11日の夜、寝台列車で東京に行きました。寝台列車に乗る日の午後、時間が空いていましたので田布施西小学校の西の寺子屋(放課後学習)におつきあいしました。今回の体験は、幕末長州藩の防長四白政策のうちのハゼの実ろうそく作りです。ちなみに、防長四白とは、お米、塩、ろうそく、そして紙です。幕末の田布施では、平生湾沿いで製塩が、山側の城南で和ろうそく作りが盛んだったようです。和ろうそく作りに使われた当時のハゼの木の1本が伐採されずに残って大木になっています。そのハゼの大木、今でもたくさんのハゼの実が実ります。
体験前に挨拶 ハゼの実について解説 各加工段階のハゼの実
ハゼの実ろうそく作り体験は田川邸で行われました。私も時々にお邪魔している家です。昭和を感じさせるような落ち着いた家です。子供達の挨拶が終わると、さっそくハゼの実ろうそく作りの体験の始まりです。まずは、ハゼの実からどの位のろうが取れるか説明がありました。次に、ブルーシートに置かれたハゼの実から粒を分離・選別する体験をしました。
ハゼの実から粒だけを分離・選別する作業
粒を分離すると、その粒をダイガラと呼ばれる突き臼で砕きます。その昔、どの家にも1台はあった農機具の一つです。元々はお米の脱籾や精米に使っていました。今では、もちをつく時位にしか使いません。私が子供の頃、このダイガラは子供の仕事でした。子供が足踏みしながらダイガラを動かしてもちをつき、祖母がもちの手返しをし、母親がそのもちを取り上げて丸餅にしていました。家族総出のもちつきでした。その中心にあったのがダイガラでした。
砕いたハゼの実を蒸す 蒸したハゼの実を圧縮 下の皿にハゼ汁が出る
次に、砕いたハゼの実をせいろで蒸します。蒸すとハゼの汁が出やすくなるのです。蒸しあがると、ハゼの汁を抽出するために圧縮します。大きな楔を使って蒸したハゼを強く圧縮します。何度か楔を叩いていると、下の方にハゼの汁が染み出てきます。この汁の中には、水分とろうそくの成分が混じっています。水分を取り除くと、ろうだけを取り出すことができます。
染み出て溜まったハゼの実の汁
このろうを整形すると和ろうそくができあがります。なお、和ろうそくは高級品のため庶民は使えませんでした。庶民はもっぱら早く寝るか、油に浸した芯に火をつけて明かりとして使っていました。この体験の準備や指導していただいた方々、ありがとうございました。
ダイガラを使ってハゼの実を砕く お土産に和ろうそくをいただく