染めに使う紅花を一昨年から栽培しているのですが、どうにも栽培の方法が分かりません。まずは、種まきの季節です。山口県では、秋まきが有利なのか春蒔き有利なのかまだ分かりません。分かったのは移植ができないことだけです。今回草取りした紅花が春になって大きく育つようであれば、今後は秋まきに統一しようと思います。春に種をまいた方が良く育つようであれば、春の種まき栽培に統一しようと思います。
紅花の畝を平クワで削るように除草
さて、秋に種をまいた紅花の除草をしました。種まき後、ほとんど草取りしていなかったため雑草がだいぶ生えていました。最初、平クワで削るように除草しました。続いて、削れなかった雑草は手でむしりました。ついでに、株間が狭い紅花は、間引きして適度な間隔になるよう間引きしました。実は適正な株間もまだ分かりません。今後、さらに適切な紅花栽培を調査しようと思っています。
平クワで除草後の紅花 株元の草を手で抜く 除草・間引き後の紅花
次に繊維植物であるリネンの除草をしました。これまた栽培方法が分からない植物です。今回栽培して、あまり分げつしない植物であることが分かりました。そのため、種は大量に蒔く必要があります。ヨーロッパでのリネン畑は草原のようです。隙間なく種を蒔くのではないかと思います。紅花と同様に秋まきが良いのか春蒔きが良いのか分かりません。また、背が高くなると倒壊し易いようです。さらに、どの程度土寄せすればよいのかも調べようと思います。
平クワでリネン畝の除草 ほとんど分げつしないリネン
今年で47回目となった田布施町町子連の凧揚げ大会がありました。子供達が12月に集まって作った凧を、広いスポーツセンターの運動場で揚げるのです。数年前まではどこかの田んぼや海辺で凧揚げしている子供を見たものですが、お正月以降初めて凧揚げをみました。今の子供は凧揚げやコマ回しなどをしないようです。凧揚げより楽しい遊びがたくさんあるからなのでしょう。それに、凧揚げするような広い場所がないからでしょう。
一生懸命走って凧揚げする子供達
午後1:30に凧揚げ大会の開会式がありました。開会式が終わると凧に描かれた絵のデザイン審査がありました。幼児から高学年の部に渡って審査がありました。すべての子供が何か絵を書いていました。デザインの審査が終わると、いよいよ凧揚げ大会の始まりです。私は用事があって12月の凧作りには参加できませんでした。そのため、一昨年作ったボロ凧を持参しました。
凧のデザイン審査 一生懸命走り凧揚げ 私が持参したボロ凧
今年も風があまり吹きませんでした。それでも子供達は一生懸命走って凧を揚げていました。1時間位でしょうか凧揚げを競いました。高く上がった凧が上昇賞の対象になります。私も凧を揚げました。その後、閉会式があり凧のデザイン賞と上昇賞の発表がありました。青い空に浮かぶ凧を久しぶりに仰ぎ見ました。私も久しぶりに走って疲れました。準備やお世話していただいた町子連関係の方々、お疲れ様でした。
デザイン賞と上昇賞の発表 いろいろな絵が描かれた凧
去年の秋から毎月、第2曜日と第4土曜日の午後に集まって綿繰り,糸紡ぎ,織物などをしています。前回は主に棉繰りをしたので、今回は糸紡ぎと織物をしました。とは言え、楽しい皆さんが集まれば、最初は雑談やおつまみから始まりました。談笑前、1名の方に新しいカーダーをお渡ししました。しばらく談笑後、前回綿繰りした綿をカーダーでほぐしました。そして、糸紡ぎを始めました。
各自思い思いに、糸紡ぎしたり織物をする
糸紡ぎの練習を始めるまえに、私の方からカーダーでの綿のほぐし方を説明しました。丁寧にほぐすことや、ほぐしている時に手間ですがゴミやだまを取っておくことなどを説明しました。そうしないと、均一で細い糸ができにくいのです。ほぐしたあと、私のやり方なのですが綿を棒状にくるくる巻きます。糸紡ぎしている時、この棒状になった綿から細い糸をするすると引くのです。
カーダーで綿をほぐす 小さなゴミを取り除く 綿を細い棒状に巻く
