鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

ようやく春が・・・その1

2009-02-13 21:31:21 | お知らせ

 一昨日近くの釣具店の主人より電話があり、組合員証が届いたとのこと。

 昨日午前中に受取りに行きました。

 

 広瀬・名取川漁業協同組合の組合員証 第0456号です。

 裏には大きく「監視員」の文字があります。

 

 組合員は一般の釣り人(竿は4,000円)よりも高く、4,500円です。

 

 

 去年は何時入手したのか調べてみたら、3月17日でした。

 一ヶ月以上も早く入手したことになります。

 渓流釣りの解禁は3月1日ですから、本来なら今年くらいに手に入るようにすべきなのです。 渓流釣りはしていないので、結果的には何も影響はないですが。

 

 そうそう、思い出しました。

 去年は自転車で受取りに行き、帰宅してポケットを探したら、何となんとナント組合員証がなくなっていました。

 帰宅途中、どこかで落としてしまったのです。 すぐに通った道を探しましたが、見つかりませんでした。

 でも、組合員証を見つけた(拾った)人が、これは釣り人用だからと、その釣具店に届けてくれたのです。釣具店から電話が来て、無事再度?受取ったわけです。

 そんなことがありました・・・・。

 

 チラシの内容はまったく何も変わりはありません。

 

 アユ釣りの解禁日は、7月1日 午前4時からです。下流域の両河川の合流近くは9月15日から禁漁となります。「アユ産卵保護区」となっているためです。

 (渓流は、3月1日から9月30日まで)

 

 「友釣り専用区」は、広瀬川に2箇所だけ、名取川には3箇所の計5箇所のみです。しかも、大半ははるか上流域にあり、範囲も狭いものです。

 それ以外のところでは、「ガラガケ」(ころがし)は全面解禁どころか「投網」もOKなのです。 もっとも、まちなかの部分は8月15日まで投網は禁止となっていますが。投網禁止の上限は”牛越橋”です。

 オトリアユを扱っている釣具店等はたったの2店だけです。両河川に1店ずつ。 何とも淋しい、お寒い状態です。 だから、オトリアユを買わなければ、ガラガケでオトリアユを取らなくては友釣りが出来ず、ガラガケはなくならないということになります。

 

 具体的にははっきりしないのですが、平成21年度は変わらないが、22年度からは漁協組合は変わるというようなことを言っていました。奥さんが。旦那さんは不在でした。 その内旦那さんに聞いてみようかなと思っています。

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本流の様子

2009-02-12 16:12:14 | 広瀬川

(撮影はいずれも2月8日です。)

 

 中洲に上がって本流筋を下流に向かって撮ったものです。

 澱橋が見えます。

 水量は申し分ないです。 いい感じに流れています。

 写真中央の荒瀬の下流の岩盤の溝には、去年は大アユがいましたが、今年はどうなることやら。

 

 

 去年までは中洲から竿を出すなんてことは考えられませんでした。

 それどころか、中洲から出ている木の枝に天井糸を絡めてしまって、何度悔しい思いをしたことか。

 その点では、中洲の伐採には感謝?ですが。

 その分いろんなところから自由に竿を出せるようになったため、釣り切られてしまうのが早まるのではないか、などど今から心配したりして・・・。

 

 

 最後はもっと上流の西道路のトンネルが切れているところの流れの様子です。

 ここはかってはかなり深く、夏には泳ぐ人たちで賑わったものです。

 

 またもや古い話しになりますが、ここに丸太を組んで監視台をつくり、一応は監視員もいました。

 自転車でアイスキャンディを売りに来ていました。小さい旗を立てて。当時のアイスは、ミルクアイスとあずきアイスで、ともに5円でした。 10円となると、アイスもなか(中味はあずき)でした。

 

 

 そして、今はまったく考えられませんが、進駐軍、米軍の軍人やその家族も水泳に来ていたものです。

 写真の上には進駐軍のキャンプがあったからです。

 日本人を尻目に、自分たちは人間が寝転んでも沈まないような浮き袋を持ってきて楽しんでいました。

 

