アデレードは知ってるか30日以上も最高気温が40度だぞ、キャンベラも3月というのに、日中35度だぞ、もう、一週間も続いている。これからの一週間も、おなじだそうだ、とは友人の言葉。とにかく暑いし、くわえて、とんでもなく、日差しが強く、短時間の外出でも、あっという間に日焼けしてしまい,いつも夕方、顔がほてる感じ。
これも異常気象だというのだけれど、また、オーストラリアの友人たちは何人も皮膚がんに悩まされている。まあ、人ごとではないが。
今日の午後は、ジョイントセッションで発表。何しろ、友人のパトリックがセッションリーダーだけれど、まとめないんだから、訳が分からなくなってしまう。結局、2時過ぎから4時半近くまで延々後続いた。ともあれ、いろいろとわかったのだけれど。このグループとは、金曜の午前にもう一度ミーティングがある。
終わった後、生協の本屋に行った。買いたい本が何冊かあったのだけれど、日本で当地の生協のメンバーズカードをどこかにしまい忘れてしまって、持って来れなかった。レジでその旨言うと、名前を言えと。そうしたらわかるかもしれない。結局、カードはいらないらしい。身分証明書はないかというから、日本の免許証を見せて(もちろん、英語は書いていないよねえ)、名前のスペルをいったら、一割引してくれた。ラッキー!日本でこれほどの融通性はあるか?とはいえ、ここオーストラリアでは、次も同じと思うと大間違い。人によるのだ。次は、ひょっとして、門前払いされるかもしれない。ま、これも、楽しいか。晩飯の一皿分ぐらいは割引されたのだから。
そして、この後、冒頭のコミュニケーションになる。友人のジョンとは、日曜にテニスの約束をした。また、金曜のわたしの次の発表にきてくれるのだそうだ。あんまりきてほしくないような、きてほしいような。
シビックの一角にある「Lemon Grass」というタイレストランに食べに行った。昔からある店で、白人が多い。だから、マイルドなのだが。
タイ風さつま揚げ
豚薄切りのグリルとニンジンとキュウリのサラダ
後者があまかった。あまいフィッシュソースがかかっていて、生唐辛子を持ってきてもらった。でも、これも、辛くなくて、思い切りかけたら、ちょっと辛かった。
今日は、朝からオフィスにいて、コンピュータと向き合っていた。
午後、旧知のアリソンから電話があって、今晩晩ご飯でもと言う事になって、夕方待ち合わせて、シビックの"Summy's Kitchen"というレストランに行った。ここは、チャイニーズとマレーシアンの料理を出す事になっている。シビックでも、外延で、昔は、駐車場だったところだ。こちらの方がにぎわうようになってきている。アリソンとは昨年に突然再会して、また会おうという事になっていた。
右足大腿骨骨頭に問題があったらしく、12月に手術をして人工関節を入れたのだそうだ。昨年8月にあったときはかなり歩行困難になっていたが、今日は、結構な距離を歩いたのだが、大丈夫なのだそうだ。運動が出来るようになって、以前は太り気味だったものが、今日は、決してやせたとは言わないがずいぶんと体格が違うし、背の高さも違っていて、びっくりした。当たり前の事なのだが、歩く事および歩ける事はとても大切だと今更ながらに思った。
海老の練り物を胡麻でまぶして焼いたもの(Sesami Prawn Toast)
骨なしもも肉の葱ショウガの酒蒸し(Drunken chicken with ginger and shallot sauce)
イカのフライ、塩胡椒味(Hot rock salted calamari)
白飯
今日は、キャンベラ・デイとやらで、ACTのみの祝日。町のたいがいのレストランは閉まっている。まして、月曜は、日曜に空いていたところも休みになるので、当然のように。
今朝は、早起きして、ジョギングをした。その後部屋で仕事をして、午後2時過ぎから、散歩に出かけた。宿から、グリフィン湖の南岸を巡り、「シビック」あたりを通って帰ってきたのだが、2時間の散歩になった。やれやれちょっと、腰が痛くなったか。
グリフィン湖の大噴水
今晩の晩飯は、気の利いたところは空いていなくて(カフェなどは開いているが)、結局は、オンハウスの「Boffins」という事になった。
ラムミンチとフェタチーズのパイ包み焼き、オリーブペーストとともに
アントレにあげられているものだが、メインサイズにしてもらって、サラダとともに。
