津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

我が家検索リスト・5 (68-5 熊本所分絵図 外坪井・千反畑之絵図)

2012-10-25 09:19:46 | 地図散歩

 縦方向の大きな道路は現在国道3号線となっている。横方向の大きな道路は現・藤崎宮から上熊本方面へ抜ける道路だが、当然のことながら藤崎宮は移転しておらず、上熊本へ抜ける道も新堀付近で行き止まりである。右上の長岡和泉下屋敷とあるのが且つての細川刑部邸であり、ここにあった建物が現在城内に移築されて公開されている刑部邸である。絵図に数字表記しブロックごとにご紹介する。

(1)ブロック
    相良平八、 一丸半律右衛門、 浄行寺、 報恩寺、 川口喜久次、 鎌田杢之助(借置)、 安養院、 佐藤権弥、 志垣伝内、 
    杉本亀格(借置)、 桜田多右衛門、 安田孫右衛門、 御手洗保(借置)、 栗林子一郎、 村上野平、 沢村孫七郎、 松浦虎助(借置)、 長岡中務(下屋敷)
    草野一甫、 加来曽右衛門(借置)、 米藤新左衛門、 西村丹助(借置)、 江嶋藤丞

(2)ブロック
    真浄寺、 田中弥兵衛、 吉津準助(借置)、 境野素兵衛(借置)、 松原宅右衛門、 山内平治(借置とも)、 草刈丈左衛門(借置)、 山代丈之助(借置)、 木庭藤之助、 寺垣孫四郎、 松江九進、 松本彦作
    片岡左十郎(借置)、 松原惟一、 大塚七右衛門(借置)、 友田小助(借置)、 米村半之允(借置)、 松原左次衛門(借置とも)、 松岡八郎平(借置とも)
    河野三郎助、 町野玄同(借置)、 江口弥左衛門(借置)、 水足左兵衛、 大城才十郎(借置とも)、 岡本源三郎、 岩崎彦助、 宗岳寺
    松田猪右衛門(借置、添借置とも)、 井上久之允(借置)、 林田弥兵衛、 野田万之助、 吉田三郎(借置)、 三宅新兵衛(借置)、 戸沢熊之允(借置) 

(3)ブロック
    水津平之允(借置)、 見西寺、 志水亀之允、 
    上妻半右衛門(添借置とも)、 千代村宗元(借置)、 入江次郎太郎、 内藤三十郎、 郡司忠之允、 安本四郎左衛門(借置)、 黒川才右衛門(借置)
    熊谷太郎左衛門、 釘本藤内、 坂本平左衛門、 住谷十左衛門(借置、在勤中借置)、 阿部理左衛門

(4)ブロック
   左三角部分
    鳩野宗巴、 後藤惣左衛門、 菊池俊也、 塩山市左衛門、 近藤一太(借置、添借置とも)、 冨田宗采(借置)、 渡辺小右衛門、 大島五郎八、 
    大島久平、 福田平八、 河野玄兵衛、 元永伝次、 東平之進、 本山嶽助、 鈴木亥之助
    
   右三角部分
    松雲院、 長岡和泉下屋敷、 浅香市之助(借置)、 城七右衛門、 渡辺岡之允、 續庄兵衛(借置)、 小山官太、 鶴田徳左衛門(下屋敷借置)、 神鷹仙右衛門、 源空寺、 鶴田九内
    有働加右衛門、 平川貞四郎、 田辺友助、 清田七兵衛、 山田熊之助、 河崎見善、 山中十助、 安藤弥平太、 町喜四郎
  
   下四角部分
    河方辰五郎、 日隈杢之允、 安富重九郎、 加藤儀一郎、 伯々部三郎右衛門、 寺田三郎助、 塩間東海、 岡次助、 冨田小左衛門(借置)、 堀口九助(借置)、 江島寿久右衛門、 北川壮右衛門、 山内嘉左衛門、 天野司馬太、 富島権兵衛、 吉田常之助、 永田九左衛門、 寺本左函、
      

      

     

                                      只今作成中

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前髪を執る

2012-10-25 08:18:28 | 史料

 少々以前のことだが細川藩において、「前髪を執るについて年齢の規定」はないのかというお問い合わせをいただいた。
確たる史料がなくご返事できないで居たが、今般次の様な史料(度支彙凾)を得たのでご紹介する。

