大阪日本橋に勤務していた時、高石市に寮がありました。その寮は、高石駅から東に歩いて15分位歩いた場所にありました。途中の道には田んぼがありました。今その田んぼは無いのではないかと思います。とても古い寮で、隣の部屋との壁は薄く音が筒抜けでした。電気も裸電球でした。確か八畳の部屋(1部屋3人)が数部屋あり、皆が分かれて暮していました。日々の営業や販売で、皆は身も心も疲れていました。そんなある夕方、何時に消灯するかでもめたことがあります。
お笑い劇場のなんばグランド花月、立派な建物
私は本を読みたいので午後10時頃まで電気を点けていました。ところが、同室の一人が9時には消すべきだと激しい言葉を浴びせてきました。思わず喧嘩になりそうな雰囲気でした。その時、別の1人が仲裁してくれました。仲裁してくれる人がいなければどうなっていたことでしよう。寮生活してる人は、私も含めてストレスの毎日を過ごしていました。思わず喧嘩になりそうな危うい毎日だったのです。
南海線難波駅に向かう 千日前道具筋通り 店頭に飾るのれんを売るお店
ある時、寮の管理人さんが数人を連れて難波付近を案内してくれました。通天閣や密輸品を扱っている怪しいお店などを案内してくれました。ところが、ある日その管理人が寮からいなくなったのです。そして、代わりに新しい管理人さんが来たのです。なんと、前の管理人さんは窃盗犯罪で捕まったとのこと。寮でよく腕時計などの物品がよく無くなりました。やっぱりと思いました。難波を案内してくれたいい人だと思っていただけに驚きました。
たくさんの招き猫を売るお店 飾り物を専門に売るお店
今回、難波周辺を歩いて見つけられなかった建物がありました。今から50年位前に火事で焼けた千日前デパート跡です。私が大阪日本橋に勤めていた頃、その建物はまだ残っていました。あれだけの被害が出たデパートです。何か石碑の一つでも残っていないか探しました。しかし、どうしても見つけることができませんでした。どこにあるのでしょうか?
さて、南海線難波駅に着くと御堂筋駅に乗り換えました。そして、新大阪駅に戻ると、新幹線で我家に戻りました。次には、寮があった高石市や難波の次に勤めた茨木などに足を延ばしてみたいと思いました。
南海線難波駅に向かう 千日前デパート跡は? 懐かしい南海線難波駅正面