そして、糸車を回しながら糸を紡ぎます。私は2年位前に糸紡ぎを始めましたが、最初その要領がさっぱり分かりませんでした。うまく言葉では表せませんが、綿から糸を引き出すことがポイントです。ゆっくりと糸車を回しながら、そっと摘まんだ綿から撚られた糸が引き出されるように引くのです。そして、50cm位引き出すと巻き取ります。これを体得すれば容易に糸紡ぎできるようになります。江戸や明治の頃、農家の子供(主に女の子)は親の元で何年もかけて学んだのではないかと思います。
撚られながら綿から糸を引き出す 一定の長さに糸を引くと巻き取る
糸紡ぎしている途中、糸車の糸が滑ることがあります。そんな時は、ワックス(主成分:松やに)を糸に薄く塗りつけます。何mかの長さに糸が紡げると玉のように丸めます。最初は誰も素人です。糸が太くなったり、だまになったり、切れたりします。それでも練習すれば綺麗な糸を紡げるようになります。練習は裏切りません。なお、藍染めのお話も皆さんにしました。糸紡ぎや織物ばかりでは飽きてしまいます。時々、畑で綿や藍などの種まきや世話をしたり、生葉藍染めや絞り染めなどをしようと思います。今回麦踏みをしようと思いましたが、朝の雨で中止しました。
糸車の糸にワックス 紡いだ糸を丸める 藍染め(絞り染めなど)
1月に田布施中学校で科学実験などを行った少年少女発明クラブ、今月と来月は田布施農工高校で電子工作をします。去年は電子ロボットを制作しましたが、今年は電子ホバークラフトを制作します。ホバークラフトは空気を下に吹き付けて本体を浮かせる装置です。ただ空気を吹き付けるだけではなく、その時間や吹き付け方を電子回路でコントロールするのです。
これから作る電子ホバークラフトを子供達に解説する先生方
最初に電子ホバークラフトをコントロールするためのIC回路基板を作ります。しかし、半田付けできなければ制作することができません。そのため半田付けの練習をしました。基板に何度も半田付けしたり、抵抗や裸線などを半田付けして練習しました。去年の少年少女発明クラブに参加した子供は経験があるため上手なものです。半田付けする時、全員保護メガネをします。また、髪が長い子は髪を後ろに髪を束ねます。去年だと思いますが、長い髪が前に垂れ下がったため半田ごてに髪が当たり軽く焦がした子がいました。
保護メガネをかけ半田付け 基板に半田付け練習 部品配置図の説明
半田付けの練習が終わると、いよいよ電子部品を基板に取り付けました。最初に抵抗4本、続いてコンデンサ,スイッチ,ICソケット,FETなどを次々に半田付けしました。小学生にはまだ電子部品の意味は分からないと思いますが、電子部品配置図に従って基板に半田付けしていきます。今回は電子部品の取り付けですが、次回から実際に動作させます。そして、来月は完成した電子ホバークラフトでカーリングをします。
各種電子部品を受け取る 電子部品を次々に基板に半田付け
毎年のことですが、1月から2月にかけて、町内4校すべての小学校3年生が昔の道具を学習するために郷土館にやって来ます。それに間に合うよう、いろいろな道具を修理しています。今回は、昔の農家に普通にあった縄綯い機を修理しました。私が使っていたのは10年以上も前の事ですので、修理方法や使い方を思い出すのに時間がかかりました。
修理後に縄綯いのテスト中、ちゃんと縄を綯えることを確認
最後に縄綯い機を使ったのは、10年位前に地元の大学生に教えた時でしょうか。それ以前は、地元の高校生などに縄綯い機の使い方を教えたことがあります。10年以上も前の事なので、私自身使い方をだいぶ忘れていました。当時を思い出しながら、最初は縄綯い機を修理しました。油を差したり、ヤスリで磨いたり、ネジを締めたり、動きを滑らかにしたりしました。左右のラッパ口への藁の入れ方を思い出すのに時間がかかりました。そして、綯われた縄が太鼓部分に巻き込まれるよう調整するのに時間がかかりました。
ラッパ口への藁投入 縄の引き出し部 綯われた縄の取り出し
修理後、縄を綯うテストをしている時、二度ばかり指を挟んで血豆になってしまいました。今でも痛くてジンジンします。軍手をすれば良かったです。縄の先頭部を太鼓部分に巻き込み終わると、試しに縄を綯ってみました。すると、私が持っている縄綯い機より使い方が難しいことが分かりました。綯われた縄がほつれていると、太鼓部分でひっかかるのです。その都度、縄を綯い直さないといけませんでした。
