今週から麻郷小学校の放課後学習 成器塾が始まります。去年までの成器塾の経験から、今の子供達は手芸をするために欠かせない裁縫があまりできないことが分かりました。例えば玉結びや玉止めです。小学校の家庭科で習っているにも関わらずうまくできないのです。おそらく、習っても使う機会がないからでしょう。また、家庭でも保護者が教えることが無いからだと思います。そもそも裁縫ができなくても、買えば済む世の中になったので仕方のないことです。
せっかく「手芸コース」を希望した子供達に、裁縫が少しで楽しくなるような準備をしました。そのため、玉結びや縫うことが必ず必要な簡単な刺し子をしてもらうことにしました。そのサンプルを作ってみました。そして、実際に使えるコースターにしてみました。ところで、今は食材が傷みやすい季節です。そのため「料理コース」は晩秋から冬にしました。
裁縫が楽しくなる?刺し子コースターのサンプル作り
私は刺し子についてよく知らないのですが、たまたま刺し子キットがあることを知りました。その中で子供にもできそうなキットを選びました。黒い布に刺繍糸を通す模様があらかじめ描かれています。その模様に沿って縫うだけです。ただ、せっかちな現代の子供達がこの刺し子にじっくり取り組んでくれるか心配です。工作をする発明クラブの子供達を見ても同じですが、何か目標が見えないとどうしてもだらけてしまいます。子供は、目標がはっきり見えないと集中力が途切れるのです。手芸でも完成品がないと目標が見えません。子供達の目標となるサンプルを今回作ってみました。
白い刺繍糸を巻き取り 刺繍糸を針に付ける 刺繍糸と針で刺し子
本来の刺し子は黒か白い刺繍糸を使うようです。しかし、子供達が楽しめるようにカラーの刺繍糸を使いました。黒い布に刺繍糸を縫い終わると、コースターにするための縁取り加工を施しました。布の周辺を折り曲げて、手回しミシンで縫いました。そのさい、干す時に役に立つ紐を縫い付けておきました。コースターにする時の縁取り加工は、私がしたり支援者の方々にやってもらおうと思っています。
なお、本来の刺し子は縫い始めと縫い終わりは折り返すようです。そのため、玉結びや玉止めはしないようです。しかし、今回は玉結びや玉止めを練習してもらうつもりです。さあて、手芸コースを選んだ4~6年生の子供達はちゃんと刺し子ができるでしょうか。
手回しミシンで縁取り 刺し子コースターのサンプル完成
高塔山は西と東に分かれて頂きがあります。東側は広場のように広かったと記憶しています。しかし、今は高い木々が茂っていて展望は全くありません。チェーンソーで木々を伐採して草刈機で下草を刈れば、かつて独歩が吉見家の子供達を連れて歩いたり寝そべった頂上が復活すると思います。西側の頂上から東側を遠望すると柳井市の琴石山が見えます。眼下を眺めると田布施川や平生湾が見えます。かつて絶景だった頂上広場が復活すればいいなと思うのは私だけでしょうか。さらに、高塔山尾根が国木田独歩高塔山自然公園となればいいなと思います。
1:独歩が仮寓した吉見家
2:吉見家裏の吉見山
3:水場を望む惣田山招魂社
4:独歩が愛した高塔山
5:石城山を望む三角点尾根
高塔山から北に少し下った三角点尾根から石城山を遠望して
高塔山の西頂上から北へ下りました。原生林を曲がり抜ける山道の下りでした。うっすらと残る山道跡と私の子供の頃に歩いた記憶をたよりに道を下りました。途中、枯れた枝が頭上に二度落ちてきました。しばらくして右手に山道跡が見えてきました。この道は、かつて八海と高塔を結んでいた峠に続いています。私が子供の頃、八海のバス停から峠まで登り、この山道に道を分かれて我家に帰っていました。60年ぶりの懐かしい道でした。
高塔山西頂上から下る 懐かしい三角点尾根 眼下に瀬戸の里住宅
峠からの山道と合流すると、高塔地区方面に山道跡を下りました。これまた原生林の連続で幹を左右に避けながら尾根を下りました。しばらく下ると、急に開けた尾根に着きました。近くに住む方が最近伐採したそうです。60年ぶりにみる三角点がありました。60年前、この三角点尾根ははげ山でした。ここから北に向かって石城山が遠望できました。15分位ここで休憩しました。