 最後に、悲しいことですが、一シーズンに一人は溺れ死んだようにも記憶しています。いわゆる土左衛門ですね。子どもが多かったように思います。

 

 そうそう、それとここで近くのキリスト教関係の女子高が洗礼を受けていました。(前にも書いたようですが)

 

 いずれも今は昔のお話しでした。

 

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8日の分流

2009-02-11 21:41:53 | 広瀬川

 写真はいずれも8日に撮影したものです。

 いやあ、ビックリしました。

 別に今広瀬川は渇水ではないのですよ。

 本流筋は冬にしては多いくらい。

 それなのに遡上したサケで賑わった分流は、見るも無惨な有様。

 水がないのです。渇水状態でした。

 

 

 一枚目は分流の下流側の様子。

 川底の岩盤がむき出しになっています。

 宮沢賢治の童話の世界の感じでしょうか?

 

 

 2枚目も分流の下流側、本流との合流点付近の様子です。

 

 下の3枚目の写真は、中洲に渡って分流の上流側を撮ったものです。

 そうなのです、分流の水がないのは上流側で流れを押さえていたからです。水を止めようとしていました。

 

 何故そんなことをするのか???

 もしかして? 渇水状態にして、護岸工事でもするのかな?と嫌な考えが生まれました。

 

 分流の両側も、傾斜が穏やかになっているようです。

 何を企んでいるのか?敵は!!

 

 

 下の写真は分流の上流域にさらに近付いて撮ったものです。

 これはどう見ても、意識的に石を入れて、流れを堰き止めようとしているとしか考えられません。

 

 

 下の写真は分流の上流部、取水口?の様子です。

 なぜか、古タイヤまでが置かれています。

 左側が本流側になります。左から右に流れます。

 

 

 最期の写真は、取水口から下流域を撮ったものです。

 11月から1月にかけてこの分流で産卵したであろうサケの稚魚はもう既に汽水域から海に下っていることとは思いますが、本当にそうであれば嬉しいです。

 まさか、水量が少なくなって海に下れないということはないでしょう。そう思いたいです。

 

 ここの工事は確か2月10日で終了のはずだったのですが。

 8日の段階では、澱橋に下にあったプレハブの現場事務所は取り外されていましたし。

 

 

 でも、これからどうなっていくのか??このまま放置するということはありえないでしょうから。 

 いろいろ心配です。


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予定変更して、金魚

2009-02-10 23:08:00 | お知らせ

 背後霊、幽霊が写っている感じで不気味ですが、金魚に注目してください。

 

 この金魚、一年以上前にブログでご紹介した金魚です。コメットという金魚だったか?

 それまで飼っていた金魚がなぜか全滅して、淋しくなったので、その内買いに行こうと思っていたら、妻に先に買われてしまってガッカリしたようなことを書いたと記憶しています。

 

 その後金魚も大きくなり(餌を与えすぎたと思うのですが)、最終的には4匹くらいになり、仲良く(多分)生きていたように思います。

 大きさも大中小と餌の食べ方、量の問題なのか、大きさはまちまちで、結局その後も死んでしまったりして、小さい金魚、一番小さい金魚が生き残りました。

 

 そのとき、この金魚はすっかり弱っていて、一番最初に死んでしまうものと家族一同誰もが思っていました。 何しろ、もうすっかり「寝たきり状態」だったのですから。 本当に横になった状態で、辛うじて生きている、口をパクパクしている状態だったのです。

 

 それがしぶとく生き延びて、結局他のどの金魚よりも長く生きたことになります。 

 不思議なことに1匹だけになると、どういうわけか元気になってきたのです。 寝たきりが治ったのです。 起き上がった?のです。

 起き上がったとはいえ、自由に泳ぎまわるというところまではいきません。じっとしていることが多いです。 でも、水槽をトントンと叩いたりすると反応して思い出したように泳ぎます。 心なしか口パクも多くなったかのように感じます。

 

