加齢のせいだろうか。
’70年代から’80年代にかけての演歌が、妙に聴きたくなる。
あの当時の歌謡曲は、詩も曲も練られており、そして歌い手の歌唱レベルも、そうとう高水準にあった。
この「越冬つばめ」の作曲者の篠原義彦氏。
それは、「♪とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで とんで~ まわって まわって まわって まわ~るうううう~」の、夢想花のスマッシュヒットで名を馳せた、円広志氏の本名である。
そしてこの曲は、実に、イイ。
♪ヒュールリー ヒュールリーララー・・・
そのフレーズに、冷たく美しい日本の冬の情景が、じんわりと目に浮かぶ。
本当に、素晴らしい名曲だと、思う。
1984年当時、森昌子さんは、推定26歳。
昔の26歳って、大人っぽかったんですネ。
オーバーフィフティの私にとっては、現代のアラフォーあるいはアラフィフ女性の方が、むしろストライクだったりして・・・
それについては、ホント、ご、御免
谷村新司氏は、詩人だなぁと、あらためて思う。
私がこの曲を初めて聴いたのは、1978年(昭和53年)のこと。
「栄光への脱出」という、大げさなタイトルのアリスのライヴ盤に、この曲は収録されていた。
それをカセットテープに録音し、風呂場の脱衣場にラジカセを置き、入浴しながら、聴いていた。
当時小学生だった私の心に、もっとも響いたのが、この「誰もいない」だった。
ほんと、お風呂に入っていると、この曲は、素晴らしいBGMなのだ。
1番は、チンペイ氏のソロ。
そして、2番・3番でベーやんのハモリが入るのだが、そのハモリの導入部分が2番と3番で異なっているのが、これまたなんとも趣きがある。
加えて、彼らのアコースティックギターが、右と左で、これまた絶妙に唄っている!
アリスは、なんだかんだいっても、やはり、素晴らしかった。
拓郎好きの私だが、アリスも、実は、好きなのだ。ご、御免。
私が結婚した頃に、TVのCMやFMラジオでよく耳にした曲が、竹内まりやさんの「家に帰ろう~マイ・スイート・ホーム」である。
あの当時も「いい曲だなぁ」と思ってはいたのだが、それから約四半世紀が経ち、あらためて聴くと、これが実にココロに響くのだ。
そのネオ・アコースティックなサウンドも素晴らしいのだが、やはり、歌詞がイイ。
色褪せないどころか、むしろ現在の私のハートに、リアルに迫るこの曲。
竹内まりやさんのナチュラルなヴォーカルを、さりげなく支える、山下達郎氏のバックコーラス&ギター。
イイ夫婦だなぁ、二人は
ホント、まごうかたなき、名曲だと思う。
先日ネットサーフィンをしていたところ。
山下達郎氏が、Kinki Kidsに提供した「硝子の少年」の、セルフカバー音源が存在することを、発見。
このメロディを達郎氏が歌うと、やはりこの曲の作曲者だけあって、メロディラインが本格派であることに気づかされる。
このヴァージョンは、2012年にリリースされた、氏のベストアルバム『OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~』の初回限定盤のボーナスディスクに収録されているとのことだ。
それにしても、スマホで「YouTube」を検索すれば、簡単にレア映像を視聴できてしまう、この時代。
便利で素晴らしいのだが、はたしてそれは、本当にイイ事なのだろうか。
スマホが、パソコン・デジタルカメラ・CDショップ・本屋さん・車載ナビ・・・の領域に進出して、全てを駆逐してしまう。
スマホが無かった時代、私たちは別に不自由なく暮らしていたハズだが、今や、スマホ無しでは、生きられない。
スマホの次に時代を席巻するのは、何なのだろうと、ふと考えてしまう私なのであった。
先日ネットサーフィンをしていたところ。
2013年に急逝された大滝詠一氏の、アナザー・サイド・ベスト「デビュー・アゲン」なるアルバムが、存在することを発見。
それを知った私は、直ちに、Amazonにて、それをご注文。
先週末に、それが届いた。
氏が他のシンガーに提供した楽曲の「デモ・テープ」というか、ひょっとしたら「歌い直し」かもしれない、作品たち。
このアルバムは、いってみれば、中島みゆきさんの「おかえりなさい」と似た立ち位置にあるといえましょう。
はじけるスネアと、流麗なストリングスと、微妙な半音。
それが、氏の産みだした「ナイアガラサウンド」である。
「熱き心に」。
小林旭氏のシングルとして、1985年にリリースされた、この曲。
味の素ゼネラルフーヅが販売したコーヒー「マキシム」のCMソングだったので、憶えている方も多いことでありましょう。
ストリングスの美しく流れるアレンジが、心地良い。