今日の午後は、前日の友人夫婦に誘われて、さらに、昨晩夕食を一緒に食べたIanとともに、既に引退してキャンベラの郊外にすんでいるBettyの自宅を訪ねた。彼女とはずいぶん前に何度か会っている。自宅は、キャンベラの郊外の住宅地から車で45分ぐらいかかるのでおそらく4-50キロは離れているだろう。彼女の家は、牧場に広がる地の一角に位置している。アンガス種の牛も飼っている(といっても、誰かが世話をしているようだが)らしい。広い敷地の中に、母屋のほか、書斎やゲストハウスが別棟になっている。一緒に出かけた友人の妻は、映画にいったり、友人にあったりするから町の中にすむ方を選ぶけれど、たまには、いいわねと。
午後のティーに誘われて出かけたのだが、スナックとケーキで、19時半頃、友人宅に帰ってきたのだが、さすがに小腹が減っていて、宿に戻って夕食をとる事にした。
豚バラ肉のローストとホタテ貝柱のサラダ、照り焼き風というアントレをメインにしてもらって、食べた。豚バラ肉は皮付きなのだが、ローストしすぎていて、かりかりになり過ぎ。それでも、おいしく食べたけれど、もう少し手前で焼き加減を止めたら、ベストなのだけれど。
宮部みゆき、2000、『蒲生邸事件』、文藝春秋(文春文庫)
本書は、1997年に日本SF大賞を受賞したタイムトラベラーものの作品である。
SFのタイムトラベラーものの多くは、タイムトラベルの矛盾「自己が改変した歴史がどのように自己に反映されるのか(あるいはされないのか)」というところに、商店が当てられがちなのだが、本書は、そうした部分について、もう少し、なんとかうまく説明してほしいとは思うものの、本書の焦点が、そうしてポイントにない事がわかるのでむしろそれは望ましい。
本書が主眼としているのは、歴史を生きる我々自身にある。私たち一人一人は、これまで学んできた「歴史」の中の有名な人物と同様に、あるいは、それ以上に、歴史を生きる存在であり、現在も刻々と歴史の中を生きているということを、本書で描こうとしているようだ。
過去に遡行し、歴史的な事件に遭遇したトラベラーは、歴史を変えようとしても、歴史が意識を持ったように類似の事件を引き起こしてしまって、トラベラーの意思にはそぐわないで歴史が残されてしまう。しかし、トラベラーも、過去に遡行するという歴史的経験の中で、少なくとも、その時点で生きたという証拠は残す事が出来る。それは、「歴史」を改変したという証拠にではなく、「歴史を生きたという意識」において。「ニ・二六事件」を題材にして、架空の蒲生大将邸に起きた事件を取り上げた本書は、歴史的事件における個人にこそ重要な意味がある事を喚起するという意味で、面白く読んだ。また、時に心痛んで読む事になった。
2008-03-07 19:27:26 |
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朝の便でシドニーから、キャンベラにきた。まずは、チェックインをして、洗濯。この宿は、それこそ20年以上前からの定宿とでも言うぐらいに繰り返し泊まっている。部屋の様子は何も変わらないが浴室周りや、とくにブロードバンドへのアクセスは、今やワイヤレスになっている。以前は、もちろん、ダイヤルアップ!
洗濯をおえた後、研究所に行って部屋を借りる手続き。部屋のコンピュータが故障であるのか、ネットワーク接続が出来ずに、交換してもらい、完了。また、日本語環境のセッティングのノウハウはなかったらしく、やり方を説明して完了。
宿に帰ってきて、オンハウスのレストランへ。今夜のメニューは。
フレッシュサーモン、海老、ホタテ貝、ムール貝と野菜(ズッキーニ、ニンジン、タマネギ、アサツキ)のココナツミルク煮。レモングラスと赤唐辛子風味。本当は、もっと、スパイスを利かせてもらいたかったところ。
野菜のキッシュ
今日は、シドニーの南東にあるキャンベルタウンという町にいってきた。活発な町で町おこしが興味深そうだ。旧友がここの美術館で働いているので、会いに行って状況を聞いた。彼の同僚がたまたま話をしてくれて、貴重な話を聞いた。オーストラリアの伝統的なローカル芸術政策というべきか、振興策がキーとなるらしい。
夕方、シドニー市中に帰ってきて、夕方からシドニー大学の待ち合わせに行ったのだが、あいにくすっぽかされたのか、知人は現れず、あきらめて、一人で食べに行く事にした。よくいく店のひとつにタパスをだす「Casa Australiana」という店があるのだが、今日は、そのとなりの「Capitan Torres」の方してみた。
ハモンセラーノ
焼き赤ピーマンのオイル漬け
ホワイト・ベイトのディープフライ(まあ、ワカサギのようなものだが、餌になるような小魚という意味で、ベイトというらしい。白身のあっさりとした味わい。レモンと塩こしょうで食べる)