綯われた縄を太鼓部に巻き込み 太鼓部に縄を巻き込み完了
何度か綯うことをやり直しました。すると、連続して縄を綯えるようになりました。たまたま来館していた城南地区の友達に手伝ったもらって縄を綯いました。基本は一人で縄を綯うのですが、足踏みするのは私、右のラッパ口に藁を入れるのはS君、左のラッパ口から藁を入れるのはK君の3人で縄綯いをしました。慣れない縄綯い機の手伝いありがとうございました。来週、城南小学校の子供達が郷土館にやってきます。修理した縄綯い機を見せようと思います。
太鼓部を回す装置 縄綯いの準備完了 一人で縄綯いを試行中
今の季節は木々の剪定に向いている季節です。剪定するとどうしても木の枝や幹を傷つけることになります。夏ならばバイ菌が傷口から入って木を傷めます。その点、冬は気温が低いためバイ菌の活動が抑えられています。言わば、冬は冷蔵庫の状態なのです。寒いと菌の活動が制限されて、食品が傷みにくいことと同じです。
上に伸びないように、また葉にまんべんなく日が当たるように剪定
最初に柿の木を剪定しました。私は剪定のプロではありません。次の二つにだけ注意しながら剪定しました。一つ目は、枝先が上に伸びないように横に広がるように剪定します。これは収穫がしやすいようにとの配慮です。梯子を使わないと収穫できないのでは困ります。二つ目は葉に太陽の光が均等に当たるように剪定します。
剪定前の柿の木 太い枝はノコギリで 細い枝は剪定バサミで
柿の木の剪定が終わると、グミの木を剪定しました。苗を植え付けた時はほとんど枝が出ませんでした。ところが、3年前から赤い美味しい実をどんどん収穫できるようになります。それに比例して、背が伸びたり枝が繁茂するようになりました。脚立に上がっても届かないほど伸びた枝をどんどん剪定しました。これで、この春も美味しいグミを背伸びするだけで収穫できそうです。今後は、桃,梅,スモモ,ブラックベリー,ユスラウメなども剪定しようと思います。
枝が上に伸長したグミの木、剪定前 高さを抑えるように剪定中のグミの木
北九州域 史跡&観光地巡りも、残すところ大宰府だけになりました。予定ではもう一ヵ所訪れる予定でしたが、久留米市の史跡巡りに時間をとられてしまい諦めました。さて、大宰府ですが40年位前に一度来たことがあります。建物の雰囲気や賑やかさはその当時とそれほど変わっていませんでした。相変わらず修学旅行生がたくさんいました。唯一違いがあると言えば、海外から来た旅行客が多いことくらいでしょうか。
約40年ぶりに来た大宰府天満宮、相変わらずの賑やかさ
40年位前に来た時は電車で駅まで来て、歩いて大宰府天満宮を参拝しました。今回は平日だったため修学旅行生が多かったぐらいで、ほどほどの賑やかさでした。そのため、すれ違う人を避けることなく気にしないで歩くことができました。太鼓橋を渡り、「心」を図した池を通って拝殿前に行きました。そして、大勢の参拝者に混じってお祈りをしました。
やっと探した駐車場 鳥居のある参道を進む 太鼓橋を渡る
35年位前でしょうか、お正月に鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝したことがあります。縄が張られるなどの入場制限がありました。あまりの混雑に、右にも左にも身動きが取れませんでした。おそらく大宰府天満宮も、お正月は鶴岡八幡宮に劣らない大勢の参拝者で埋まるのではないかと思います。
お祈り後、お守りを購入 梅がえ餅を購入するため並ぶ人々
大宰府天満宮を参拝後、婆様から頼まれていた梅がえ餅を購入することにしました。聞いていたお店に着くと、たくさんの人が並んでいました。私は一つだけ食べることにして、残りを包んでもらいました。できたての熱々の梅がえ餅はとても美味しかったです。40年前、梅がえ餅は手作りでしたが今は機械化されていました。なお、山口県の防府天満宮は今でも相変わらず手作りです。
