本日の札幌は、蒸し暑く、眠れそうもない。
アルコールの追加補給をしようかと、思案中。
かつて私は、長渕剛氏の、大ファンであった。
私の中では、やっぱツヨシは、【「とんぼ」以前の時代】なのだ。
「家族ゲーム」も「夜のヒットスタジオ」もイイ番組だった・・・
古き良き’80年代に思いを馳せる、2020年の私である。
1995年の春。
当時はまだ社宅の公団住宅に住んでいた、我々夫妻。
休日の朝、FMラジオから流れてきたこの曲のイントロを聴き、
「むむっ、透明感のある、イイ曲だな~」と思ったのが、この曲との初めての出会いだった。
その時。
もちろん、スピッツというバンドは知らなかったし、この曲のタイトルが「ロビンソン」だということも、知らなかった。
その後この曲は、カーラジオ等でも頻繁に耳にするようになり、じわじわとヒットチャートを駆け上っていった。
そして私は。
「この曲、ヒットする前から、イイと思ってたんだ。やはり私の音楽センスは素晴らしいのだ!」的なことを、妻に熱く語ったところ・・・
「素晴らしいのは、あなたの音楽センスじゃなく、この曲そのものなのよ!」と、ピシャリとたしなめられてしまったことを、憶えている。
ああ、それから、早くも、25年が経過してしまったとは・・・
ともあれ、「ロビンソン」。
四半世紀を経ても、色褪せない、素晴らしい名曲だと思う。
そして、なんでこの曲のタイトルが「ロビンソン」なのかというのは、私にとって永遠の命題である。
時は昭和61年=1986年。
たゆまぬ努力の末。
大学生だった私は、同じ学年の「薬師丸ひろ子」さんと、松任谷由実さんのコンサートに一緒に行く約束を、取り付けることに、成功した。
しかしながら、そのコンサート当日の朝。
薬師丸さんから、電話があった。
かいつまんで言えばそれは、「ごめんなさい。私、やっぱり、今日は行けない・・・」との内容であった。
だったら、最初から断るか、もっと早く言ってくれよ
いわゆる「ドタキャン」に、まだティーンエージャーだった私は、大いに嘆き悲しみ、布団をかぶって泣きぬれていた。
しかしながら、事情を知った友人の助言により、「別の友人♂」にそのチケットを委ね、なんとかその日のコンサートに、心を奮い立たせて、参戦した。
そしてその「別の友人♂」は、ユーミン様にはあまり興味が無かったようで、終始冷めた様子で私の隣席に座っていた・・・
しかしながら、彼は。
この「DESTINY」のイントロでやおら立ち上がり、まさに「豹変」してノリノリになっていたのだった🐆
あの瞬間は、今も鮮明に憶えている。
そして私は。
この曲の歌詞に出てくる「緑のクウぺ」は、やはり「いすゞ117クーペ」なのだろうと、推測する。
吉田拓郎でいえば「落陽」的な立ち位置の、「DESTINY」。
この曲を聴くと、血が騒ぐというよりは、青春時代の甘酸っぱさ&苦さを、思いだす私なのだ。
クリス・レア氏の前作「ON THE BEACH」があまりにも素晴らしかったので、1987年に購入したのが「Dancing With Strangers」である。
当時私は、これをカセットテープに録音し、通学列車の中、ウォークマンでいつも聴いていた。
クリスマス・ソングなのに、なぜか暗いトーンの「Joys Of Chrisitmas」。
冬の日本海を見ながら、そのギターとビートがココロに沁みた、「Windy Town」。
「麺や けせらせら」でラーメンを喰う際、いつも頭の中に浮かぶ佳曲「Que Sera」。
深く、そして、強い愛情「Loving You Again」。
その渋い声と、心の襞をくすぐるフレーズのギター。
そして、カーフリークだという、クリス・レア。
私は、彼の音楽を、抱きしめるように愛する。
1987年に登場した、「マツダ・エチュード」。
それは、ファミリアをベースに開発された、スペシャリティクーペ。
ホンダでいえば、「シビックに対するインテグラ」的な立ち位置にある車だった。
そのCMのバックに流れていた、渋い声のシンガーを、アナタは覚えているだろうか。
「クリス・レア」。
その、渋いヴォーカルと、心地よいギター&リズムに、当時大学生だった私はTKOされたのだ。
余談だが、洋楽のアーティストで、私が複数枚のアルバムを所有しているのは、このクリス・レアの他は「ザ・スタイル・カウンシル」と「スザンヌ・ヴェガ」、そして「ザ・ビートルズ」である。
