東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 国木,竹尾周辺ウォーキング(2/2)

2014年11月18日 | 歴史探訪他ウォーキング



 光福寺裏山の40番目位のお地蔵様がある付近が頂上です。そこにはひときわ大きな石がありお地蔵様が彫ってありました。観音様なのか毘沙門様なのか又は別の地蔵様なのかは分かりません。その岩を拝むと、続きの番号のお地蔵様を巡って山を下りました。登って降りて20分位で八十八のお地蔵様を巡ることができました。

   頂上に置かれたひときわ大きな石        別室に安置された三宅の薬師観音
 

 お地蔵様巡りを終わった後、ご住職様にあいさつしました。その時、麻郷三宅の薬師観音像を見せていだきました。100年以上三宅の観音堂で安置されていたであろうこの薬師観音像を、後三宅の方々が維持管理できずこの春にこのお寺に安置したのです。このように、地域で維持できなくなったお地蔵様をお寺にお返しする話を最近よく聞きます。残念なことですが、このご時世仕方ないことなのでしょう。
 ところで、一昨年に竹尾地区を訪れた時、巡礼の張り紙がありました(一日巡り,又はお大師巡り)。しかし、今年はこの張り紙がありませんでした。巡礼は去年か今年で絶えてしまったようです。今回のウォーキングを巡礼のようなものとお考えになって、ご住職が特別にお祈りをしてくれたのかも知れません。

 竹尾,国木の巡礼の張り紙(2012撮影)                竹尾川の姥ヶ盥の滝
 

 光福寺を出ると、竹尾方面に向かいました。刈り取りが終わった広い田んぼを横目で見ながらしばらく歩くと、姥ヶ盥の滝つぼに行きました。川底に向かう斜面を降りると、大岩に張り付くように神棚がありました。これが、山姥伝説の姥ヶ盥のようです。山姥が休むために座った滝です。水が流れ落ちる岩が、腰をかける巨大な椅子のように見えます。面白い伝承です。

                  戸倉神社に向かって急坂100段の石段を登る


 次に戸倉神社(とのくらさー)に向かって歩きました。途中、八雲八幡の神社を見学しました。芦原神社のような、水に浮かぶように見える神社でした。その後15分位歩くと、今回の最後の訪問場所である、戸倉神社がある山麓に着きました。麓から見上げる100段の石段には驚きます。はるか上まで石段が続いています。みんなで息を弾ませながら一歩一歩と石段を踏み登りました。

    石段を登りきると神社はすぐそこに          ブロック製壁の戸倉神社
 

 石段を登りきると、近くに御旅所がありました。そして、広場の50m位先に小さな神社がありました。その神社は壁がブロックで作られていました。その神社の後ろに石垣が露出していました。その昔、この石垣の上にちゃんとした神社があったのに違いありません。屋根を見ると、さまざまな模様の瓦がありました。おそらく、地域の人があちこちから持ち寄った瓦ではないかと思います。

                  最後の訪問場所である戸倉神社前にて


 神社の中には神輿が納められているそうです。祭りの時、石段近くにある御旅所に神輿を出すそうです。その昔は、この100段の急な石段を神輿が駆け降りたのではないかと思います。城南川西西山の妙見社の神輿は今でも、お祭り時に石段を降りるそうです。高齢化が進んだ今、この石段を登り降りするだけでも大変です。麻郷蓮輪の金毘羅様、昔は急な石段を登った広場でお祭りをしていたそうです。しかしお年寄りがその石段を登れず、今は山裾にある蓮輪公会堂でお祭りをしているそうです。

      急な石段を注意しながら降りる          国木小学校跡地に向かう
 

 最後の訪問地である戸倉神社を過ぎると、岸田交差点を左折して終点の国木小学校跡地に向かいました。下見よりだいぶ距離を減らしたつもりでした。しかし、なんだかんだで12.7km歩いていました(GPS測定器上)。参加したみなさん、お疲れ様でした。12月は年末のためウォーキングをお休みします。年が明けた1月、柳井港大畠周辺の海を見下ろす高台の道をウォーキングする予定です。

            今回歩いた、国木,竹尾周辺ウォーキング(2/2)        

==========健康ウォーキングクラブ==========

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