 今では餌はたまに与えるようにし、じっと見守っている状態です。でも何とかもっと元気に泳ぎ回って欲しいと祈るような気持ちで、家族は毎朝、毎晩見ては話しかけています。 愛着というか愛情が湧いてきます。

 1匹だけになったので何とか長生きして欲しいものです。

 

 

 石原一輝さんの詩集を読んでいたら「きんぎょ」という詩が目に止まりました。 かわいい詩です。

 

    「きんぎょ」

 

   きんぎょは

   はなしが

   したいから

   くちを ぱくぱく

   あけるんだ

   しっぽを ゆらゆら

   ゆらすんだ

 

   きんぎょは

   あそびに

   いきたくて

   だれかを まって

   いるんだよ

   まあるい めをして

   ねないんだ

 

 1994・5・12 銀の鈴社発行より

 


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しつこいですが・・・。

2009-02-09 22:12:02 | お知らせ

 しつこいようですが、いやしつこいですが、8日の近くの河原の様子の一部です。

 またもや河原の大木等の伐採の跡です。

 

 これもあと何ヶ月かすればすっかり忘れ去られてしまうでしょうから、せめて近くに50余年住み、いろいろな恩恵を受けた者として、樹木になり代わり記録し、公表していきたい、皆さんに知ってもらいたいと思って、何と言われようが自分の信念として、今後とも何かあればこの拙いブログにてお知らせしていきたいと思っています。

 

 今回の伐採の跡は、分流の上流の広い河川敷に聳えていた樹木の哀れな姿です。

 

 確かにきれいにはなりました。すっきりしました、とっても。

 今までは上流のほうの河原は草茫々で、それも外国原産の草で、野球のボールが落ちていけば探すのは大変です。並大抵の覚悟では探せません。

 背丈をはるかに越すくらいの高い草ですから。

 また、何が住んでいるか分からない、蛇や蜘蛛や毛虫等得体の知れないものが棲んでいるかもしれないと思ってしまうからです。

 

 そこがきれいさっぱり刈り取られ、土の部分と石の部分にきれいに整備されました。

 いままでも何度か河原の草は刈り取られましたが、春になるとまたもや前の状態に戻ってしまっています。 春から露にかけてどのように変わるのか、または変わらないのか、今後とも見続けていきたいと思っています。

 

 もう飽き飽きしていることとは思いますが、観てやってください。そして感じてください。木々の気持ちを。

 

 

 

 

 

 

 

  明日に続きます。


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地下鉄用橋梁建設その3

2009-02-08 22:07:14 | お知らせ

 仲の瀬橋下流に建設中の橋、地下鉄用の橋梁建設のその3です。

 撮影は今日2月8日(日)午後3時頃

 逆光での撮影となりました。

 

 

 3枚は左岸側の建設の様子です。

 大分工事は進んでいるといっていいのでしょうか。

 

 

 

 3枚目は何なのでしょうか。巨大なガスボンベみたいなものです。

 河川底を掘るためのものでしょうか。

 

 

 左岸側から右岸側の工事をみたものです。

 2枚とも同じような写真をアップしてしまいました。

 

 

 

 

 最期は、仲の瀬橋から下流の工事現場を撮ったものです。

 

 

 


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催涙弾

2009-02-07 23:27:59 | 思いつくまま

 昨日は疲れのためか、眠くて眠くて、8時半頃には布団に入ってしまいました。 

 

今、「警官の血」第一部が終わりました。続きは明日のようです。

 

 日本の敗戦のときから昭和60年代まで一気に進みましたが、ストーリーについてではなく、大菩薩峠に集まった革命を夢見た全国の学生、約50人が山梨県警の機動隊に一網打尽にされた場面で、催涙弾が使用されました。

 それで昔々のことを思い出したわけです。

 

 皆さんは催涙弾を浴びたことがありますか? 浴びるとまではいかなくても、催涙弾の煙にまかれたことはことはありませんか?