私が洋楽を好んで聴いていたのは、1985年~1988年あたりだった。
あの頃は、輸入レコード店の「CISCO」に入り浸っていたものだ。
当時札幌には「TOWER RECCORDS」もあったが、私個人は「CISCOはブリティッシュでTOWER RECCORDSはアメリカン」というイメージを持っていた。
なので、「CISCO派」を気取っていた、若き学生時代を、面映ゆく思い出す。
’80年代のポップシーンを彩る、どちらかといえば「英国寄り」の音楽番組だった「ザ・ポッパーズMTV」。
その進行役だったピーター・バラカン氏も、このクリス・レアはお気に入りだったようだ。
当時、このアルバムを紹介するときに、「アナログ盤よりもCDは3曲も多いから、お得ですよ!」と氏が語っていたのを、よく覚えている。
このアルバム購入から、はや30年以上が経過したが、イイものは、色あせない。
「オン・ザ・ビーチ」、極上の名盤です💿
1985年にThe Style Councilが発表したアルバム「OUR FAVOURITE SHOP」に収録されていたのが、この「Internationalists」である。
👆の映像は、同年の「LIVE AID」におけるギグの模様。
まずは、この熱い楽曲を、じっくりとお聴きいただきたい。
そして、佐野元春氏が1986年にリリースした「Cafe Bohemia」。
その収録曲の、「インディビジュアリスト」なのだが・・・
スタイル・カウンシルのファンだった、大学生時代。
貸しレコード屋「雷舞」で借りてきた佐野氏の「そのアルバム中のこの曲」を聴いた時。
まさに、私は、ひっくり返ったものだ(^^;
よく言えば、オマージュ。
あるいは、リスペクト。
それとも・・・インスパイア。
いやあ、なんと、表現すればいいのでしょうネ💦
1981年に、第1期の「活動停止」をした、アリス。
その際の「ラストシングル」だったのが、この「エスピオナージ」である。
谷村新司氏作詞・作曲の、この曲。
いうなれば「チャンピオン」の路線に近いが、詩も曲も「やや一本調子」な感も否めず、チャンピオンを越えるセールスにはならなかったと、当時「アリス好きだった私」は評価していたものだ。
しかしながら。
昨年末の「FNS歌謡祭」で、デーモン閣下がこの曲をカヴァーしていたのを聴いて、私は「エスピオナージ、結構イイじゃん!」と、不覚にも思ってしまったのだった。
デーモン閣下が、「アリス好き」だったというのは、なんというか、面映ゆくも、喜ばしい。
「相撲好き」としても、名を馳せている、デーモン氏。
私は、氏に、シンパシーを感じずにはいられないのである。
’80年代前半に、長渕剛氏がパーソナリティを務めていたラジオ番組「長渕クンと藤岡くん」。
そのオープニング曲だったのが、この「ほこりまみれのブルージーンズ」である。
この当時の長渕氏は、ホントに、「近所の気のイイあんちゃん」といった感じで、好きだったなぁ~。
私が吉田拓郎氏を聴くようになったキッカケをあたえてくれた長渕剛氏に、あらためて、感謝である。
中学生だった私が、初めて観た「長渕剛氏の弾き語り映像」が、この「逆流」である。
1980年に開催された屋外LIVE「HOT JAM'80」は、私の記憶が確かならば、TBSで放送され、当時の私はそれをカセットテープに録音し、幾度か聞いていたものだった。
久々にこの映像を観たが、あらためて感銘するのが、長渕氏の弾くギターの音色の素晴らしさである。
その乾いた美しい響きに、ハンマリング・オンやプリング・オフ等の細かいオカズが効き、ミュートを交えたストロークが、これまたカッコいい。
この映像で影響を受けた私は、その冬に、2万円のモーリスギターを購入したものだった。
最近は「闘うこと」をやめてしまった私だが、長渕氏が23歳の時に発表した作品である「逆流」のスピリットには、今さらながら教えられることもありそうだ。
で、吉田拓郎氏である。
この「伝説のリンゴ」は、その長渕氏の弾き語りと双璧で、私のココロに深く刻まれたチューンなのだ。
これまた、ホントに、素晴らしい🍎
小学校5年生の時。
木曜夜の9時といえば、「ザ・ベストテン」だった。
あの頃は今と違って、ヒット曲がザクザクとあって、私はあの番組を、無我夢中で観ていた。
特に「季節の中で」が1位になり、松山千春氏が出演した日の翌朝は、クラスの女子たちの話題はそれで持ち切りで、私も横からちょこちょこと口をはさんだりしていたものだ。