         文化十二年正月御達 
     額直・前髪執等之儀、年齢恰好似合候所ニて候儀ハ勿論之事
     ニ候處 近年ハ十歳前後位之年齢ニて前髪を執候者被遊御見
     請候 然處童形之内童之所行ハ其分之事候得共 前髪を執候
     上ハ大人之容ニ相成候間 右様之所勘考有之 向後ハ以前之
     通年齢相應之所ニて額直・前髪執候様 尤無餘儀譯有之差急
     候は可為別段と被遊御意候條 彼是組支配頭等より寄々可被
     申聞候 以上 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍田陳内地区・河川改修計画

2012-10-24 16:25:47 | 新聞

白川の大規模改修案提示 県の住民説明会始まる 

 
 大蛇行する白川(下が上流) 左下から右上にショートカットするみたいですね。

白川の大規模改修案提示 県の住民説明会始まるの写真、図解
龍田陳内4丁目の住民を対象に開かれた白川河川改修計画の説明会=23日夜、熊本市北区の龍田公民館(谷川剛)
白川の大規模改修案提示 県の住民説明会始まるの写真、図解

     熊本日々新聞から

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 追記
 10月25日熊本日々新聞から   http://kumanichi.com/news/local/main/20121025001.shtml

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御恵贈御礼-- 幕末熊本の軍制と銃砲

2012-10-24 11:47:53 | 書籍・読書

 たまきな出版舎の代表者でこの本の著者である平田稔様から御恵贈いただいた。深く御礼を申し上げる。
以前わざわざご連絡をいただきお会いして出版されることをお聞きし、なにか資料などないだろうかとのお話をいただいたのだが、まったく勉強不足かつ浅学菲才の身ではご期待に添えないままであった。今般このような立派な内容の充実した著書の発刊にこぎ付けられたことに、お祝いと敬意を表したい。
A4判157頁に及ぶその内容は、膨大な資料の収集とその読み解き、検証など大変な時間と労力を費やされたことを物語っている。
ぜひとも皆様にもお読みいただきたいと思うが、書店での販売はされない由であるので、連絡先をご紹介申し上げておく。
定価2、000円+税 

                 〒865-0126 熊本県玉名郡和水町前原451 
                           たまきな出版舎 平 田  稔 様
                  電話・FAX  0968-86-4213
                  ホームページ 「たまきなの里」  http://www.tamakina.ne.jp/
                  メール  taminoru@abelia.ocn.ne.jp             

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸詰めの皆さん ご苦労様

2012-10-24 08:10:26 | 史料

 承応三年(1636)十月朔日「江戸ニ而役付之衆江心得之覚書」というものがある。
はるか遠く国許を離れ家族とはなれ、江戸詰めの皆さんご苦労様です。・・・・・ 

                      覚
 一、御門出入之儀如今迄御奉行所より万事可被申付候事
 一、御門出入之夜五ッ切若不叶儀候而五ッ過候而出入仕衆
   有之候ハゝ御奉行所へ申断其上之叓ニ可被仕候事
 一、諸神縁日ニ御用之外御侍衆御切米取衆ニ不限一切出シ
   被申間敷候若不叶儀候而被出候時ハ其頭ニより被申断
   吟味之上出シ可被申事
 一、御侍衆自由ニ御門被出候時ハ御者頭衆ハ我等共被相尋
   候上御門出シ可被申候与付之衆ハ与頭より之手紙次第
   ニ出シ可被申候事
 一、御家来衆江他所より使又は見廻之衆有之時ハ其時々に
   御奉行所へ被相届御奉行所よりの差図次第ニ入可被申
   候大形は任先例御門ニ而相對可被仕候事
 一、御医師并与外之衆・御中小姓衆諸触等如今迄従御奉行
   所触可被申候事
        上村理右衛門殿
        志水金右衛門殿 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