 

 

 学生時代のことではありません。 自分がまだ未就学児の頃でしょうか、自宅近くの広場で警官隊が演習を行っていました。

 何故かは思い出せませんが、今思うともしかして朝鮮戦争の頃か、または共産党等の革命を鎮圧するための演習だったのかもしれません。

 1回だけではなく、数回にわたって町内の広場で警官隊が催涙弾の実弾発射訓練?を行っていました。それははっきり覚えています。

 川の傍だったからということなのか、どうか。

 

 

 演習の前に、町内の家家に向って家に入って出てこないように、隙間に目張りをするようにとまで言ったかどうかは定かではありませんが、とにかく家に入って出てこないようにということは言われて、家族で閉じこもっていた記憶があります。

 

 今と違って、昔は隙間が一杯ある家で、一酸化炭素中毒なんて考えられないような、自然換気が行われるような家でしたから(ということばかりではないのでしょうが)、発射された催涙弾の煙が入ってきました。

 

 ナント形容すればいいのか、何とも言えませんが、とにかく喉と目にきました。あの臭いというかむせ返るような、くしゃみがでるだけというような生易しいものではなく、ジーンとジワジワときいてくるような、目を開けていられない、喉もいがらっぽくなる、うまく言えません、もどかしいですが、なんにしてもとてもトテモ嫌なにおいであり刺激臭であったことを今でも覚えています。

 

 その頃はまだアメリカ進駐軍が駐留していたころかなあ、としたらアメリカ軍と連携しながら演習をしたのかもしれないし、アメリカ軍に断ったうえで警察だけで実施していたのか、何とも言えません。

 

 

 今となってはどうでもいいことなのですが、小さいときの地元での経験を思い出しました。催涙弾というか催涙ガスは御免被ります。

 ましてや、大砲や機関銃の実弾は絶対に御免被ります。


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シーラカンス

2009-02-05 22:32:26 | お知らせ

 どういうわけか、ここ2週間の間にシーラカンスの新聞記事が2回ありました。

 一つは朝日新聞で1月30日のもの、もう一つは2月3日の地元の河北新報の記事です。

 

 朝日新聞(1/30)の記事は、「タンザニア シーラカンス3匹寄贈 保存難しく東工大へ『避難』」という見出し。

 河北新報(2/3)の記事は、「シーラカンス展示向けに解剖 骨格まで観察可能 アクアマリンふくしま」です。

 

 前者は、タンザニアの電力事情が悪くて冷凍保存が難しくなったために寄贈されたものです。 今後の方針はシーラカンスの発生や進化の謎に迫るために解剖されるようです。

 

 後者は、去年の10月にアクアマリンに運ばれて来ていたもので、3日に解剖が実施されたものです。解剖の目的は、3月から内臓や骨格が見える形で展示するためのようです。

 ここでは過去にもインドネシアで捕獲された個体を解剖して展示していましたので、今回で2回目となります。

 

 シーラカンスは、なぜかアフリカ沖とインドネシア近海で昔の姿のまま生息していて、そこでしか捕獲されてはいないようです。

 インドネシアには現在何匹捕獲されて、保存されているのか分かりませんが、タンザニア沖では2003年以降で約40匹が捕獲され、冷凍保存されているとか。

 

 ロマンがあります。 一度は実物を見てみたいものです。

 

 

 次はロマンのない話し。

 

 読売新聞の面接方式による全国世論調査によると、総理大臣が望ましい政治家として、またもや小泉の名前があがり、何となんとナント一番人気だと言うのです。

 あの売国奴小泉、敵前逃亡するだけではなく、自分の息子を跡継ぎの政治家にしようと目論んでいる小泉、日本をここまでダメにしてしまった基をつくった小泉、全ての元凶の小泉が総理大臣として一番相応しいというのです。

 どこまで国民はおめでたいのでしょうか。どこまで洗脳されているのでしょうか。ここまでくれば最早国民はアホ・バカの集まり、烏合の衆としか言いようがありません。

 

 呆れて言葉がありません。どこまで騙され続ければいいのでしょうか。いつになったら売国奴の正体に気付くというのでしょうか。

 このまま死ぬまで騙され続けたいということの表れでしょうか。

 