伐採された三角点尾根 尾根終点に降り立つ
この三角点尾根は、高塔山から吉見家のすぐ近くの平地まで比較的なだらかに続きます。しかも、この尾根は上り下りが無く高塔山まで比較的単調な登りです。吉見家から最も早く高塔山に行けます。八海にも行けるこの尾根を、独歩も歩いたのではないかと思われます。60年ぶりに登った高塔山、子供の頃に歩いた山道などを懐かしく思い出すことができました。一緒に歩いていただいた方々、ありがとうございました。
実踏調査した国木田独歩関連ルート
しばらく山の下草刈りをしていませんでした。下草とは草,笹,灌木,枯れ枝,そして侵入竹です。前回刈ってから数ヵ月経っているため、再び下草が生えています。最も始末に負えないのは侵入竹です。毎年のように侵入竹を刈りつくしているのですが、隣の竹藪から次々に侵入してきます。その侵入竹を刈っても、しばらくすると小さなタケノコが生えてきます。気が付くと小さいながらも竹になっています。平地ならば刈りやすいのですが、急斜面なので油断すると足が滑ってしまいます。体にこたえる毎年の侵入竹を含む下草刈りです。
山の斜面に生える大量の草,笹,そして灌木
私が山の下草を刈る時は、最初に主要な山道を優先して刈ります。すると、山のあちこちを自由に通ることができます。その山道を中心に左右に刈り進みます。10年位前はすべての山を綺麗に刈っていましたが、今は体力が落ちたのか刈りつくすことができません。広い山なので、どこかを諦めることしかできません。
たくさん生えた侵入竹のタケノコ 山の尾根道を刈り取り
山の下草を刈ることができるのは、せいぜい6月までです。7~9月は猛暑で熱中症になる恐れがあります。山が斜面であること、木々の上から落ちた枝が刈り取りの邪魔をしること、さらに蚊やハミやダニが出ます。そのため、ここ数年は体力と健康を考えて夏の下草刈りは止めています。
笹に埋もれた山道 歩けるように下草刈り
今夜から雨が降り始めるとのことで、急いで砂糖モロコシの苗を植え付けました。モロコシは、高粱や高キビとも呼ばれる雑穀です。私が作っているのは砂糖モロコシと箒に使われるモロコシです。前者は汁に糖分が多いため絞って煮詰めるとシロップになります。後者は穂が長いので種を取った穂は箒に使うことができます。両者共に脱穀して収穫できる実を食べることができます。かつてお米の取れない山間地域で作られることが多かった作物です。実を粉にして餅やせんべいのようにして食べます。元々は飢饉対策のための食料ですので美味しくはありません。
植えた砂糖モロコシ苗の根元に土寄せ
一ヶ月ほど前に育苗を開始しました。苗場に種を蒔いて高さ20cm位に育てば、本畑に植え付けることができます。モロコシの他に、ヒエもお米の取れない山間地域で作られていました。つい20年ほど前に山梨県などの山間地域で作られていた雑穀も今や絶滅状態です。それらの雑穀は今、小鳥の餌として栽培されているようです。 粟おこしに使われている粟、黍団子に使われているキビも今年、少量栽培しています。
苗場の砂糖モロコシ苗 1本ずつ移植 移植後に土寄せ
雑穀を食べる上で一番手間なのは精穀です。大量に栽培されていお米や麦は精米や精麦する機械があります。しかし、雑穀は良い精穀の機械がありません。昔と同じように石臼で挽くか、こすりつけて皮を取り除くしかありません。雑穀は栄養的は優れても、食味が良くありません。五穀米として商品化されていますが、毎日のように食べることはできません。美味しい調理方法がなかなか無いことが、雑穀を普及させることが困難な理由です。先祖を飢饉から救ってくれた雑穀、捨てるには惜しい穀物だと思います。
手で掻くように土寄せ 植え付けたサトウモロコシの苗
5年前に耕運機のロータリー刃を交換しました。その刃が摩耗して使えなくなりました。そのため、新しい刃を注文して5年ぶりに刃を交換しました。しかしながら、交換作業は大変でした。最初の難関は、ロータリーを耕運機から外す作業でした。ロータリー軸とロータリーを固定しているピンが錆や泥などで固着しているのです。ピン止めは取り外すことができましたが、ピンがなかなか抜けません。叩いたり、こじったり、ペンチで挟んだりして少しずつ抜きました。やっとの思いでピンを抜くと、今度はローター軸からロータリーが抜けません。やはり、叩いたり、ねじったり、揺らしたりしながら少しずつ抜きました。やっとの思いでロータリーを抜いた後、摩耗した刃18本を取り外し、新しい刃18本を取り付けました。