その番組で、「10週連続1位」を獲得したのが、この「銃爪」である。
「銃爪」と書いて「ひきがね」と読ませるなんて、なんとも意味深で「粋」じゃありませんか
「人生」と書いて「たび」と読む「あの歌」を思い出したアナタは、きっと、私と同世代ですネ。
この当時、TVに出ていた人たちは、本当に、歌が上手かった。
この素晴らしいロックシンガーを、フツーにお茶の間でじいちゃんばあちゃんと一緒に観ていたなんて、なんと輝かしい昭和50年代だったのでありましょう。
そして、この「アコースティックギターヴァージョン」が、これまたカッコいいのだ
アコギ1本でも、ロックができるのだということを、あらためて私に教えてくれた、世良公則氏。
私は、PCの前で、氏にスタンディングオベーションを捧げる。
9月29日、日曜日。
私は「sitatte sapporo」にて、おひとりさまランチを摂った。
いろいろと魅惑的なお店がある中で、チョイスしたのは、「大衆食堂 十勝居酒屋 一心」。
13時28分に、そこに入店。
ランチメニューも、魅惑の数々で、しかも「土日祝日は全品100円引き」というのが、実に素晴らしい
給料日翌週で、やや懐に余裕があったこともあり、私は「十勝清水町産 牛トロ丼定食」を、奮発することに。
そして13時33分。
それは、極めて迅速に、目前に供された。
「山わさび」が付いてきたのは、嬉しいサプライズでありました。
それを「美味しい食べ方」の指南に従って擦りおろし、お醤油に溶く。
丼に載せられた卵は、まさに月下美人のごとく、淡く美しいレモン色
全てをよ~く撹拌し、ワシワシといただく。
そのとろけるような旨味と甘みに、私は幸せの骨頂状態に陥る。
付け合わせの「鶏皮」が、これまた嬉しいお昼のプレゼント🎁
シャキシャキのキャベツと水菜のサラダを、ゴマ&ガーリックテイストのドレッシングが、爽快にオブラート。
加えて味噌汁は、まさしく「おふくろさんの温かさ」で、咽頭を潤す。
そして13時52分に、全てを胃の中に格納。
支払った対価相応の満足を得た、極めてナイスなランチでありました(^^)
ランチ後の14時13分。
私は「さっぽろ創成スクエア」に潜入。
この日ココで催される「ALICE AGAIN 2019-2020 限りなき挑戦」を観るためである。
今まであまり公にしていなかったが、私は小学校5年~中学校2年までの4年間、筋金入りのアリスファンだったのだ。
客席にて、ニータ氏と合流。
この日の客層というか年齢層的には、我々二人が底辺で、ほとんどは我々より年配者というか、ほぼ老人の方々ではありました。
しかしながら、私はこの日、「アリス」というグループの素晴らしさというか凄さを、再確認することになったのである。
「愛の光」~「知らない街で」(作詞・作曲:谷村新司)
♪心のままに生きてきたことが いけないことだと思ってた
♪風に揺れてる死んだ木の葉のように 時がすべてを連れてゆく
このLIVEのオープニング曲は何かな~と予想していたのだが、やはりアリスマニアの中で名盤と評されている「アリスⅡ」からのチョイスだったことが、私は、とても嬉しかった💡
「明日への讃歌」(作詞・作曲:谷村新司)
♪生きてることの幸せは 誰かを信じて歩くこと
谷村新司&堀内孝雄のアコースティックギターもさることながら、そこに矢沢透のパーカッションが、そこに厚みと熱さを加える。
やはりアリスが凄かったのは、矢沢透を正式メンバーとして加えたことである。
単なる「フォーク・デュオ」とは一線を画す、その芯のある音楽性。
今さらながら、その独自性というかオリジナリティに、感心してしまう。
蛇足ながら。私の母親は、当時(1979年頃)カーステレオでこの曲を聴いて「なに、この気持ち悪い歌!」とのたまっていたが・・・(^^;
「冬の稲妻」(作詞:谷村新司・作曲:堀内孝雄)
♪燃え尽きた体抱きしめて 駆け抜ける一人雨の中
「ヨーローレンサンダー」のフレーズが、あまりにも印象的である(^^)
「ジョニーの子守歌」(作詞:谷村新司・作曲:堀内孝雄)
♪飛び散る汗と煙の中に あの頃の俺がいた
「君のひとみは10000ボルト」(作詞:谷村新司・作曲:堀内孝雄)
♪眩しすぎる朝に出会った時の そんな心のときめきを
「涙の誓い」(作詞・作曲:谷村新司)
♪泣きながらすがりつけば終わる そんなキザな優しい愛じゃなかった