 このままでは日本に将来はありません。 アメリカと中国に弄ばれ、両国の取引に利用され、揚げ句の果てには中国に併合されてしまうことでしょう。 そのために、今日本は政治家から国民までみんな破廉恥、馬鹿なことばかりをやりあっているのかもしれません。

 

 本当にまじめに小泉を待ち望んでいるのでしょうか。

 どこまでおめでたい国民なのでしょうか。


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短歌と演説と

2009-02-04 21:47:50 | お知らせ

 先月26日の朝日歌壇から。

 選者は、何回か取り上げている”馬場あき子”氏

 

 切られゆく百歳の樹は喘ぎつつああ幾度もさよならを言う

 

 またもや、我らが雲の上のおめでたいお坊ちゃま麻生内閣総理大臣がやってくれたそうです。

 ダボス会議での演説でのこと。

 

 

 「決然」を「けんぜん」

 「見地」を「かんか」

 「基盤」を「きはん」

 

 

 さすが、英語に堪能な国際的な首相です。

 

 

 また、中川財務大臣も先の国会での演説で、見事麻生総理大臣の後を継いでくれました。

 これで、麻生内閣も安泰です、9月までは。

 

 

 「渦中」を「うずちゅう」

 

 

 まあ、これは単にバカだからということで許されないこともないのですが、「歳入」と「歳出」を間違うということは、財務大臣として、もう恥ずかしくて、財務大臣失格以外のなにものでもありません。

 さらに、金額を何度も間違えて読むということ、これも財務を預かる担当大臣として退陣ものです。

 これらはアル中ということに起因するのかも。

 

 かって青嵐会なるものを自民党内につくって、その代表世話人となった中川一郎という代議士がいて、なぜか自殺(他殺という噂もありますが)して幕引きを図ったその男の長男が二世議員として政界に出て、いつの間にか財務大臣、大臣の中でもトップクラスの財務大臣になってしまうというのですから、これは正にジャパン・ドリームでしょうか。

 まあ、こっちにはまったく関係のないことですが。

 

 少なくとも、彼らには日本の教育云々ということは言って欲しくはないと切に思います。 一日遅れですが、政界の外に出て行って欲しいものです。

 


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分流の左岸の比較

2009-02-03 21:27:05 | お知らせ

 写真の比較です。

 いずれも分流左岸の様子。

 1枚目は1月26日のものです。

 

 

 2枚目は1月10日の写真。

 雪はありませんでした。

 詳しくは1月10日のブログをご覧ください。

 

 

 3枚目と4枚目は去年12月28日の状況です。

 雪景色です。

 分流の左岸に生えている樹木はほとんど伐採されてはいません。

 それどころか、樹木があればこそ、雪景色に更なる風情を与えているとは感じませんか。

 見方によっては、寒々とした河原の風景、または落ち着いた静謐を湛えた小川の冬景色。

 冷たさの中にほのぼのとしたものを感じないでしょうか。

 

 

 4枚目の写真は私が気に入っているものですが、もうこの情景はなくなってしまいました。再び蘇ることはあり得ません。

 返す返すも残念です。

 なぜ、こんなにも切る必要があったのか。

 解せません。

 

 

 普段から河川敷の様子に、状況に、情景に慣れ親しんでいないから、だからこそ切れるのでしょうね、ばっさりと。

 こちらは何十年にわたって見てきた、見続けてきて、それがそこにあるのが当然のこととして、一緒に生活してきた、同じ空気を吸って成長してきたので、自分の手足がもぎ取られてしまったかのように感じてしまいます。

 人間の奢りさえ感じるといえば、言い過ぎと感じるでしょうか。

 

 自然に手を加えるというのはほんとうに微妙で難しいものと思います。

 取り返しのつかないことになりかねないので、慎重の上にも慎重であるべきではないでしょうか。


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行政の怠慢!?