耕運機からロータリーを外した後、新品の刃に交換
そもそも刃を交換することになったきっかけは、最近耕運機を使っても土が掘り起こせなくなったことです。刃は畑に食い込むにも関わらず、土を反転できないのです。刃を見ると、摩耗して刃先が細くなっているではありませんか。これは刃を交換するしかありません。さっそく、刃を注文するために農機具店に行きました。すると、正規品の刃はとても高価でした。そのため、非正規品の刃を注文しました。刃1枚は安くても、18本の刃を一度に交換しなければなりません。それなりの出費となりました。さらなる出費を抑えるため、自分ですべての刃を交換することにしました。
A:新品,B:交換,C;5年前 摩耗した刃の取り外し 新品刃に全交換
新品の刃に交換したロータリー2個を耕運機に取り付ける前に、ピンとピン止めの錆や泥を取り除いて磨きました。そして、ピンとピン止めに油を塗布しました。そのピンとピン止めを使ってロータリー2個を耕運機に固定しました。エンジンをかけて試しに畑を耕運すると、生き返ったように土を掘って反転しました。これでまた、効率よく畑の耕運作業ができるようになりました。よかった、よかった!
磨いたピンとピン止め ロータリーを取り付け終わった耕運機
今年は麦類が壊滅状態です。先日、害鳥に食べられないように防鳥紐を張りました。鳩やカラスなどの大きな鳥には効果がありましたが、スズメなどの小型の鳥には全く効果がありません。スズメを見ていると、ホバリングしながら紐を避け、紐に当たっても怖がらないようです。よほど餌がないのでしょうか。リスク覚悟で麦畑に突入します。これでは秋に蒔く種すら収穫できません。収穫ゼロです。やりきれません。
熟し始めたオートミール(裸性燕麦)
今年は麦の収穫を諦めました。唯一まだ熟していないオートミール(裸性燕麦)だけは鳥害に合わないようにしました。オートミール(裸性燕麦)の穂すべてを網(寒冷紗)でぐるぐる巻きにしました。こうすれば、鳥がついばむことができません。この方法は量が少ないからできる方法です。広い麦畑を、どうやって鳥の食害から守るか考えなければなりません。私一人が麦を作っているので、周辺すべてのスズメが大群でやってきます。スズメの餌場と化しています。今後、麦を作るのを止めるかどうか考えなければなりません。がっかりです。
熟す前のオートミール 網で穂全体を覆う 網でぐるぐる巻き
使われていない足踏み糸紡ぎ機が、田布施農工高校の生物生産科に一台ありました。不思議なことに、この糸紡ぎ機に周防大島町の登録番号が記載されています。周防大島町のものと思われる備品が、なぜ田布施農工高校にあるのか不思議でした。思い出してみると、何年か前に周防大島町に田布施農工高校の分校がありました。分校で使われていたものではないかと思います。今回、その足踏み糸紡ぎ機を修理・調整しました。
ところで今回、田布施農工高校で生徒さんや子供達に糸紡ぎ機などを軽く体験してもらいました。そして今後、紡ぎ,染色,織りなどを順次体験してもらうことになりました。次回は、今年毛刈りした羊の原毛の洗浄を体験してもらう予定です。
何年も使われていなかった田布施農工高校の足踏み糸紡ぎ機
さて修理・調整した足踏み糸紡ぎ機ですが、外観上は問題はありません。ただ、最近の糸紡ぎ機よりも重く頑丈に作ってあるようです。硬い木材で作ってあるのでしょう。実際に足踏みして車輪を回してみました。すると、最初の一歩が重いのですが、いったん回り始めると滑らかに回ります。調整時に分からなかったのは、糸紡ぎ車と車輪を繋ぐ糸のテンションを変える機構です。裏側にあるネジを回して緩めて、手持ち棒を回して左右に動かすようです。
周防大島町の備品番号? テンションの調整機構 糸ガイド鉤の差込口
