どういうことでしょうか、きのうが思ったよりも寒くなかったからでしょうか、きょうはきのうの分までも寒さがあわさって襲ってきているという感じです。 しかも風が強いですから、たまったものじゃないです。
広瀬川の中洲を上流に向かって歩く時の辛さ、酷さは久し振りの体験でした。 でも考えてみればまだ2月の中旬(間もなく下旬ですが)ですから、このくらいの寒さは普通なのでしょうね。私が寒がり屋なのに、今年はそれに輪をかけて寒がりになっていることもあるのでしょう。
寒い寒いとばかり言っているとますます寒くなるのできのうの春を感じさせる写真をご覧ください。
これは水仙でしょうか。間もなく咲き出しそうな感じですが・・・・・。
この可憐な小さい花は一杯咲いています。
寒くても凛としています。さすがです。
これも逞しそうです。
きょう2月19日は母の命日です。2014年のきょう未明亡くなりました。あれからもう丸3年が経過しました。東日本大震災は間もなく6年目を迎えようとしていますが。 本当にありふれた言葉ですが、月日の経つのは早いです。早すぎると言ってもいいくらいです。
だってこの私が今年は70歳になろうとしているのです。信じられますか?一番信じられないのは、実感していないのは自分自身です。自覚が足りないと言われればその通りですが、そんなに長生きするなんて昔から思ってはいませんでしたから。
それはそうと3年前の冬は寒くかつ雪がとっても多かったです。2月になっても、中旬になっても雪は道路に積もっていまして、車の運転がとってもしにくかったです。河原にも雪は積もったままで、景色としては素晴らしいものがありました。
わたしとしても前にも書いたことがありますが、自分なりの”終活”をまじめに考え取り組もうと改めて思う次第です。思ってばかりでなかなか実際には動き出してはいませんが、子どもたちのことを考えれば、少しでも身軽になっておいて、大切なもの・ことはきちんと整理しておいてあげないと、いざという時に困るだろうなとは思っているのです。
まあ妻からは本とかを何とかしろと常に言われ続けているのですが、それさえも何ともなっていないのですから何をか言わんやです。性格的にぎりぎりまで自分を追い込まないと動かないというのが歳とともに強くなってきています。それではだめだとは分かっている(つもり)なのですが。
そこいくと私の両親は実に見事だなと思わないでもありません。処分に困るようなものはほとんどありませんでした。本当に少ないもので生活していたのだなあと実感し、感心するばかりです。 ただただ毎日の生活のために働くことばかりで、身の回りの持ち物を充実させようなんてほとんど思っていなかったのでしょうか。 素晴らしい生き方であるといってもいいかと思います。
我々の代から身の回りに品物が溢れだしてきています。それだけ日本が豊かになり、国民の生活もよくなってきたということの証でもあるのでしょうが、まさに消費の世界というか時代にどっぷりと浸かって生活してきたと言えるでしょう。消費者は”神様”ですから。
贅沢になりましたし、とっても生活が便利にもなりました。コンビニがありますし、ケータイ電話からスマートホン、百均にはないものはないというくらい充実していますし何と言ってもインターネットですね。世の中すっかり変わってしまいました。アナログ派の私でさえデジタルの恩恵を受けない日はありません。
でもねえ、それが幸せにつなっがているのか、生きてきてよかったという幸福感に包まれるのか、いくら便利になってももっともっと便利になるはずだという脅迫観念みたいなものが我々の背中を無意識のうちに押して肝心の”足るを知る”ということからますますかけ離れていっているのではないか、そういう気もします。
だから”断捨離?”という現象まで起きてくるのでしょう。また前に戻るようですが、”終活”という言葉も、現代の裏返しということで起きているのではないかと思います。
何かとってもまじめなことを書いてしまいました。これも亡くなって3年目の母が書かせたのかもしれません。 3年経ってもあの時こうやってやれればという思いが悔いが残っています。忘れられません。 もしかしてそのことが生きる原動力みたいなものになっているのでしょうか。 100%後悔することはないとなれば「もう生きていく意味がない」といえるのかもしれません。
(寒くてもカモたちはげんきです。)
なんか哲学的なことにもなってきました。 そういえば、朝日新聞一面の左下、鷲田精一さんの「折々のことば」が身に沁みて分かるようになってきました。