きょう8月11日は東日本大震災の当たり日、あの日から4年と5ヶ月となります。 長いような短いような、短いことはないな、このごろは情けないことに自分でさえ11日のことを忘れかねない状況となっています。 まことにお恥ずかしいことです。
それなのにきょう11日、東日本大震災の当たり日というのに、その日に川内原発を再稼働しました。 政権としては、九州電力としてももう再稼働してしまえばもうこっちのもの、世間なんてなんとでもなる、既成事実に極めて弱いのが日本国民だから、もう大丈夫、これから既成事実を積み重ねていけばそれでいい、と思っているのでしょう、ほくそ笑んでいることでしょう。
このことはまさに東日本大震災の被害者はもとより、原発再稼働に反対している我々国民に対する正面からの挑戦であり、最大の侮辱でもあります。 ここまで独裁者安倍に馬鹿にされているのです。これでいいのでしょうか!? 悔しくないのでしょうか? 悔しさをバネに改めて立ち上がりましょう、反対の声を上げ続けましょう。
九州電力の九州における力、独裁はすごいものがありますね。 テレビで見た限りのものですが、もう全く怖いものなし、何しろ九州一の会社ですから。名実ともに九州のトップ会社ですから。 でもnewoneに言わせればチャンチャラオカシイ話です。
この会社のどこが民間会社ですか? 名前だけで、実質は国営企業と言っても過言ではありません。 何しろ地域独占企業にして、経済産業省と一体化し、経営は損失を生じないような仕組みとなっているのですから。国に完全に守られている会社が民間会社と言えますか?
こんなのは分流に浮かぶ泡沫ならぬアメンボみたいなものです。
今夏は全国的に見ても猛暑が襲いかかり、どこも暑さで参っているし、雨も降らないのに、電力需要は結構足りているのです。原発を稼働させなくても電力は十分に賄うことができているのです。 やればできるのです。 やる気がないだけなのです。 あくまでも原発による電力で20%を賄うようにしなければならないと勝手に国が考えているだけです。
(午前中に分流にカモは4羽いました。)
原発に代わる新しい発電をこそこの際必死になって、官民挙げて考え取り組まなければならないのに、あえてそういうことはせずにあくまでも20%は原発による発電を目指し、東日本大震災前の水準に少しでも近づけようというのが政権や経済界の意向でしょう。
その意向の裏側には決して表ざたにはできないこと、将来日本が核保有国となって(非核三原則なんてくそくらえ!です)世界に冠たる軍事国家になるためには、どうしても原子力の技術を絶やすことはできないこと、日本も戦争法案をすべて可決して、軍事大国を目指すためには原子力産業の灯を消してはならないこと、抑止力の充実でもって平和を築くというためには、どうしても核武装、核保有が不可欠であるというような考えが日本の支配階級には本能的にあるのでしょう。 そこに至るためにはアメリカとの相克があるでしょうが。
原発の再稼働と戦争法案の可決が揃えば、もう独裁者には怖いものはない。怖いのは自分の健康状態だけということになります。 強すぎると、強すぎることそれ自体が危険なものになるような気がします。
川辺にセスナ機が墜落していました。炎上はしていませんでした。 いつこうなるか?
もう終わってしまいましたが、仙台七夕でひときわ注目された七夕飾りがありました。
すべて折り紙の鶴です。
縦に見るとこうなります。
仙台市立小中学校の子どもたちがひとつひとつ手作りで制作した七夕飾りです。 『未来に向かい、緑豊かな故郷づくりにチャレンジしていこうという思いを込め』てつくったものです。ひとつひとつ、ひとりひとりはとっても小さくても、全体として団結すればこんなにも素晴らしい、感動を与えるものになります。
(真下から)
私たちひとり一人が4年5か月前のことを忘れないようにし、みちのくに住むひとりとして、どんない細くても小さくても心細くなっても自分自身の問題として、それがひいては日本国全体の問題にもなり得るということも少し頭の片隅に置いておいて、復興を目指していきたいと思っています。
最後に爽やかな映像を見ていただきます。透き通ってきれいです。セミではありません。