何だったか、多分コロナ関係の本を読んでいるとき(どこで見つけたのか、覚えていないので、見つけたら補足することにする)に見つけて、読んだのが『寄生獣(1)〜(10)』という作品、1988年に中編として書き始められたが、1990年から1995年にかけて、「アフタヌーン」誌で連載されたのだという。
環境問題が大きく取り上げられていた時期がこの連載時期であったそうで、私の読んだ電子版のあとがきでも著者がそうしたことを説明している。ストーリーの中で、寄生獣の一部が生き残りのために市長選挙に立候補し「東福山市」の市役所をのっとり、人間を食べるための「食堂」(寄生獣は、人間の脳を乗っ取り、人体を支配して、他の人間を殺して食べることにより、生存できる)を作るのだが、そのストーリーの中で地球環境を破壊する人間こそが地球の寄生獣だという部分がある。
コロナ禍にあって改めて読んでみると、ウィルスと読み替えても良さそうだ。つまり、寄生獣が生き残りのために、人間以外の食に適応しようとしたり、脳を乗っ取り人間全体を支配するよりも、むしろ、主人公の高校生泉新一の右腕に寄生することになった「ミギー」や宇田守の顎に寄生することになった「ジョー」のように、共生を選ぶもの、あるいは、目立たぬように人間社会に入り込むことを選んだ寄生獣というのは、共生関係に入って生き残りを目指そうとするコロナウィルスのようだ。第5波が急速に収まったのが、そうしたコロナの突然変異であればいいのだが。あるいは、「ミギー」や「ジョー」はさしずめ、動物細胞に細胞小体として取り込まれているミトコンドリア、そして、植物細胞に取り込まれている「葉緑体」といってもよいか。
殺伐とした血みどろの場面が多々あるものの、いろいろ、考えさせられながら読んでいった。