梅替え餅を食べながら休憩 熱々の梅がえ餅 ガマ口懐中のお店
梅がえ餅を食べおわると、参道両側に並ぶいろいろなお店を見ながら散策しました。京都にあるようなガマ口懐中専門のお店がありました。また、骨とう品を扱うお店があったので入りました。とても高価だったため見るだけにとどめました。しばらく人込みの中を歩いて疲れたため喫茶店に入りました。レトロな雰囲気な喫茶店でした。
賑やかな人込みの中を歩いた大宰府天満宮
田布施町郷土館の昔の道具展示室を大幅に変更しました。来館者に、見て・触って・実際に動かしていただいて、道具の仕組みを理解していただけるようにしました。これまでは、展示してあるだけで、詳細な説明文がなく、しかも触れない場所に置いてあったり、故障して動かせなかったりした道具が少なくありませんでした。今月からは、いくつかの道具を触って動かせるように展示しています。触って動かせるようにした昔の道具をいくつか紹介します。
動かすことができる、田布施町で使われてきた綿繰り・糸紡ぎ・織機など
これまでの展示との一番の違いは、古い道具に詳細な説明文や写真を付けたことです。例えば、昭和30年代まで麻郷八海で行われてきた海苔作り。道具だけでは分かりにくいため、作業工程に加えて、説明文と作業中の写真を追加しました。また、平生湾側で行われてきた塩田作業も説明文に加えて見やすい位置に写真を加えました。近々、田んぼで作業中の牛の絵を使って牛耕を分かりやすく展示する予定です。
海苔生産コーナー 農業用具コーナー 牛耕作業コーナー
郷土館で一番大きな農業用具はだいがらです。今では餅つきの道具として使われていますが、もともとは籾摺り・精米の道具として使われていました。郷土館では実際に籾を石臼に入れて、だいがらを動かしてつくことができます。どのようにして籾が精米に至るのかを見ることができます。ただし、どの道具も激しく動かすと、壊れたり場合によっては怪我をすることがあります。使ってみたい場合は、必ず郷土館の職員指導の元で使ってもらうようにしています。
籾入りのだいがらの石臼 実際に使えるだいがら
その他、昭和30年代をイメージして作った家庭コーナーがあります。当時使われていた家庭用品を展示しています。実際に使えるようにしたものがいくつかあります。石臼は実際に動かして小麦を製粉して小麦粉にすることができます。小麦は去年私が作って収穫したものです。蓄音機と足踏みミシンは、私が直して使えるようにしました。蓄音機は、ハンドルを回してゼンマイに力を溜めます。そして鉄針をゆっくりとレコードに降ろすと、レトロな懐かしい音楽が流れます。足踏みミシンは、東京で革丸ベルトを購入して直しました。まだ調整中ですが、布を縫うことができます。その他の動かない古い道具も、来館者に使ってもらえるよう時間をかけて直しています。
昭和30年代をイメージした家庭コーナー
たまたま園芸店に行って、春の花の種まきをすっかり忘れていたことに気が付きました。仕事などや野菜の種まきに気を取られて、私が好きなポピー,ビオラ,百日草,スイトピー,キンセンカ,花菱草などの種まきをすっかり忘れていたのです。今の時期、もう種まきはできません。パンジーなどの苗を売ってはいましたが高価です。比較的耐寒性があるビオラの種まきをしてみました。
種まきした後、網を使って薄く覆土
今は一年で一番寒い時期です、そのため種まきには特別の工夫が必要です。特に発芽したばかりの種は霜柱にとても弱いのです。芽生えても、霜柱で幼根を切断されてしまい枯れてしまうのです。ポイントは畝下げして、その上にビニールをかけることです。霜がおりないように、かつ暖かくなるようにします。
耕耘機で丁寧に耕耘 平クワで畝下げ 極小のビオラの種子
耕耘機で丁寧に耕した後、平クワで畝を下げます。そして、ビニールで覆えるように畝の周りを盛り上げます。そして、畝を硬く平クワで固めます。これでやっとビオラの種まきの準備ができました。ビオラの種子は極小ですので、指をひねるようにして散蒔きします。種まきが終わると、網でふるうようにして土を被覆します。次に透明なビニールで覆います。広いビニールしか手持ちがなかったため、買物時にもらう大きめのレジ袋を加工して使うことにしました。
