鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

猛暑日?4年4ヶ月

2015-07-11 14:41:21 | 広瀬川

 暑い、朝から暑い、今ラジオを聞いていますが、ますます暑く、熱くなってきます。 そうです、あまりの東北楽天の拙攻に・・・・。拙守に・・・・・。 これがプロ野球選手のやることか?!と呆れています。 今に始まったことではないですが、いくらレギュラー選手に故障者が続出したからといって、後任の選手たちは攻守ともにお粗末すぎます。 一軍の控えや二軍において、一体どんな練習をやってきたのでしょうか??? エラーは多いし、バントも呆れるほど満足にできない!! ボール球をバントして、小フライを上げてアウト! 折角一軍で、レギュラーとして試合に出ている、出られるというのに、打席においても必死さが感じられない、何が何でもボールに食らいついて一塁に出てやるんだという気構え、迫力さに欠ける。もう見ていて呆れ果てるか、腸が煮えくり返るかのどちらかの感情を味わってしまう。 故障者が続かなければ出られなかったであろう公式戦に出られ、打席に立ち、守備に就いているのです。 なんでがむしゃらに、それでいて粘り強く食らいついて、闘志を前面に出さないのか!?また戸村はホームランを打たれました。きょう2本目です。解説者も打者のインコースに投げればいいのにと何回も言っているのに、嘆いているのに、インコースに投げない。キャッチャーのサインということもあるのでしょうが、投手として首を振ることができます。ことほと左様に今の東北楽天には何がなんでも勝とうという覇気がないのです。こんなにも情けない輩、若い選手たちだったのか、甘えがあり過ぎるのではないか!?厳しさがなく覇気がなく、これでは勝てません。 前にも書きましたが、当分ゴールデンイーグルスは棚上げして錆びたブロンズイーグルスとして、落ちるところまで落ちて少しずつ上向いていくよりほかはないのでしょうか。 淋しいなあ、情けないなあ、でも基本がさっぱりしっかりしてないのですからしかたがありません。 きのうも試合はあったのですが、午後9時過ぎには布団に入ったのですが、11時頃目が覚めたら何となんとナントまだオリックスとの試合が継続中だったのです。 三塁の選手をバントで返すのですか?勝つためには手段を選ばず、贅沢は言っていられないのは分かりますが、まるで高校野球みたい、せめて外野フライを打つとか出来ないものか? 出来ないから、監督がそう判断したからバントにしたというのでしょうか、それでも・・・・。   悲しい   

  暑いです、本当に。 雨は降りません。 広瀬川はますます渇水状態です。 そんな中小魚だけが元気なようです。 浅いところの川底は腐っています。

 1枚目は分流が本流と合流手前の流れです。小魚が縦に群れています。

               

 以下の4枚は、西道路のトンネルが切れているところの上流の左岸です。 こちらの小魚は、同じ小魚ではあっても2~3センチもあるくらいの大きさです。 オタマジャクシも分流のよりも大きいです。

  

   

 ① 

 小魚やオタマジャクシは ① の左岸にいたものです。こんなに乾燥した石が頭をのぞかせています。 すっかり乾燥しまくっているという感じ。

 かわの中央付近は垢ぐされはないようです。 底の石は黒く見えて、鮎が食んでいるのではないかと思います。

     ② 

 ③は上流を見たものですが、ずーと上流に釣り人が一人いました。

            ③ 

 実は②のところに釣り人がいて、話し込みました。 釣れないなあと。

 

 かれは今どき珍しくWISTの竿で釣っていました。 ベストにもWISTのロゴが見えました。 水中糸はナイロンの0.2号を使っているそうです。 オトリは井筒屋から購入。

 川を見ながら立ち話をしたのですが、②の右岸へチ、この付近ではよく鮎が跳ねていました。 15分くらいの間に7回くらいは跳ねたのが見えたか。 流れの中央をじっと泳がせていましたが、掛からないのですから群れ鮎ではありましょうが、右岸へチを狙った方がいいのではないかと思いながら見ていました。 右岸へチは本当に浅いので、オトリがきちんと泳いでくれるかどうか、オトリにその元気があるか何とも言えませんが。

            (午前10時50分頃)

 

                      

    

       

 

 きょうは7月11日。 あの日の月命日です。 正直なところ夏を迎えて今は鮎釣り等に忙しいというのが実情です。 風化することを恐れていましたが、いつしか自分自身の中でも風化が、はっきりと風化が起きているということを認めなければなりません。

 この日のために何かを書きたい、自分自身のためにと思いつつも、常日頃からその準備というか、心構えを持っていなかったため書くべきことが浮かんできません。 まだ4年4か月しか経ってはいないというのに。 けさの朝日新聞をみても、取り扱いはかなり小さくなっています。 それが現実なのです。

 でもそれが現実とはいっても、自分自身としてそれでいいのか自問反問するということはまだ少しは残っています。 忘れない、風化させないためにはどうしたらいいのか・・・・

 一番手っ取り早いのはやはり震災遺構でしょう。 被害に遭った建物等をきちんとした形で後世にきちんと伝え続けるために残しておく。 その意味では南三陸町の防災庁舎が一番、遺構として残す物として相応しいと感じます。

 

 防災庁舎は解体されることなく、20年間宮城県が預かることになったのはいいことだと思います。 宮城県が20年間所有保存して、その間震災遺構として大震災をどう後世に伝えていくべきか議論することができるようになりました。

 

 でもそれは始まりではあっても終わりではないです。これからどうするか幅広くみんなんで将来を見越した意見を出し合っていかなければなりません。 でもこれも自分のこととして、真剣に議論して行かないと、人任せのような風潮が出てきたら問題です。

 

 改めて一人一人が4年4か月前の大震災にどう向きあうかが問われているような気がします。


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