当時(1978年頃)、TBSの刑事ドラマかなにかのBGMにこの曲が使われていて、「なんてカッコいい曲なんだろう!」と、小学生の私は感動したことを覚えている。
「センチメンタル・ブルース」(作詞:谷村新司・作曲:矢沢透)
♪少し猫背の痩せたあいつが捨てたタバコの火は 季節外れの祭りのような変な淋しさがある。
アリスの中にあって、洋楽志向の矢沢透氏作曲の、都会的チューンが、素敵だ。
「秋止符」(作詞:谷村新司・作曲:堀内孝雄)
♪左利きの貴方の手紙 右手でなぞって真似てみる
♪心も体も開き合い それから始まるものがある
それを愛とは言わないけれど それを愛とは言えないけれど
「帰らざる日々」(作詞・作曲:谷村新司)
♪あなたの声を聴けば何もいらない 命を飲み干して目を閉じる
若き日の山口百恵さんは、ラジオで流れたこの曲を聴いて、衝撃を受けたという。
ひょっとしたら、そのことが、彼女に谷村氏が「いい日旅立ち」を提供するキッカケになったのかもしれない。
「遠くで汽笛を聞きながら」(作詞:谷村新司・作曲:堀内孝雄)
♪俺を見捨てた人を恨んで生きるより 幼い心に秘めたむなしい涙の捨て場所を
まさにこの曲は、日本産「レット・イット・ビー」だと、私は賞賛する。
「チャンピオン」(作詞・作曲:谷村新司)
♪帰れるんだこれでただの男に 帰れるんだこれで帰れるんだ
私が、「ヒットする前に買った初めてのシングルレコード」が、この「チャンピオン」。
ザ・ベストテンで、1位になった時は、ホントに、嬉しかったな~。
「さらば青春の時」(作詞・作曲:谷村新司)
♪この世に生まれた ただそれだけに 甘えて暮らして生きてはゆけない
・・・それにしても、谷村氏の書いた詩の文学性というかストーリー性は、あらためて素晴らしいというしかない。
それに加え、堀内氏の紡ぎだす鮮やかなメロディーと、並び立つツインボーカル。
さらには、矢沢氏が支える、熱いハートビートのリズムセクション。
アリスというグループは、もっと高く評価されて然るべきなのではと、私は心から感じた。
そして、17時45分ちょっと前に、素晴らしいこのライヴは終演した。
これが、今回のアリス復活全国ツアーの、最終日だったのである。
いたく感激した私が、会場で販売されていた「THE SETLIST」なるCDを購入したことは、言うまでもない。
いやあ、良かったなぁ~、アリス💡
このアルバムを聴くと、1999年の夏の日のことを、なぜか思い出す。
長女が2歳で、次女が1歳で、夕方このCDをBGMに、娘たちとたわむれていた、そんなシーンを。
1999年といえば、「だんご三兄弟」や「ラブマシーン」がヒットした年。
そんな中、宇多田ヒカル嬢の颯爽とした登場は、衝撃だった。
その洋楽的楽曲のエッセンスと、ハスキーでありながらナチュラルで瑞々しい、彼女のVoice。
このアルバムリリース時点で、ヒカル嬢は、若干15歳。
15歳でこんなに大人びた歌詞が書けるのは、やはりアメリカ育ちだったゆえなのだろうか。
それとも、その鍵はやはり家庭環境にあったのだろうか。
自分が15歳の時、何をやっていたかといえば、坂口良子さんに夢中になったり、好きな女の子に手紙を書いたり、まあ、年相応というか、ヒカル嬢よりも、ずっとコドモだった・・・(^^;
全ての曲が輝きを放ち、ドライヴ感がありながらも抑制の効いた、アルバムとしてのトータルな色彩感。
20年の月日を微塵も感じさせない、音楽性豊かな、不朽の名盤だと思う。
22歳となった長女のお祝いに、「手巻き寿司ホームパーティ」
そして思い出したのが、1983年に谷村新司氏がリリースし、スマッシュヒットとなった、この「22歳」である。
あらためて、この曲を聴き、率直に思ったのが。
この曲の中に登場する22歳の女性が、やけに大人びているというか、あまりにも老成しているのではないか・・・とのことである。
21世紀の現在の、22歳のイメージは、申し訳ないが、この曲の主人公とは、かけ離れてしまった。
ちなみに、1983年当時の22歳≒1961年(昭和36年)生まれの有名女性を列挙すると・・・
浅野温子さん
石野真子さん
岩崎良美さん
斉藤慶子さん
ジャガー横田さん
ダイアナさん
高橋ひとみさん
手塚理美さん
藤あやこさん
松原のぶえさん・・・等である。
この曲のイメージに最も近いのは個人的には、藤あやこさんだと、思う。個人的には・・・