20時過ぎに店に入ったのだが、どうやらピークタイムだったらしく、こちらとしては願ったりの位置だけが空いていた。カウンターバーの一番端でレジの近く。オーナーらしいおじさんが愛想を言いつつ、店の中を走り回っている。ちょっと待ってねといってずいぶん待たされる。注文したらすぐにでてくる。店のほかの店員たちの歩くスピードはゆっくりなのに、このオーナーだけは走る勢い。かといって、ほかの連中をしかる訳ではなく、勝手にきびきび動いている。彼の姿を見ながら、ひとりで食事した。バーカウンターの位置どりは、これが楽しい。
今日は、午前中が空いていたので、ダーリングハーバーにある「パワーハウス博物館」にいった。
昼食後、シドニー工科大学を訪ね、昨日とは違う相手とミーティング。今日は2時間に及び、非常に有益なものとなった。今後に期待したい。
ミーティングの後、時間があったので、「州立美術館」にいったあと、部屋に戻って、エールのチェック。このホテルは、有線のブロードバンド対応なのだが、時間帯によっては、ほとんどつながらなくなる。電話回線を使ったダイアルアップの方がまだましと思えるぐらいだ。使用しているMacBookのDashuboadにインストールしているウィジェットのネットアクセスのイン/アウト表示の数字は、0.2BPS以下の表示がでるぐらいだ。フロントに抗議したけれど、フロントでも対応できるとも思えないし。まあ、しょうがないか。現在の時間帯では、とりあえずは、問題なくアクセスできている。
今夕、友人宅に招かれていて、友人のパートナーの手料理。彼らの家は、遥かオペラハウスを望む位置にあり、個人住宅としては、最高の場所だろう。
グリーンアスパラとスモークサーモンの前菜(グリーンアスパラにスモークサーモンを添えて、オリーブオイルとバルサミコ酢をかけ、レンジで加熱、その後パルメジャーノをかける)
エスニックなポーク・ミートボール(豚ミンチをフレッシュハーブと混ぜてミートボールにして焼いたものこれを、ヌードルとグリーンリーフの上にのせ、赤ピーマン細切りを上にのせる。ライムとフィッシュソースをかける)
デザートはアイスクリームとフレッシュフルーツコンポート
空いている時間を使って、博物館・美術館をふたつみてきた。
午前中にいったのは「パワーハウス博物館」で、元々発電所だった建物を博物館にしたもので、デザインに特化した内容となっていて、なかなか面白いコンセプトの博物館である。デザインといっても、インダストリアル・デザインからコスチュームや日用品のそれまで含んでいる。別に何を目当てに言った訳ではないが、たまたま出くわしたのが「ダイアナ」展であった。でも、これは、実家のスペンサー家の商業主義といっては申し訳ないのかもしれないが、ダイアナご本人にとってみていいのか悪いのか。まあ、残念ながら、たいした展示ではなかった。イギリス王室を批判する事にもなりかねないので、ダイアナの悲劇的な最後は全く触れられていない。むしろ、どのように育ったか、そして、皇太子妃になって公式の場にどのようなコスチュームで現れたかという構成になっている。いってみれば、この博物館にふさわしい内容とも言えるのだが。
パワーハウス博物館:http://www.powerhousemuseum.com/
午後早くのミーティングが1時から13時半近くにまでなったのだが、ほかに時間が取れないので、「州立博物館」にいく事にした。本当は、この夜は、水曜日の夜の特別プログラムだったのだが、あいにく、今夜に友人宅の招待がはいってしまっていけなかった訳ではあるが。ともあれ、今日見たのはポートレート写真家のMichael Rileyによる「Sights Unseen」と当館収蔵のアボリジニ芸術コレクションの「Being Black」。
Michael Rileyのそれは、白黒写真で人物を中心に(そうでないものもあるが)アボリジニの家族のポートレートをとったもので、見るもののイメージを帰って様々な意味に投影させる事が出来るような気がする。ポートレートに映る姿も、淡々としたスナップで、特別なものは何もない。そうした中に、何かを読み取ろうとするギャラリーに問題を投げかけているというべきであろうか。
アボリジニ絵画のそれは、現代作家を集めていて、いずれも、非常に力強い。一番奥の部屋なので、果たして、どれだけの人が見て、どのような印象を持つだろうか。たまたま、沖縄の高校生が修学旅行で訪問していて、観覧は彼らの自由行動にまかされたようだが、どのような印象を持ったのか、知りたいと思った。
州立美術館:http://www.artgallery.nsw.gov.au/
グランドフロアでは、地元の高校生による作品が集められていて、今年は25周年とやらで、ここには地元の高校生も見に来ていて、当館で一番にぎわっていたのはこのコーナーだった。でも、それだけに集まっていて、よかったのかどうか、とつい、思ってしまうのは、ひがみか?
