鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

大寒ですね、

2016-01-21 15:19:26 | 思いつくまま

 きょうも寒いですが、仕方ないですね、きょうから「小寒」がおわり「大寒」ですし。 大寒と聞いただけでもぞっと寒気がしますね。 大寒の次の24節気は、いっきに「立春」です。 春なのですが、その前後が一番寒いですね。

                 午前9時30分頃

    

 最低気温がマイナス2度から3度、最高気温が5度前後という冬があったかと思うと、あと半年もすれば30度を超え、熱い暑いと悲鳴をあげたりする季節になるのですから、考えてみたら考えるまでもなく、気象というか自然というものはとてつもなくすごいことを毎年やってのけているわけです。

             

 自然界はすごいとしか言いようがありません。自然の前にはニンゲンは何とちっぽけな存在であることか! それなのに何とニンゲンの傲慢なこと。 自然あってのニンゲンなのに・・・。

 

 きょうも大体いつもと同じような時間帯に広瀬川の分流に行ったのですが、きょうもサギもカモも姿が見えませんでした。 二日も会えないとなると淋しいですね。 そこに居て当然とばかり思っていたものがいないとなると、そこの部分がぽっかりと穴が開いたようで落ち着かず不安定になります。

       

 そういうことはカモ達ばかりではありません。 この花についても開花を楽しみにしてきたのにいつのまにかつぼみがなくなっていました。 落ちたのか、採られたのか、採られたのではないかと思ってしまうのですが、残念ですね。

 前にもお知らせしましたが、蠟梅(ろうばい)と椿(山茶花)のうちの 蠟梅 です。

 (1月6日) 

                 (1月21日)

 ちょっと撮影の角度が違っていますが、一番気に入っていたつぼみが二つ無くなっていたわけです。 こんなに可愛らしいつぼみだったのに・・・。

 こちらの方は咲きました。 

    (1月6日)

         (1月21日) 

 

 今月も野坂昭如(敬称略)にたくさん出会いました。 

 

  最後となった 「野坂昭如 昭和ヒトケタからの詫び状 往復書簡集 37」

          

        横尾忠則                           野坂昭如      

                  

 『 どうもアヤシイ。物騒な世の中になりそうだと察知するのは、どの世代より早い。だからオオカミ少年よろしく、犬の遠吠え風に書き続けてきた。ぼくに先見の明があったわけでもない。ただ、危なっかしい気配というものを、肌身で知っているのだ。・・・・。今の日本、・・・、操船不能に陥り難破船。それが沈没しかかっている。・・・・。横尾さんのおっしゃる通り、これからはどの道決まっている。お先真っ暗。・・・。 』

 これは巻頭言ならぬ山椒言ですが、もっともだと思います。『沖縄へ米軍基地が次々と移された理由については、本土における米軍基地反対運動が激化したため、多くの国民の目の前から米軍基地の存在を消し去りたかったからだ、と日米の複数の専門家が認めています。』

      

 

 朝日歌壇から;

 『一匹の火垂るの光飛んでゆく縦横無尽野坂昭如』

                         羽曳野市 玉田 一成さん

 『徹夜して議論重ねし青春の日々のテーマの野坂昭如』

                         安中市 鬼形 輝雄さん

 『トランクにサクマのドロップ詰め込んで野坂氏旅立つ節子の元へ』

                         千葉市 吉井 清乃さん

 『水木逝き野坂が去りてホタル舞う闇へ消えゆく昭和九十年』

                         小平市 北川 泰三さん

 『シャイであり礼儀正しい人でした野坂氏悼む声に頷(うなづ)く』

                         町田市 冨山 俊朗さん

 (おまけ)

 『妖怪は平和裡に棲むと描き続け水木しげる逝く戦後七十年』

                         北海道 斉藤 洋子さん

 かえすがえすも惜しい人を失ってしまいました。戦争経験者がどんどん亡くなっていく。薄っぺらで威勢のいい人ばかり大手を振っている世の中はやはりおかしい。

 考えてみると、鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争で徳川政権が倒れ、それから約70年後(その間日清戦争や日露戦争がありましたが)の1940年に絶望的な日米戦争に突っ込み、大日本帝国が崩壊し、敗戦から去年は70年目、大きく見ると日本は約70年周期で大きな転機、それも不吉な転機を迎えるような国民なのかもしれません。

  

              

  


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