指でひねるように散蒔き 保温用にレジ袋を加工 下畝に支柱を差す
両側を盛り上げた下畝を、加工したレジ袋で覆いました。なお、覆う前に下畝に支柱を差しておきます。これは、雪が降ったり雨が降ってもその重みでレジ袋の覆いが潰れないためです。次にレジ袋が風などで動かないように周りに土を寄せていきます。最後に、適度な通気があるようにレジ袋の数か所穴を開けておきます。さて、寒さに負けず芽が出てくるでしょうか。
土寄せして動かないように固定 最後に通気用に数ヶ所穴あけ
綿を収穫した綿畑、枯れた綿の木がたくさん残っています。この綿畑を整理して、春に再び綿を栽培するか陸稲を栽培しようと思っています。そのため、枯れた綿の木を伐採して焼却することにしました。綿の木はけっこう太いため、抜こうとしても一人では抜けません。仕方がないので根本をノコギリで切ることにしました。小さな綿の木はなんとか手で引き抜きました。
パチパチと音を立てて燃える綿の木
伐採した綿の木を燃やす前にたき火をしました。伐採したばかりの綿の木は生木のため容易には燃えません。何個かの段ボール箱を小さく折って、その上に枯れた竹を何本も組みました。さらにその上に枯れた木を積みました。積み終わると、段ボール箱に火をつけました。しばらく待つと火が燃え上がりました。
枯れた綿の木を伐採 太い綿の木はノコギリで 細い綿の木は手で抜く
今はたき火の季節です。火の近くにいると体が温まります。火が大きくなったところで、伐採した綿の木をどんどん火の中に積むように放り込みました。次に、前日に伐採しておいたサトウキビや砂糖モロコシの茎も放り込みました。どれも生木のため、一気には燃えません。火が小さくなると、枯れた竹を入れるなどして火の勢いを保ちました。燃やさなければならない竹,木,草などがまだまだあります。3月いっぱいまでたき火が続きます。
炎の中に綿の木を放り込む 未収獲の綿もすべて燃やす
山の下草刈りを始めました。春から秋の間に作業すると、暑くて大量の汗が出ることや、蚊やマムシなどに出会うリスクがあります。その点、冬は寒くても適度な運動のため涼しく快適に作業できます。さらに蚊もいないしマムシも冬眠中なので出会うこともありません。ここ数年、山はほとんど冬だけ下草刈りをしています。草といってもほとんどは笹ですが。
斜面で下草(ほとんどは笹)の刈り取り
今回は、我家の東側の斜面を下草刈りをしました。この斜面には、桜の大木が何本もあるため避けながらの作業になります。楽に下草刈りできるように、数年前に桜だけを残して他の木をほとんど伐採しました。厄介なのは、その伐採した切株が枯れずに残っていることです。快適に下草刈りをしていると、突然に切株が現れて刃が当たることがあるのです。幹を低く伐採しない方が良かったです。
下草刈りする前の斜面 下草刈り後の斜面
冬は下草刈りに適している季節なのですが、それでも何時間も作業していると体が疲れて足腰が痛くなってきます。農作業は、下草刈りも含めて草刈りにたいへんな時間を取られます。世の中には種まきや収穫に関する教科書は腐るほどあるのに、どうして草刈りに関する教科書が少ないのでしょうか。草刈りを研究する人がいないためでしょうね。ところで、斜面で草を刈る場合は基本的に下から刈っていきます。20年以上していませんが、斜面を焼く場合は逆に上から火を降ろすように焼いて行きます。
下草刈りを終えた、我家東側斜面の1部
今年初めての綿繰りと糸紡ぎをしてみました。最初に綿繰りをしました。棉繰りとは綿から種を取り除く工程です。綿の実から取り出した綿を、そのまま綿繰器に入れてもうまく種と綿を分離できません。あらかじめ手で広げるなどしてほぐしておく必要があります。一つ一つほぐすのは面倒です。最近は袋に綿をまとめて入れて細い棒で叩いています。
糸紡ぎ中、まだ江戸や明治時代のように細い糸が紡げず
