深夜勤務明けで家に帰ってぐっすり寝ました。眩しい太陽光で起きると、空は快晴の青空でした。久しぶりの青空でいてもたってもいられません。と言っても、深夜勤務の疲れが残っているため遠出する気がしません。そんな時ひょいと思ったのは、毎年秋の味覚を楽しむドングリ拾いです。
炒って食べるマテバシイ
普通のドングリは渋くて食べられませんが、今はそのまま食べられる椎「しい」の仲間のマテバシイが収穫できるシーズンです。このドングリは生でも食べることができますし、炒ればさらに美味しいドングリです。さっそくバイクに乗ってドングリ拾いに行ってきました。
ドングリ林に落ちているドングリ 収穫したドングリ
収穫したドングリは地面に落ちており、昨日の大雨ですっかり泥で汚れていました。持って帰ったドングリをボールに入れてきれいに洗います。そして、ふきんで水気を取ってきれいに磨きます。
水で洗い汚れを取る ふきんで水気を取る
きれいになったドングリを鍋に入れて炒ります。軽く焦げ目がつくくらいに弱火でゆっくりと炒ります。炒っていると、ドングリの中には皮が割れるがもの出てきます。
ドングリを弱火で炒る 軽く焦げ目がつくように
軽く焦げ目がつくころになると、栗を焼いている時のようなこおばしい臭いが漂ってきます。栗はもともと人間がドングリを改良したものでしょうから、実の成分も同じなのだと思います。ただドングリはタンニンなどの渋い成分が強いのであまり人間が食べないのだと思います。もっぱら熊やリスなどの食べ物です。焦げ目がつくと熱いドングリの皮をむきますがこれが一番大変です。ペンチを使うか歯を使って皮を剥ぎます。
炒ったドングリの硬い皮を取る
皮をむくと栗の実とよく似た色の実がでてきます。栗をギュッとつぶしたような硬めの小さな実です。
左がむいた皮、右が取り出したドングリの実
これでやっと食べられるドングリの実の出来上がりです。味は栗ほどではないですが、ほのかに栗を思わせる味が口に広がります。栗はほくほくしていますが、このドングリ(マテバシイ)はややぼそぼそとしていてやや硬いです。よく噛みしめる必要があります。ただ、たくさん食べ過ぎると消化が進まないのかおなかがもたれます。
古代には飢餓の時に食べられていた意味が良く分かります。東北地方では昔、飢饉の時に山に入ってドングリを収穫し命をつないだと聞きます。
やや硬めのドングリの実を食べる