⑪
上流にこういう堰堤があります。
⑫
写真の最後は3日の釣果です。でもここにはオトリ鮎も混じっています。
一番大きい鮎は上流で掛かった鮎ですが、オトリとして購入したものです。釣ったものではありません。残念ながら。
(その4) みなさんは、土曜日の朝6時からのNHK第2放送の「文化講演会」を聴いていますか? 聞いていない人が居れば、是非とも聴いてください。布団の中から聞くのでもいいと思います。とってもためになったような気持ちになります。それだけでも得した気分になるじゃないですか。
そういいながらも、きょうは途中からの釣行ならぬ聴講?となったのですが、4月26日の講演で、講師は姜尚中(カンサンジュン)です。 夏目漱石と姜尚中はこの頃は切っても切れないような関係となっているようです。
夏目漱石の「それから」や「こころ」を題材にしての『君たちはどう生きるか』が題材のようで、どこかで聞いたことのある演題です。 吉野源三郎でしたっけ、同名の著作がありますね。 メモしながら聴いていたのですが、箇条書きに書いて行けばもしかして全体像がよく見えてくるかもしれないと思いたいので書いてみます。
≪以下要約です。≫ 人間の世界は死ぬまでどんちゃん騒ぎだ。 だから、自己本位で生きることになる。 だから、人との出会いが大切になってくる。 ここでいう「自己本位」とは、「まじめ」ということで、真剣勝負であり真面目にしっかりと見るべきものを見るということである。 見たくない現実でも見ざるを得ない、現実をもっとしっかりと見つめること、それが「まじめ」ということで、それは語り継いで受け継いでいくべきものである。 語り継いで受け継ぐということは、心の相続ということである。 人間は生きた証しが欲しいもの、だから遺言を残そうとする。 そのことで物語が第三者に受け継がれていく。 人間は無条件に自分の存在を「承認」してくれる人がいると「やすらぐ」。 存在それ自体を丸ごと認める、それによって自由は自由としての意味を持ってくる。 しかし、現在は「他者の相互承認」がなくなっている。 我々は若い人に何を残すべきか、何をどう伝えていけばいいのか。 何とはなしに生きているが、人は人として生きていける。 人はたくさんの「通過儀礼」(誕生・入学・卒業式・結婚・・・・)の中で生きている、通過儀礼とともに生きている。 しかし、この社会から通過儀礼が消えてなくなった。 人間は通過儀礼を通じて一つひとつ何かを学んで新しいステージを迎えることができる。 通過儀礼を見直すべき、それはとても大切なことで、試練が伴うが恐れない。 人間が生きるということは通過儀礼である。
何とか理解していただけるでしょうか? このことを改めて考えながら漱石の本を読むと新しい発見があるのかもしれません。 朝日新聞で、「三四郎」 「こころ」を詠み、今は「それから」を読んでいます。
今までで最高に長いブログとなってしまいました。ここまで読んでくれた皆さんには本当に心より御礼申し上げます。