次にハンドカーダーを使って、種を取り除いた綿をさらにほぐします。昔はほぐすために弓を使っていました。私の祖母も布団直しの時、弓を使って古い綿を柔らかくほぐしていました。そのほぐした綿を棒状に丸めます。続いて糸車を使って糸紡ぎします。棒状の綿からするすると引くようにして糸にします。しかし、今だに江戸や明治時代に田布施で紡がれた糸のように細くは紡げません。瞬間的にしか極細に紡げないのです。まだまだです。
綿繰器で綿の種取り カーダーでふわふわに ほぐした綿を棒状に
糸紡ぎをしていて、糸車の糸が滑ることがあります。滑りを直すため糸を張り直しました。古い糸を外して、新しい糸をピーンと張りました。すると、滑らないで糸車が回るようになりました。また滑りはじめたら松脂を塗ってみようと思います。この一年は去年と同様に、綿や藍の栽培、綿繰り、糸紡ぎ、織り、染めなどをしようと思います。一年間の作業工程は定まってきたので、より上達するように努めようと思います。
古い糸を外し、新しい糸を張る 新しい糸を車輪にはめる
初冬に小豆を収穫して、天日干ししていました。せっかくのお正月、鞘から小豆を取りだしてぜんざいを作ってみました。ぜんざいはお汁粉とも言うようです。関西ではぜんざいと言い、関東ではお汁粉と言うようですが、具体的な違いはよく分かりません。小豆としては遅れに遅れて8月に種まきしました。そのため、それほど大きくならず実入りも多くありませんでした。しかし、婆様と二人で食べるには十分なぜんざいを作ることができました。
カラカラに乾いた鞘から小豆を取り出す
最初は手で鞘から小豆を取り出していたのですが、とても時間がかかりそうでした。かつては、くるり棒で叩いて鞘から小豆を取り出していました。今回はくるり棒を使うほどではありません。鞘を袋に入れて足でギュウギュウ踏みつけて小豆を取り出す方法をとりました。踏みつけた後、袋から取り出して鞘と小豆を分けました。
袋から取り出した鞘と小豆 網で鞘と小豆を分離 唐箕で細かなゴミを除去
鞘と小豆を分離すると、鞘は畑にばらまきました。鞘は腐って土に返ります。小豆はいったん箕の上に広げて、目で見てゴミなどを除きます。さらに唐箕を使って細かなゴミを除去しました。最後に水に浸します。虫が食べた小豆や未成熟の小豆などは水に浮いてきます。それらを手ですくうようにして取り除きます。
水に浮いた虫食い小豆やゴミなどを手ですくい取る
あとは、水に浸した小豆をひたすら煮続けます。なお、普通の豆はあらかじめ水に浸して柔らかくしておきます。しかし、小豆は乾いたまま水に浸してそのまま煮ます。2時間以上煮続けます。その間、あくが浮いてくるので取り除きます。煮続けていると水が蒸発してだんだん減ってくるため、そのつど水を追加します。気長にあく取りと水の追加をします。
小豆を浸して煮る 浮いてきたあくを取る 砂糖を入れ好みの甘さに
箸でつまんで崩れるほど柔らかくなると裏ごしします。裏ごしした方が小豆らしい味が出るのですが手間がとてもかかります。そのため、今回は裏ごししないでミキサーに入れて皮ごと粉砕しました。お客さんに食べてもらう時は裏ごししますが、我家で食べる時や大人数に食べてもらう時はミキサーにします。以前、水羊羹にした時もミキサーを使いました。次に、好みの甘さになるように砂糖を加えます。これで、甘い小豆汁の出来上がりです。この中に、お餅や団子を入れると、美味しいぜんざいの出来上がりです。今回は餅を入れて食べました。とろりとした美味しいぜんざいに仕上がりました。ご馳走様でした。
ぜんざいをお椀に盛る 美味しいお餅入りのぜんざい
お正月は、毎年のことですが田布施町の主要な神社に参拝します。去年は元旦に行きましたが、今年は二日目に行きました。三年前、小行司を除く田布施町のほとんどの神社や祠(77ヶ所)をお詣りしてみましたが、朝から夕方までかかりました。藪の中をかき分けた場所にある神社、車が入らない山の上にある神社などは大変でした。今は、体力が続かないのでお詣りできません。一緒に行く仲間がいればよいのでしょうが。今年は、元旦に行った麻郷神社をかわきりに、午後から主要な神社をお詣りしてきました。
今日最初に参拝した高松八幡宮