「うれしい予感」。
私にとって’90年代最大のアイドルだった渡辺満里奈さんが、「ちびまる子ちゃん」の主題歌としてリリースした作品だ。
蛇足ながら。知っている人はほとんど居ないと思うが、私がブログを始めるキッカケになったのは、渡辺満里奈さんの結婚報道にショックを受けた私の「代償行動」だったりする。
「風立ちぬ」。
最近は、職場の飲み会でも、2次会にカラオケに行くことが少なくなった。
あれは確か、2000年か2001年だったと思うが、その時の課の飲み会の2次会のカラオケは、今も私の心に鮮明に残っている。
可憐な後輩女性が、その時歌ったのが、この「風立ちぬ」。
そして、普段は実直な先輩女性が歌ったのが、「ラブマシーン」。
ホント、ひっくり返るくらい、楽しかった。
職場の飲み会で、最も美しく愉快な思い出として刻まれているのは、あの時のことだ。
なんだか、そーゆーことは、しっかり憶えてるんだよねぇ・・・
仕事も、そんな風に、ちゃんと覚えればイイのに・・・(^^;
1988年リリースの、スタカン末期のシングルが、この「Life At Top Peoples Health Farm」である。
その曲調も、歌詞も、なかなか難解で、これがシングルカットするのにふさわしい曲だったのかどうかは、私基準では、謎めいているとしか言いようがない。
だがしかし。
そんな局面にいた彼らは、なんとフジテレビ(おそらくは「夜のヒットスタジオ」)に出演していたのだった。
うかつにも、コレは、見逃していた。
このIT時代というか、You Tubeにアップしてくれたアナタに、感謝感激雨あられである。
とはいえ、「口パク」ってのが、実直なウェラーらしくないと、思わざるを得ないのだが・・・
ザ・スタイル・カウンシルの、実質的ラストアルバムとなってしまったのが、1988年発売の「Confessions of a Pop Group」である。
スタカン好きの大学生だった私は、とりあえずそのアルバムも購入していたのだが・・・
なんというか、あまりにも内省的というか、ナルシズムに溢れたというか、その全体のトーンがあまり好きになれず、「愛聴盤」にはならなかった。
しかしながら、1曲だけ、「私の好きだったスタカン」のかほりを放つ曲があった。
それが、この「How She Threw It All Away」である。
エキサイト翻訳で訳すと「彼女はどのようにそれをすべて廃棄したか」となるが、
プロの訳詩家は「彼女が全てを投げ捨てたわけ」と訳す。
そして、私が驚いたのは。
1989年放送の「カーグラフィックTV」で、のちに「私が愛することになるクルマ」である「マツダ・MX-5ミアータ ≒ユーノス・ロードスター」を特集した際。
そのBGMがこの「How She Threw It All Away」だったことである。
私は、「カーグラTVのスタッフは、なんて素晴らしい選曲をしてくれたんだろう!」と感銘するとともに、このクルマが相乗効果で魅力的に見えて、そして購入に至った・・・といういきさつが、実はあったりする。
カーグラTVのスタッフも、スタイル・カウンシルも、ユーノス・ロードスターも、みんな素晴らしかった・・・と、ほぼ30年が過ぎた今、あらためて、私は思う。
今まで黙っていたが、実は私は、ドリカムが結構好きである。
’90年代初頭、私のクルマには、いつもドリカムのカセットテープが、積まれていたものだ。
今もって古さを感じさせない「その都会的なサウンド」に加え、吉田美和嬢の圧倒的な歌唱力。
まさに、このユニットは、「日本のスウィング・アウト・シスター」であると、私は認定する。
もう20年以上前の1995年。
「史上最強の移動遊園地」ツアーで、ドリカムが石狩湾新港に来た時に、我々夫妻とジンさん夫妻でそれを観に行ったことが、懐かしく思い出される。
やっぱ、イイな、ドリカム♪
いいものは、いい。
真っ直ぐに、心を打つ。
この曲がヒットしていたのは、私が高校一年の時だった。
幾星霜を越えて、そのスピリットは、瑞々しい。
ザ・スタイル・カウンシルが1987年にリリースしたアルバム「The Cost of Loving」。
1985年の前作「OUR FAVOURITE SHOP」があまりにも素晴らしかったので、当時大学1年だった私は、大いなる期待をして、そのアルバムを購入した。
だがしかし、その作品は、あまりにも「ポール・ウェラー自身が趣味にハマり過ぎ」というか、ブラコン色が濃厚過ぎて、正直、あまり好きにはなれなかった。
とはいえ、そんな中にも、光り輝いているのが、1曲だけあった。
それが、この「Heavens Above」。
エキサイト翻訳で訳すと「上の天国」になるが、実際には「ああ、空よ!」とか「おお、神よ!」のように、感嘆を表す表現のようだ。