細川家家臣--山崎(定平)家

2012-10-23 17:38:15 | 徒然

 なんとなく我が家の本棚を眺めていたら、冲方丁(うぶかたとう)の「天地明察」が目に入った。いろんな賞をうけ、又映画化されるなど話題の本だが、難しい題材をよくぞこんなに面白く書けるものだと思ったものだ。
                     http://www.tenchi-meisatsu.jp/index.html
先にもご紹介したが、永青文庫では秋季展「細川家に残る江戸の天文学で、渋川春海の「天球儀」「瓊矛拾遺」などを展示している。何でこのようなものが細川家に残されたのか?細川家の奥の深さを思い知らされる。
                     http://www.eiseibunko.com/ 

渋川春海の碁の好敵手であった本因坊道策もまた細川家とはゆかりの深い家である。
本姓を山崎とするが、道策の生母が細川綱利の乳母である。その縁で長兄・山崎七右衛門の子・五郎太夫が細川家に召し出された。(400石)
先祖附を詳しく拝見していないが、七右衛門も扶持を拝領していたのではないかと思われる。最後の当主が定平である。
綱利も道策に手ほどきを受けたことかと思われるが、道策の碁の師匠は生母(綱利乳母)だとされるからこちらからかもしれない。
                     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9B%A0%E5%9D%8A%E9%81%93%E7%AD%96

この映画は観ていないが、主演の岡田某が再来年の大河ドラマで黒田官兵衛を演じるらしい。
ジャニーズ系のイケメンである岡田と官兵衛は似ても似つかないが、どういうドラマになるのかちょっと気にしている。
                     http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/134013.html

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまた・・又、地震の間

2012-10-23 08:21:51 | 史料

 10月17日 またまた地震の間 を書いた。そろそろ史料のほうも尽きたかと思っていたらまた現れた。それも花畑邸の地震の間についてであり、光尚の書状であるというのも初めてである。(熊本縣史料・近世編第三 部分御舊記・法度部五十六 p456)

    (寛永二拾年)
         猶々符を切候所又新敷付候所ハ其元より差図ニ書付差返候間
         可得其意候已上
      花畑地震間就作業奥へ之廊下口ニ我等符を付置候廊下仕直候ニ付
      而右之符切申度候通作事奉行共申之由ニて絵図を差越見届尤候其
      符其方両人見届切可申候就其只今符二ツ遣候間内壱ツハ今まて符
      付置候廊下之奥之つまりニ付置可申候今壱ツ之符ハ自然急なる儀ニ
      切候ハゝ不叶儀も候か又ハ符ニさびなと付候時之為ニ遣候此符不入
      候ハゝ其方両人手前ニ預置我等帰国之上可差上候謹言

                              肥
           十月廿日              光尚 御判
                         西郡要人佐殿
                         浅山修理亮殿 

花畑邸の地震の間については 花畑邸・地震之間  花畑邸・地震之間 其の二 で、絵図をご紹介した。
上記書状によると新築の作業であるのか、又は建て増しや繕いの作業であるのかわからないが、絵図にある地震の間であることは間違いなさそうである。
忠利の地震の間に対する関心からして、この地震の間は忠利によって建てられたと私は考えている。その後何らかの手が加えられ上記図面の如くに完成したのではないだろうか。更なる史料が出てくることを楽しみにしている。 


 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

mino阿弥氏コメント・・「加藤氏」その三

2012-10-22 16:24:28 | 史料


「明智氏一族宮城家相伝系図書」によれば、三宅氏には明智頼秋、頼秀の兄弟として国朝がいて、三宅越後守入道浄山、住羽栗郡三宅(現岐阜県岐南町三宅か)と書かれています。また、光秀の父とされる明智光綱(本名光隆)の兄弟明智光安(明智家後見)の子に宮城兵内(住尾州宮城村)、光俊(三宅弥平次・明智左馬助本名光春)、光景(明智次郎八、号三宅孫十郎)。光俊の子に宗俊(三宅弥惣次、後改宮城弥十郎、宮城長頭右京亮)。宗俊の子に宮城又之丞、宮城平次郎などが見られます。
また、加藤清正は善政を敷いて肥後の人々に慕われているようですが、「熊本城公式ホームぺージ」などを見ると、清正についてどの程度研究されているのか不審に思われます。
家紋の性格としては、下賜された又は出自を表わすために用いられたと解釈するのが普通ではないかと考えます。
改易された尾藤家の家紋を、そのまま加藤家の家紋にしたという説明は、加藤清正の出自や名誉を貶めるものではないかと思われます。
たとえ一次史料とされるものであっても誤りはあり、反面、口碑伝承、伝記、系図類は史実として証明することは困難ですが無視や軽視をしては、歴史研究は成り立たないのではないかと思います。
他県の者から見れば、加藤清正について、もう少し広範囲で慎重な研究が必要ではないかと思われます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊本県立図書館百周年記念・ロビー口座 時習館を学ぼう「改革の柱は時習館」