続いて、外れた糸をガイドする鉤の位置です。今の糸紡ぎ機は鉤を糸でぶら下げておきますが、この糸紡ぎ機は差込口に差し込んでおきます。これは見た目が良いです。糸巻きの回転を制御する機構は今の物と変わりません。あらかた調整を終わると、実際に毛糸を紡いでみました。重い車輪が滑らかに回転するようになると、他の糸紡ぎ機と同じように糸を紡ぐことができました。今後は、田布施農工高校の生徒さんやコットンクラブで利用させてもらおうと思います。
正常に糸紡ぎできることを確認 調整した足踏み糸紡ぎ機
去年栽培したヘナ、とにかく寒さに弱いです。日本の冬は温室内でしか越冬できません。秋に鉢に植え替えたヘナですが、一鉢は寒さで枯れてしまいました。寒い日本では花が咲かないようで、当然ながら種もできません。仕方がないため挿し木で増やしています。また、アブラムシやカメムシなどの害虫が付きやすいです。今だに育て方がよく分からないヘナです。
今年越冬したヘナを外の畑に植え替え
ヘナは主に髪を染めるために使われています。また、肌も染めることができます。当然ながら動物性繊維も染めることができます。ただし、ヘナをどのように加工して染料にするか分かりません。去年、試しに葉を乾燥させて粉にして、その粉を水に溶かして肌や布に付けました。すると、肌も布(羊毛と絹だけ)も茶色に染まりました。染まるのですが、濃く染める方法が分かりません。今年は、羊毛を紡いだ毛糸一巻をヘナで染めてみたいと思います。
越冬した鉢植えのヘナ 鉢からヘナを抜く
リジット織機を使った織りに四苦八苦しています。一番困っているのは、経糸を単糸にしたことで切れることです。リジット織機は綜絖が一つでしかも筬も兼ねています。そのため、経糸が張りやすいのはメリットです。しかし。リジット織機の綜絖の特性上、横糸を一本通すごとに綜絖を前後上下に動かします。経糸をそれだけ何度も擦るように通すのです。経糸が単糸だと、だんだん撚りがほどけて最後には切れてしまうのです。双糸にすれば良かったのですが後の祭りでした。次々と切れる経糸を結び直したり、継ぎ足したり、糊で固めたりと散々です。今回の目的である模様の試行どころではなくなりました。
経糸を何度も修復しながら織りを続ける
異変に気が付いたのは、織りを続けているとだんだん経糸が細くなってくることでした。そこで、手前とは反対側の綜絖を見ると、経糸が絡まって溜まっているではありません。つまり、単糸の撚りがほどけて、綜絖を通過しにくくなったのです。そのうち、経糸が通過できなくなって伸びて切れるではありませんか。困ってしまいました。Kさんに問い合わせると、経糸を継ぎ足して結ぶか、経糸がほどけないように糊を塗ったらどうかとアドバイスいただきました。そこで、切れた経糸は継ぎ足しました。切れそうな経糸には糊を塗布しました。とにかく、経糸が次々に切れそうなため、糊を水に溶かしてスプレーで経糸全体に吹き付けてしばらく乾かしました。
撚りがほどけて溜まる 切れてしまった経糸 障子糊を水に溶く
乾いたことを確認して織りを続けました。すると、以前のように撚りがほどけなくなり経糸が安定しました。綜絖を激しく動かすと、また撚りがほどけるかも知れません。ゆっくりと綜絖を動かして横糸を通すように心がけました。経糸の撚りのほどけ防止に糊を使うなんて、意外な解決方法でした。その後、のんびりと織りを続けています。今回は斜め筋模様の試行です。三角やひし形の模様を付けてみようと思います。
色と色が斜めになるよう織る 左画像の拡大部分
今年もインド藍の種を蒔きました。インド藍は日本の気候に合わないのか、種ができにくいようです。一昨年はなんとか種ができましたが、去年はダメでした。鞘はできるのに種が未熟のまま秋になりそのまま枯れてしまいました。たまたま去年、私が差し上げた種を蒔いた方の畑では無事種ができました。その種をいただきました。出戻りの種です。私が思うには、一日中太陽光が当たってしかも暑い畑が良いようです。熱帯に近い気候が良いのでしょう。今年は、太陽光がよく当たる畑に種まきしました。
太陽光がよく当たる畝にインド藍の種をまく