さて、最初に行ったのは氏子である高松八幡宮です。二日目のためか思ったより参拝者が少なかったように思います。毎年のことですが、交通安全のお守りを購入しました。続いて、住吉神社がある麻里府へ向かいました。旧麻里府小学校跡向かい側の小高い山上にある拝殿に行きました。急な階段を降りると、次に八尋石八幡宮に向かいました。そして次に、城南宿井にある石ノ口八幡宮に行きました。石ノ口八幡宮も参拝者が少ないように思いました。隣の荒神社も参拝しました。
麻里府住吉神社 西田布施八尋石八幡宮 宿井石ノ口八幡宮
続いて、小行司の多賀社に向かいました。大波野を通り、光市の生野を通り過ぎ、再び田布施町に入り、ようやく小行司の小高い山頂にある多賀社に着きました。多賀社も参拝者が多くなかったのですが、宮司さんがおられ、しかもお饅頭屋さんがありました。小腹がすいていたため、参拝後にお饅頭を五個購入しました。今年も天気が良く、眼下に田布施町や平生町がよく見えました。
小行司の多賀社から見下ろした田布施町,平生町,上関町
多賀社を参拝する頃、少し日が陰ってきました。そして、少し寒くなってきたため急いで次の八幡八幡宮に行きました。多賀社から大波野に向かって坂を駆け下りました。八幡八幡宮に着くと、お賽銭を投げ入れて、我が身の健康と家族全員の健康を祈願しました。続いて、最後に浮島神社に向かいました。小さな神社ではありますが、昔は夏の花火が盛んで、ひねきり明神と呼ばれる奇習で有名でした。そして、江良碧松句碑の三つのうちの一つがこの浮島神社にあります。
東田布施八幡八幡宮 川添浮島神社(ひねきり明神)
田布施町の主要な神社を参拝していて、いろいろな方に出会いました。高松八幡宮では同級生のKさんに出会いました。来年の麻郷小学校同窓会をお伝えしておきました。八尋石八幡宮に行く途中、元郷土館長Nさんに会いました。あたたかいコーヒーなどありがとうございました。八尋石八幡宮ではSe議員に出会いました。神社の御守ご苦労様です。八幡八幡宮から浮島神社に向かう途中、田布施川でウォーキング仲間のSaさんに会いました。今年もウォーキングなどよろしくお願い致します。我家に帰り着くと、私を無事に運んでくれたバイクにお礼を込めてなでてやりました。そして、高松八幡宮で購入した交通安全のお守りを取り付けました。今年も、私を安全に運んでくださいな。
お正月二日目、参拝した田布施町の神社
毎年元旦は賑やかな神社に初詣するのですが、今年は一番近くある歩いて5分位の麻郷神社に最初に初詣することにしました。行ってみると拝殿にお酒が奉納されていました。氏子さんの一人がお詣りしたのでしょう。この神社は、戦前は麻郷護国神社と言い、戦後に麻郷神社となりました。「麻郷」が付く神社ですが、麻郷に住んでいながら知らない方が多いのは残念です。歴史好きの方や戦没者がいる家でないと知らない神社です。毎年四月一日に慰霊祭があります。
お詣りするもひっそりと静かな麻郷神社
麻郷神社は戊辰戦争時に奇兵隊などで出陣して亡くなった方々を弔うために建てられました。東京にある靖国神社に先だつ三年前、慶応二年(1866年)に建てられました。その後、日清戦争や太平洋戦争でなくなった方も慰霊されるようになりました。戦没者の遺族の方々により今まで守られてきました。そして、普段は鳥越地区と旭地区の方々が清掃管理しているようです。
麻郷神社参道入口 麻郷神社前の広場 戦没者慰霊碑
戊辰戦争で亡くなった方々の慰霊碑を見ました。一番有名な方は大河ドラマに出てきた世良修蔵です。奥羽鎮撫参謀にまでなりましたが仙台で亡くなりました。尾川猪三郎・片山金次郎は共に鳥羽伏見の戦いで亡くなりました。会津藩や新選組と戦ったのでしょう。京都東福寺にも慰霊碑があります。上領茂蔵・国島栄蔵は共に越後(新潟県)で亡くなっています。戊辰戦争時に戦いが苛烈だったと言われる長岡藩で亡くなったようです。戊辰戦争に先立つ第二次長州征伐時に亡くなった方や、明治になってから起きた西南戦争の天王山であった田原坂で亡くなった方の名もあります。歴史好きにはたまらない場所です。
戊辰戦争で亡くなった方々 戊辰戦争以降に亡くなった方々