2012-10-22 14:44:59 | 熊本

            ロビー講座チラシ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城下町大改造

2012-10-22 11:53:49 | 地図散歩

 先の大雨で白川の氾濫により甚大な被害を受けた熊本市竜田陣内地区は、原始を思わせるような大きく蛇行する川筋に舌のように大きく南側に飛び出している。
阿蘇でも一宮で大被害が出ているが、上流部の大量の降雨を集めて白川に流れ込んだ水は、高低差を利用して激しさを増し行く手を遮るような陣内地区を襲ったのである。今にしてみれば、何故こんなところに住宅地が形成されたのだろうかと、首を傾げるほどである。

 慶長国絵図をみると白川は城下に至って陣内同様(こちらは北側方向)に大きく蛇行している。現在の熊本市役所前の坪井川と繋がっていたことがわかる。
この舌のように飛び出た蛇行を正保期に改修して直線化した。現在慶徳小学校がある辺りにかっては慶徳堀という池(?)が在ったことが絵図で伺えるが、どうやらこれが且ての白川の流路が取り残されたものである。そして流路切断された坪井川は、新たに開鑿され熊本城の長塀に沿うようにして流れくだり、横手へいたり当時の祓川(井芹川)に合流した。(のち井芹川も開鑿されて流路を変更する) こうして、白川・坪井川・井芹川に囲まれた総曲輪が形成されたのである。

下って白川と坪井川は併行することになるが、清正公はここに石塘(いしども)をつくり、水量が増したときの白川の水を坪井川へ落とす工夫を施している。
まさに清正公が土木の神様といわれる所以である。

陣内地区の河川防災の工事を始めるためにいろいろ検討が行われているようだが、高い護岸が為されるのであろう。日ごろは静かな川の流れに親しんできた人たちにとっては、輪中で生活するような感じになるのだろう。早い段階で河川の直線化が為された熊本中心部は、なんとかぎりぎいで越水を免れた。
改めて絵図を眺めながら先人の知恵に驚かされるばかりである。

下にある論考の内、絵図だけでもご覧いただきたい。 

       加藤清正による流水制御法「白川の石塘}の機能評価
           http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/15109/2/Civil-16-2010-02r.pdf

            

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第25回熊本地名シンポジウム出席

2012-10-21 07:53:46 | 徒然

 昨日は熊本地名研究会(他)主催の、第25回地名シンポジウム「清正公さんの城下町形成」に出かける。
新町の熊本市立一新小学校・体育館で行われたのだが、午前九時の開会前には大勢の方々がお見えになっていて、関心の高さが伺われた。
私は残念ながら午後の出席は出来ず、午前の部の松本寿三郎元熊大教授の「清正公の城下町形成」と、会場のすぐ近くで行われている「高麗門」「御成り道」の発掘に関わる担当者の、プロジェクターに資料を投影しながらの「高麗門遺構の発掘」を拝聴する。

私は特に後者を興味深くお聞きした。高麗門の遺構は、元々高麗門が建設され、後に櫓門にたてかえられたが高麗門の名前だけが残り今日に至っている。
遺構は櫓門に関するものと思われるが、そのわずか西の端の部分が確認されたのみで全体像は判らない。しかしながら今回の発掘をきっかけに、地元を初めとして関心が高まっている。再建の話も出ているようだが、はたしてこちらは如何だろうか。

松本先生のお話は私のささやかな常識を、一歩も二歩も前進させていただいた。関係者のご努力に感謝・・・・
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拝領の御羽織を着たい・・・けど