そのドライヴ感に、「Down in the Seine」に一脈通じるものを感じる。
これ、一般的にはあんまり知られていないかもしれないが、私的には、素晴らしい曲だと、地道に思っている。
この曲が流行っていたのは、私が小学校5年生の時。
あの名番組「ザ・ベストテン」が始まった年である。
当時私は、この「ブルースカイ・ブルー」を聴いて、「なんとオオゲサな曲なんだろう・・・」と、コドモ心に思っていたものだ。
だがしかし。あらためてこれを聴くと、その楽曲のスケールの大きさに驚き、「これを歌いこなせるのは、やはり西城秀樹氏しかいない」との思いが、胸を締めつける。
その「カッコいい」ルックス・本物の歌唱力・それでいて、時折見せるコミカルさ。
まさに、絵に描いたようなアイドルだった、西城秀樹さん。
ご冥福を、お祈りいたします。
スタイル・カウンシルといえば、やはり「マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ」が一番好きだ・・・という人は、きっと多いと思う。
吉田拓郎でいえば「落陽」のような位置付けに、この曲はある。
アコースティックギター・ホーンセクション・シンセベースの調和。
そこに、「ポール・ウェラーのねちっこいギター」「ミック・タルボットの引きずるようなハモンドオルガン」「スティーヴ・ホワイトのやけくそにぶっ叩くドラム」が、まさにジャム・セッションする。
♪高揚の前の冷静さ 嵐の後の穏やかさ
憎しみの後の愛 遅すぎたいい逃れ
常に移ろいゆく 私の心
まるで、枕草子のような、文学性に富んだ歌詞も、これまた佳い。
この、ピアノヴァージョンも、じつに美しい。
数年前、私はこれをピアノで弾き語りしようと目論んだものだが・・・
それを断念して、幾久しい(^^;
カッコいい人は、いくつになっても、カッコいいのだ。
1980年代からイメージの変わらない、一本気なポール・ウェラーに、拍手を送りたい。
スタイル・カウンシルが、映画「ビギナーズ」のサウンドトラックに提供し、1986年にシングル・カットされた曲が、この「ハヴ・ユー・エヴァー・ハッド・イット・ブルー」である。
この曲を聴くと、この「ディキシーランドジャズ的なサウンド」に酔いしれていた、大学生時代の日々が、実に懐かしく思い出される。
これは、1985年のアルバム「アワ・フェイヴァリット・ショップ」に収録された「エブリシング・トゥ・ルーズ」の歌詞&アレンジ違いである。
一般的にわかりやすく言えば、吉田拓郎の「ゆうべの夢」と「祭りのあと」との関係に近いと、いえましょう。
ポール・ウェラーが2015年にセルフ・カヴァーした、アコースティック・ヴァージョンが、これまた、イイのだ。
ああ、時間があり余るだけあったあの大学時代に。
もっと真剣にアコギを練習すべきだったと、これを聴きながら激しく反省する、私なのである。
「ザ・スタイル・カウンシル」のことをリスペクトしているミュージシャンも日本には少なからず存在し、「パリスマッチ」や「naomi & goro」。あるいは、佐野元春氏等が挙げられる。
スタカン自体は、日本での一般的知名度はあまり高くないと思われるが、この「シャウト・トゥ・ザ・トップ」という曲はインプレッサのCMやとくダネ!のオープニングテーマ、あるいは北海道ローカルAM局のパチンコ屋のCMソングとして使われていたので、耳にしたことのある方も多いと思う。
そして、円熟味を増したポール・ウェラーのギグが、また、イイのだ。
エレキギターとストリングスの融合が、まさにネオ・クラシック!
ストリングスのおねいさんたちの太ももに、思わず目が行ってしまう私は、単なる中年オヤジである。
また、驚くべきは。あの小柳ルミ子氏も、1989年にこの曲をカヴァーしているのだ。
ちなみに、この動画の中には、大澄賢也氏と思われる方も、映っているようだ。
この時、ルミ子氏は、推定37歳。
率直に言って、私のタイプとは言い難いルミ子氏だが、なんちゅうか、本中華、凄すぎる・・・
確かにセーヌ川というか、パリのかほりのする、この曲。
そのドライヴ感溢れるアコースティックサウンドと、「堕ちていく僕を早く受け止めておくれ」「僕が地面に叩きつけられる前にkissしておくれ」という差し迫った歌詞との、融合。
ああ、私も、そんなことを、誰かに言ってみたいが、やっぱ恥ずかしい。
ちなみに。ピアノとアコギのセッションのこの曲のバンドスコアを、実は私は持っている。
ピアノを弾くのが趣味の妻に、何年か前に「コレを一緒にやってみないか?」と提案したところ、「クラシックピアノとこの曲とは違う!」と、ひとことの下に否定されてしまった・・・む、無念。