深沢秋男、2007、『旗本夫人が見た江戸のたそがれ―井関隆子のエスプリ日記』、文芸春秋 (文春新書 606)
幕末の旗本婦人が残した日記をもとに、幕末の裏面史を明らかにしようとする。裏面史といっても、何か隠されていた事を明らかにするというよりも、むしろ、公式記録を補間するという事であろうか。ただし、加えて、当時の旗本の生活も伺い知る事が出来るという意味に置いても、貴重な日記を新書のかたちで明らかにしたのは、大変面白い。
歴史的知識の常識、例えば、江戸時代の人々は自分の住まいからはなれる事は難しかったとか、女性は虐げられていたとか、明治維新で改めてそうした封建遺制から免れる事が出来たという定番史観から免れる事の出来るもののひとつが、こうした日記に基づく、歴史の再構成であろう。
家に閉じ込められた女性の日記ではなく、様々な教養にあふれ、離縁(どのような理由かは本書では明らかにされたい)された後、後妻にはいり、なさぬ仲の跡取りの息子や孫との関係をうまく維持しつつ、彼らの得た江戸幕府における職責の中で知り得た情報を日記に記す。まさに彼女は、明らかに、後世に残る事を意識しつつ書き残し、その事は、彼女の確立した地位に置いて、当然知りうる情報であった訳である。
読むべし、そして、江戸末明治に関する自らの歴史知識を疑うべし!
2008-03-04 21:02:35 |
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今日は、午前11時にシドニー大学、午後18時にシドニー工科大学にアポがあって、その間、シドニーのジャクソン湾口のマンリーにいって、前から何回かいった事のある「barking Flog」で昼食をとった。
今の季節は、当地の大学では新学期が始まったところらしく、教科書を買うためにキャンパス内の書店は長蛇の列である。
オーストラリアは、みんな寛容に列を作る。また、順番が曖昧なときにでもたいがいの人が我先にではなく、誰が自分よりも先にいるかを気にしているようで、押し出しの弱い「日本人」がまごまごしていると、「おまえだ」といってくれる。この点、なんとか横入りしてしまおう、誰も気にしちゃいない、などと考えるどこかの国とは違う。神様が見てるという訳ではなく、やはり、いろんな人がいる以上、何か、超越するルールには従う、という、認識であろうか。
とはいえ、夕方のミーティングでわかるが、オーストラリア人は、他人の事は認めたがらない。例えば、共同のプロジェクトをやればいいと思うが、そうではなく、何かと、他人に難癖(というほどでもないのだが)をつけて、一緒になりたくない、という意向を表明しがちである。だから、こちらは、各戸撃破という事になるのだけれど。別のグループを引き合いに出してもよい。どうして、大きなグループが出来ないのかと思うのだれれど。
シドニー・チャイナタウンの「東海酒家」は、もう10年以上も通っていて、知り合いになったフロア・マネージャーの「レオン」とは、久しく顔見知りだった。今回、見かけないので聞いてみたら、どうも独立してどこかでカフェを出したらしい。それはそれとして、彼の前途を祝いたい。それに変わって、ごひいきにといってきたのが「クリス」だ。顔には覚えがある。
ピータンとクラゲのサラダ
シルバー・パーチの清蒸
クリスは、シルバー・パーチは真水の魚だから泥臭いから、パロット・フィッシュをすすめるといったのだけれど、でも、泥臭いからいいので、勧めには従わなかった。
東海酒家にて:
オーストラリア出張のために成田空港にきている。
今回は、中部空港からの連絡の航空便がとれず、新幹線と成田エクスプレスを乗り継いできた。先行の列車の床下から異音がして、さらには、路線内に人がはいったとやらで、馬喰町駅で30分ばかり停車して、その遅れそのままに第2ターミナルに到着。
チェックインの後、土産物を購入して、「寿司田」にはいって鮨を食べる。
これは、シドニー到着後、ホテルにチェックインしてかいているが、時計をもどしておく。
皮付き鶏もも肉のレモン煮(フライパンでオリーブオイルでタマネギ薄切りを炒め、その鍋で、皮付き鶏もも肉の皮目を焼く。サラダに添えたパンチェッタを炒めたもの、その残り油をニンニク薄切り、赤唐辛子とともに少々炒めて加える。白ワイン、レモン汁、ローリエ、レモンの薄切り数きれを加えてふたをしてしばらく蒸し煮にする。塩こしょうで味付け)
水菜と香菜のサラダ(パンチェッタをいためて油抜きしておく。オリーブオイル、ミックスハーブ、胡椒、ガーリックパウダー、バルサミコ酢でドレッシングをつくり、水菜と香菜を和える。パンチェッタをのせ、まぜて供する)