2012-10-20 13:02:14 | 史料

 先祖附を読むと決まり文句のように出てくるのが、「出精相勤候ニ付」という言葉で、いろいろ拝領することになる。
例えば九曜紋の御羽織などを頂戴すると、着てみたいと思うのが人情であろう。ところがこれは簡単にはいかなかったらしい。
原則として、「拝領之品は衣服ニ不限相用候儀不苦事ニ候得とも、御紋無之御制度(ママ)外之御品を拝領之節、其段届可有之事」とある。

いろいろ調べてみると、文政三年に「覚書」が発せられていた。

       覚
   父祖拝領之御紋之品 子孫依願着用被遊御免旨 文化三年被仰出置候處 此
   節御様子有之以来父え被下置候御紋之品は其身拝領有無ニ不拘今迄之通
   着用被遊御免 先祖より祖父迄拝領之御紋之品着用願は不被遊御免旨
             但 先祖依武功被下置候品着用願 且又被下置候御小袖等自身は着
         用不仕老父母之内え着用仕せ度との願は 是迄之通可被遊御免旨
   右之通被仰出候條 奉得其意觸支配方えも可被申聞置候 以上
        十二月 

要するに家紋が入った御品の拝領はまさに特別であり、そうであるが故に又その取り扱いについても、一段の規制が設けられている訳である。
恐れ多い名誉の御品は、着用などせずに大事/\に家の宝としなさいということであろう。
考えてみれば、城下に「九曜紋」の羽織を着た人がたくさんウロウロしているのも問題ではある。 
                                     (藩法集7・熊本藩 p566-122 より) 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天草一揆・三宅藤兵衛消息

2012-10-19 15:54:38 | 史料

この書状は、寛永十四年十一日~十四日、御使番・井口勝左衛門が天草に於いて三宅藤兵衛に接触した状況を、後日(十五年七月廿三日)組頭・明石源左衛門を通じ、家老などにあてて報告したものである。

           三宅藤兵衛殿本戸(本渡)ニ御座候由相聞へ申候ニ付 御老中より御状被遣候ヲ片山左助・私両人持参仕候
          先様之様躰段々御注進申候得と被仰付壱人ニ浦船壱艘御鉄炮五丁宛乗被遣候 若一揆共ニ参會りししん成
          儀有之候とも如何様ニ仕候而成とも御注進申事肝要之由被仰付十一月十一日之夜半ニに川尻を出船仕明
          十二日昼の七ツ時分ニ本戸へ著仕候 左助ハ藤兵衛殿御返事ヲ取早速罷帰候 私ハ本戸之様子為可承届ニ
          一日逗留仕候 然に唐津衆上津浦表へ番船を出し置被申候所に一揆とも上津浦より船数ヲ出シ鉄炮打立ニ付
          番船ハ同十三日之夜半時分に本戸へ押入申候 然ハ近日一揆とも本戸へ取懸申由風聞仕候間私逗留仕候ハ
          ゝ一揆取掛申時唐津衆一所に罷成より外之儀ハ有御座間敷候 左様ニ御座候間随分かまい不申候様ニ仕罷
          帰在見届申度存候つれ共一揆衆共之船をかけ申所ニ而御座候ニ付私共舟ヲ懸置儀不罷成候間藤兵衛殿ニ
          御いとまを申御老中江之御状を請取候而同十四日之夜明に船を出し三里ほと参候所ニ上津浦より人数を出し
          舟とくがとより小嶋子・大嶋子其外村々放火仕無程本戸ヲ焼立申候を海上より見届ケ申早々罷帰右之通御老
          中へ申上候事 
                                 (熊本縣史料・近世編 第三 部分御舊記・軍事部十 p203~4) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家検索リスト・4 (68-4 熊本所分絵図 手取之絵図)

2012-10-19 09:02:26 | 地図散歩

                        西・坪井川、東・白川に挟まれた上通りや現・国道三号線の左右の一帯である。

 左列
   岡崎嘉右衛門、 南李斉、 元田仁之助(借置)、 堤茂左衛門、 松野亀右衛門

   高橋弥兵衛、 増田準次郎(借置)、 合志弾之允(借置)、 松田真之助、 山崎助之允、 岡松辰吾、 野々口道允(借置)

