鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

仙台国際ハーフマラソン

2018-05-14 16:30:55 | 思いつくまま

 きょう天気は朝から全く問題なしですね。もう何をかいわんやです。言う必要がないということです。朝7時で15.6度、お昼も午後3時も21度超えとなっています。

             

 

             (午前9時頃)

        

 

 きょうは14日、昨日13日日曜日は朝から上空ではヘリコプターが舞い、近くの公道ではマラソン参加者の波波波波。いやあよくぞここまで集まったものだ、集まってよく走るものだ!と感心することしきりです。

 

     

 今年からはマラソンの交通整理に従事しなくてもよくなったので、気軽にカメラを持って見に行きました。気が楽というのはいいものです。

 

 どこから撮れば、どのアングルがいいかななんてあれこれ考えながら、美術館脇から国際センターまでの距離(5,6百メートルくらい?)を往復してみました。 写真を撮りながら移動したのですが、その間人の波は途切れることは全くありませんでした。

 

 それだけ1万人の参加者という数字はすごいものなんだと改めて実感した次第です。まあ道路は片側1車線づつの広くはないとえば広くはないのですが、それにしても1万人という数値に圧倒されたわけです。

 

 あとで分かったのですが、実際は13,228人とのことです。1万3千余人でした。凄いはずですね。まあ暑くもなく寒くもない薄曇りの天気の下でのマラソンでしたが、マラソンとしては走りやすかったでしょうね。

 

 いつまでも耐えることのないマラソンランナーの波を撮りつつ何を思ったと思いますか。あの日、7年2ヶ月前のあの日、たった一日で理不尽にも亡くなった人たち、1万8千余人。あの日亡くなった人の数はこれ以上の人たちだったのだ!圧倒されました。

 

               (どうですか、この一面の人の波)

 そんなことがあり得るのか、あってもいいのかと改めて人波を見ながら思ったのです。打ちのめされる感じでもありました。そんな、そんな、そんなひどいことが・・・・・。

 

                      (13,228人)

 何かこの頃また地震が多くなった感じがしますが、単なる余震でしょうか。そうであってほしいですが、こればかりはどうしようもありません。ないことを祈るばかりです。

 

 (大橋を渡って、国際センター前を右折します。)

 

 (右折して、美術館の方へ向かいます。)

 

 

 今「アユ釣り秘伝2018」を見ていますが、懐かしい名前を見つけました。 かってのダイワのフィールドテスター、渓流釣りの第一人者 ”伊藤 稔”さんです。 伊藤さんが鮎釣りのキジを書いてました。

 それも珍しいですね。ここ数年は書くとしても渓流釣りが多かったように思います。それが今回の記事は、「「オトリを管理する」ってどんなこと?」というものです。 4ページにわたって書いてますが、最後の方で「「私が開発に携わったシマノの「エレガントアタッカー」は、・・・」とあり、えっ何?シマノ?と声を出してしまいました。

 だって伊藤稔さんと言えば、”ダイワ”じゃないですか、何と言っても。プロフィールを見たら、「シマノ、東レ、カツイチフィールドテスター」と書かれていました。 知らなかった、知らなんだ!? (多分多くの皆さんはご存じなのでしょうね。)

 現在研究していることも書いてありました。「太メタルラインを基軸とする新釣法の確立」に取り組んでいるようです。 ということは”引き釣り”ということなのでしょうか。 でも太いメタルラインを使っての瀬釣りの引き釣りは過去にもありましたね。

 誰だったかははっきりしませんが鹿子嶋さんだったかな、記憶している限りでは確か0.3号か0.4号という太いメタルラインを6,7メートルくらい長くとって、メタルラインの重さで沈み、オトリ鮎をゆっくり弧を描くように引き上げるというものだったかな。

 その記事を読んでなるほどな、じゃやってみようと仕掛けを3,4個作ったものですが、釣果云々という前にお蔵入りしたままでした。そんなことがむかしむかしありました。


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