青木ヶ原樹海は、ただ木々が茂って何もない場所とばかり思っていました。しかしながら、所々にかつての住民の生活痕がありました。ひとつは氷穴(こおりあな)です。樹海を歩いていると、小さな穴がありました。英(はなぶさ)と呼ばれる氷穴(こおりあな)で、氷穴(ひょうけつ)よりも小さな穴です。かつて、この近くに住む住民は冬の間に天然の氷を運び入れていたそうです。そして、夏の間に冷蔵庫の代わりに使っていたとのことです。貯蔵した氷を夏に出して出荷したり、熱病時に体を冷やすために使ったそうです。
樹海の中で休憩 氷穴(こおりあな)の一つ 氷穴(こおりあな)の説明
ところで、樹海は富士山が噴火して出た溶岩の上にできたものです。このため、栄養分が少なく岩ばかりです。このため、樹木が育っても十分に根を張ることができません。このため、根が巨体を支えることができず、巨木になる前に倒れてしまうようです。
再び樹海で休憩 樹海を抜けて解放感 西湖いやしの里 根場
単調な樹海のウォーキングルートをもくもくと歩きましたが、どこまで行っても展望が無い同じ景色ばかり続きました。さすがに飽きてしまいました。どれだけ歩いても、全く同じ景色ばかり続くのです。気が滅入ってしまうほどです。このため、「樹海に迷い込んだ人は方向感覚が無くなりさまよう。」との話が理解できます。
西湖いやしの里 根場で昼食休憩 お蕎麦をいただく
樹海を抜けて広場に出るとほっとしました。沈んだ気持ちが明るくなりました。樹海を出ると、昼食休憩する西湖いやしの里 根場(ねんば)に向かいました。西湖いやしの里に到着するとお蕎麦屋さんに向かいました。
天ぷら蕎麦をいただく 各古民家を散策 陶芸を展示する古民家
昭和41年、この根場地区は台風による土砂崩れで壊滅的な被害を受けたそうです。被害を受けた根場の再建の一つが、この西湖いやしの里とのこと。今から8年ほど前、かつての村の姿を取り戻すため被害前の民家を再現したようです。したがって、昔から建っていた建物ではなく、古民家風に再現したものです。ただし、一番奥に建っている一軒だけは、奇跡的に被害を免れた民家を移築した本物の古民家だそうです。
災害(昭和41年)前の民家を再現した家々を散策
私が子供の頃、茅葺きの家が普通にありました。台所はカマドで、お風呂は五右衛門風呂でした。食事をしながら上を見ると、茅葺き屋根の柱やその柱に縛り付けられた茅が見えました。まるで、船の竜骨がそのまま見えるような光景でした。
今、茅葺き屋根は貴重になりました。さらに、茅葺きをする職人も貴重になり、茅そのものも少なくなりました。田布施町の麻郷では、家の茅葺き屋根の補修に使う茅を大田川からせっせと採取している方がいました。その方のお話では、川に生える茅よりも、皇座山に生える茅の方が品質が良かったそうです。
富岳風穴~青木ヶ原樹海~西湖ウォーキングのコース