このお正月、寝正月にしようと思っていました。ところが、早朝6時頃に目が覚めて庭を見ると、なんと雪が積もっているではありませんか。このお正月は、初雪に1cm位の初冠雪です。すぐに起きて、その雪でミニ雪だるまを作ってみました。
早朝で冷たいのか、雪がサラサラして握れません。すぐにパラパラと崩れてしまいます。そのため、手で強く握りしめて体温で固めました。満開の蝋梅の枝にぶら下がる去年の実から取り出した黒い種二つを目にしました。そして、口にはこの秋に収穫した小豆を、頭にはやはりこの秋に収穫した茶綿を使いました。万歳している腕は、枯れた竹の節つき枝を使ってみました。
今年もよろしく!初雪に初冠雪の雪で作ったミニ雪だるま
まさか、お正月に雪だるまを作ることになろうとは、おめでたいことです。室内に持ち込んで、雪だるま相手におとそをいただきました。思い起こせば、東京に住んでいる頃に大雪が降りました。その雪を山のように積み上げて、子供二人が入ることができるかまくらを作ったことがあります。また、山岳会に所属していた二十代、雪山登山をしたことがあります。その時に、雪のブロックを積み上げてイグルーを作ったこともありました。
初冠雪の畑 手を押し当て溶かす 雪だるま相手におとそ
寝正月にするつもりでしたが、寝るのに飽きてきました。そのため、午後は近所をぐるりとウォーキングしてみました。歩いたのは、高塔,旭,新川,庄山,田布施川,八海です。最初に旭地区を回ってみました。私が子供の頃に無かった麻郷団地への道を見たり、私が中学生の頃にあったお店(旭ママストア)の場所を見たりしました。また、旭地区にある荒神社を見たりしました。このお社は、歴史的な経緯から鳥越地区の方がお守りしています。旭地区を抜けると、田んぼの間を抜けるあぜ道を通って新川地区に行きました。
旭にある鳥越荒神社 あぜ道を新川へ 庄山橋からの石城山
新川地区に入ると、庄山を抜けて庄山橋に出ました。ここまで来ると、広い田んぼの向こうに石城山が見えます。そう言えば、子供の頃に庄山橋から川添橋の間でよく泳いだり水遊びしたことを覚えています。川の中に潜ると、イナなどの魚が泳いでいるのが見えました。庄山橋から川添橋まで歩いていると、左手に赤子山がよく見えます。川添橋に着くと、橋を渡り八海地区方面に向かって歩きました。
灸川合流地点の刑場跡付近 江戸時代の干拓の名残りの萱
川添橋を過ぎてしばらくすると、灸川との合流地点に着きました。その昔川幅が狭かった頃の名残が川の中に残っています。また、幕末期にここは刑場でした。奇兵隊の反乱兵がここで処刑されました。そのため、私が子供の頃はこの付近は息を止めて通り過ぎるように言われていました。刑場の名残の言い伝えなのだと思います。かつては萱が生い茂る堤防が続いており、夜ここを通ると怖かったことを覚えています。
高塔山の峠だった道 我家の離れた草地 我家の裏山から帰る
さらに田布施川を下ると、かつて架かっていた人島橋跡に着きました。私が子供の頃まで掛かっていた木造の橋でした。立派な欄干があったことをおぼろげながら覚えています。旧八海橋に着くと、高塔地区に入りました。国木田独歩が通った峠は今、削られて舗装道路に変貌しています。その昔は暗く寂しい峠だったことを覚えています。峠跡から少し歩いて我家の草地を通り抜けて、我家の裏山に登って我家に帰りました。
今年初ウォーキングした我家周辺