   秋山喜兵衛(添屋敷とも)、 須佐美九郎兵衛(添屋敷とも)、 藤本弥三郎、 山移八右衛門(借置)、 渡辺直之允

   中村助左衛門(借置)、 戸田右之蔵、 中村和助、 前原林之助、 藤原尉助(借置)、 上野善右衛門(当分借置)、 石寺甚内(借置)、 可児才助、
   生駒九左衛門(借置)、 河口権兵衛(添借置とも)、 堀部甚三郎(借置)

   右田忠左衛門、 石橋左伝(借置、添借置)、 草野司馬太郎(借置)、 松山権兵衛(借置とも)、 久保田治部丞(借置)、 尾藤金左衛門(借置とも)、 門司源兵衛、
   大塚儀兵衛(借置)、 山縣嘉平太(添借置とも)、 鎌田軍之助、 田中久平、 中嶋彦助、 中根市十郎、 山本喜八郎(借置)、 妹尾孫作、 南善之助、 太田亀源太(借置)、 入江太郎八(借置)    

 中央列
   沼田貞右衛門、 松野八郎左衛門、 津田平次右衛門、 久光源右衛門、 志水安之丞(添借置)、 赤石五郎八、 
   片山安之丞、 古庄佐助(借置)、 寺内策之允、 相場源左衛門(借置)、 長谷川柳栄、 岩村九兵衛、 田村銀左衛門、 関宗左衛門

   中山茶左衛門(借置)、 作田彦之助(添借置とも)、 佐村作之允、 山尾平之允(借置)、 水上平蔵(借置)、 久野熊助(借置)、 末岡左十兵衛、 尾藤金左衛門(下屋敷)

   井場儀兵衛(借置)、 津野田儀左衛門、 吉田忠助(借置)、 平井太郎助(借置)
   井上弥蔵(借置、添借置とも)、 岩崎物部(借置)、 内藤嘉十郎(添借置とも)、 野口忠太、 坂口騏十郎、
   小野八之助、 渡辺文之允、 志方何右衛門(添借置とも)

   島田徳左衛門(下屋敷借置とも)、 谷内蔵之允、 高橋治部右衛門、 加来板平、 富岡平之允、 東弥左衛門(借置)、 岩佐貞右衛門、 佐藤健之助
   尾藤金左衛門(下屋敷)、 土山権太佐衛門、 高見権右衛門(借置とも)、 内尾杢兵衛

   松野七蔵(借置)、 衣笠騏三郎、 道家七郎左衛門(借置)、 佐野権之助(借置)、 関繁兵衛(添借置とも)、 小堀清右衛門(添借置とも)、 沢弥門、 椋梨文右衛門(借置)
   井田惣右衛門、 石川源兵衛、 宮原平右衛門(借置)、 斉藤愛助、 斉藤亀助(借置)、 内藤助左衛門(借置)、 長安寺、 宮川貞右衛門(借置)、
中路新之允、 魚住源次兵衛

   貴田権内、 清水数馬(下屋敷とも)、 白木五兵衛、 武藤猪左衛門(借置)、 中島次兵衛、 久保光右衛門、 清水橘斉、 尾藤金左衛門(添借置)   (熊日会館・熊本現代美術館・ホテル日航・肥後銀行)

 右列
   吉田潤之助、 吉田彦左衛門、 中島源之允、 岩佐合平、 山川岩之助(借置)、 村崎市之允、 河原七兵衛、 能勢市之進(借置)、 小山多左衛門(添借置とも)

   真野庄之助(借置、添借置とも)、 須崎治部助、 法念寺  
   坂崎半兵衛(借置)、 猿木権七、
   
   光勝寺、 木村仙之助、 多田武兵衛
   山本喜八郎(添借置)、  

   松岡甚九郎、 関孫之丞、 野津藤右衛門(借置)、 
   中村久右衛門(借置)、 松葉勘助、 的場角兵衛(借置)、 
   財満八太郎、 門岡忠左衛門、 南萬之允(借置)
   吉田弥太郎(借置)、 吉富一之允(借置) 

     

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藩校時習館に学ぶ

2012-10-18 17:09:34 | 展覧会
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする