先週は東京に行っていたので、麻郷嵯峨音頭や田布施音頭の練習に参加できませんでした。そのためか、私はまた一からやり直しでした。今回は遅れて参加したため、麻郷嵯峨音頭の歌の練習の途中から入りました。合いの手ではマイクを持って練習しましたが、タイミングが合わず散々でした。8月の盆踊りまでに覚えることができるかとても心配です。
大人が麻郷嵯峨音頭の歌や太鼓を練習していて6時半頃になると、子供たちが次々に集まってきました。6時半からは、大人と交代して今度は子供達の練習の番です。子供達の練習は、麻郷公民館の一階と二階に分かれて練習です。一階では麻郷嵯峨音頭の太鼓の練習を、二階では田布施音頭の太鼓の練習です。
嵯峨音頭の太鼓を練習する大人達 集まってきた子供達の点呼
嵯峨音頭について。室町時代に京都の念仏踊りようなものの一つが、荘園があった麻郷近隣に伝わって嵯峨音頭になったようです。室町時代、今の平生はまだ干拓前ですので海の中でした。そして、田布施の街も小さかったはずです。当時、京都などに米などの物産を送っていた戎ヶ下や水場がこの地域で一番賑やかだったと思われます。水場には数十年前まで遊郭があったほどですので。京都などを船で行き来していた人達が、嵯峨音頭を伝えたのではないでしょうか。
麻郷以外にも,麻里府,竹尾,佐賀,城南などでも古くから踊られているようです。私が子供の頃、古い伝統がどんどん忘れられていました。しかし、私が東京で暮らしている間に「ふるさと創世」活動が盛んになったのか、この古くから踊られていた麻郷嵯峨音頭が見直されたようです。
ちなみに、麻郷嵯峨音頭は、嵯峨音頭の歌詞を麻郷に合わせて変えたものです。本元の嵯峨音頭の歌詞には「長崎」など全国の主に港の地名が出てきますが、麻郷嵯峨音頭の歌詞には麻郷の人にはなじみ深い地名(戎ヶ下,鳥越,八海など)が次々に出てきます。
麻郷公民館二階で、田布施音頭の太鼓を練習する子供達