2009-02-02 21:11:08 | お知らせ

 昨日は宮城県仙台土木事務所に対して、行政としての暴挙とタイトル名をつけて写真をアップしましたが、今日は行政の不作為というか、怠慢として、写真を掲載します。

 

 これらの写真はいずれも昨日と同じ2月1日の撮影です。

 

 でもこのことに関しては、去年から取り上げていましたし、土木事務所にも写真を一杯添付してEメールしたのですが、住所や氏名を明記して送信したのに返事は一切ありません。

 

 切らなくてもいい木をめったやたらに、メチャクチャに切り倒しておきながら、肝心の水中の枝や沈んでいる鋼矢板の撤去はまったくしようとていません。

 

 私に言わせれば、見た目だけ、外面だけよくして(個人的には悪くしてですが)、肝心の中味はほったらかし、無頓着ということになります。

 

 

 

 

 

 土木事務所が切らなければ、春には自分で切るつもりですが。

 

 

 話しはまるっきり変わって、今日の「朝日歌壇」です。

 永田和宏と馬場あき子という二人の選者が、「戦争」と「ネクタイ」に関してそれぞれ違う短歌を選んでいます。

 こういうことはあまりなかったように感じましたので、ここでも紹介させていただきます。

 

 「ネクタイ」;

 「ネクタイを締めなくてよい週末はちょっと長めのあの人の首」(京都市の方)

 「ネクタイを締めてしまえばパパでなし不可思議の人へ手を振る二歳」(橿原市の方)

 

 「戦争」;

 「ガザ悲しガザより他を知らぬ児ら撃たれ死にたり両脚伸べて」(大阪市の方)

 「戦争を知らない子らと戦争しか知らない子らの住むこの地球」(浜松市の方)

 

 私も日常茶飯事、身の回りのことを題材にして短歌(らしきもの)を作って(無理やり)いますが、うまいなあと感心しますし、なんで子どもが犠牲にならなければいけないのか、ガザのやるせない悲劇をこういう形にして世間に訴えるということも出来るのですね。 

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雪の分流/行政の暴挙

2009-02-01 21:40:16 | お知らせ

 樹木の伐採についてしつこくアップしたためでしょうか、飽きられてきたのか、昨日のアクセス数は三桁を割ってしまいました。

 

 本当はもっと続けたかったのですが、今日は昨日の予告どおり雪景色の広瀬川をお見せしたいと思います。

 

 昨日から降り続けた雪は水分が多く湿った雪でした。

 この雪は始末に悪い雪で、重いため雪掻きが大変です。腰を痛めるもとになります。でも、ほったらかしにはできませんので、雪掻きはします。

 

 今日の写真は全て朝の9時前後のものです。

 今日の天気は快晴で、朝から太陽が眩しいくらいでした。 まして地面が雪で真っ白ですので、上と下から照り返します。 昨日の天気が信じられないくらいのいい天気。気温は低いですが。

 

 

 

 上の2枚の写真は、いつもの分流の下流域の様子です。

 何か感じませんか??

 そうなのです、分流左岸はきれいになっています、物の見事に。

 

 

 

 上の2枚は分流の上流域の様子です。

 こちらも土手はきれいさっぱり、整理されています。

 

 なんで、ここまで樹木を伐採しなければならなかったのでしょうか?!?

 そこまで伐採する必要性があったのでしょうか?

 みなさんはどう感じますか?

 

 行政の、宮城県仙台土木事務所の暴挙、行政の暴挙と言わせてもらいます。やりすぎです。

 まあ、よくもここまで平気で木を切れるものです。

 この付近に住み続けて、これらの樹木を見続け、そこにあるのが当たり前と思い、そう感じてきた者として、憤りを感じざるを得ません。 

 自宅の草木を勝手に切り取られてしまった気持ちです。悲しいです。

 

 切るのは簡単、再生は困難、なのに。

 

 

 上の写真は、分流の下流域、本流との合流までの様子です。

 

 下の写真はおまけです。楽天の選手達が多く住んでいる高層マンションが雪と青空に聳えて?います。

 

 

 まだ雪だるまはありませんでした。


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