鞘はよくできるのですが、種がちゃんと熟しているかどうか判定する方法があります。茶色になった鞘を手で持って軽く振るのです。熟していると種が鞘に当たるようで、カサカサする音が出ます。カサカサする鞘を選んで棒で強く押し付けます。すると鞘が割れて種が出てきます。その種を集めて畑に蒔きます。試してはいませんが、鞘のまま種まきしても発芽するのではないかと思います。
種が未熟な鞘ばかり 完熟した鞘 完熟鞘を棒で押し付け
ところで、インド藍の種を蒔くのはもちろん藍染めするためです。インド藍は日本のタデ藍と違ってマメ科です。藍の成分が違うのでしょうか、インド藍を使って藍染めする方法かよく分かりません。去年、郷土館で藍染め体験をしました。その時、インド藍の葉を使った叩き初めはよく染まりました。しかし、布全体を染める方法が分かりません。還元剤などの使い方がタデ藍と違うようです。この夏、私なりにいろいろな方法を試してみようと思っています。
小粒なインド藍の種 種まき前にレーキで畝を整地
一昨年のこと、放課後学習で子供達に紙漉き体験をしてもらおうと思いました。そのため、楮の苗を一本購入して畑に植えました。ところが、コロナ惨禍で放課後学習が少なくなりました。そして、私も紙漉き体験をすっかり忘れていました。その後、楮の苗は大きく成長して私の背を追い越すほどに成長しました。遠くから見ると、その楮の枝のところどころに野イチゴに似た橙色の実があるではありません。調べてみると、実を食べることができるとのこと。楮の樹に食べられる実がなることを初めて知りました。
少しトゲトゲがあるものの、微かに甘い楮の実
枝のあちこちに実る楮の実を手で摘まんで収穫しました。そして、食べてみました。アロエを噛んでいるような弾力性と、わずかな甘みがありました。先日収穫したユスラウメの実は酸っぱさがありましたが、楮の実には酸っぱさはありません。
野イチゴに似た楮の実 枝のあちこちに実る
この実の欠点は、実の表面のトゲトゲが舌ざわりを邪魔をすることでしょうか。グミの実は積極的に食べたい気を起こしますが、楮の実はそれがありません。さて、実がなるほどに成長した楮の樹、この冬にハガキ大の紙を漉いてみようか考えています。
ほとんどの枝に実が
高塔山北麓にある山道の十字路を南に登りました。しばらく急登が続きます。真夏ならば、汗が出て息が苦しくなるような上り坂です。今から50年位前は木が茂っていなかったため、後ろの景色を振り返りながら登ることができました。今は木が茂りしかも落葉が厚く積もっています。滑らないように気を付ける必要があります。特に雨後の濡れた落葉は容易に滑ります。しばらく登ると鉄塔が見えてきます。スマホか何かの電波塔ではないかと思います。その鉄塔の下に着くと、南側は崖のような斜面になっています。鉄塔下で、一息入れながら景色を堪能しました。今の高塔山は、ここしか展望がありません。
1:独歩が仮寓した吉見家
2:吉見家裏の吉見山
3:水場を望む惣田山招魂社
4:独歩が愛した高塔山
5:石城山を望む三角点尾根
高塔山に建つ鉄塔からの景色、平生湾が眼下に
一緒に登った皆さんが次々に鉄塔下に到着すると、景色を眺めつつしばらく休憩しました。ちなみに、眼下の丘の向こう側に「非凡なる凡人」の桂家跡があります。数年前にこの鉄塔から南側直下に下山しましたが、今回は高塔山の尾根を東に縦走することにしました。しかし、膝上まで茂ったシダなどの下草が邪魔をします。その下草を大股で踏みつけるように尾根を歩きました。数十m進むと、地面に三角点が見えてきました。高塔山西の頂上です。三角点は通常、見晴らしが良い頂上に設けてあります。しかし、この三角点からは展望が望めません。
次々に鉄塔下に到着 頂上近くの鉄塔 膝上まで茂る下草を踏破
高塔山には西の頂上と東の頂上があります。言わばラクダの背中のように二つの頂上があり、その間はわずかに低くなっています。東の頂上に向かって尾根を縦走しました。私が子供の頃は、この尾根ははげ山でした。わずかに松の低木が生えていました。60年ぶりに歩いてみて、松が一本もないこと、直径10cm位の広葉樹ばかりになっていることに気が付きました。この広葉樹を見て、光市の峨眉山照葉樹天然林を思い出しました。人が全く手を入れない山は、照葉樹林帯の自然に戻っていくようです。
下草が茂る尾根を進む 高塔山尾根の西にある三角点
藪漕ぎしながら高塔山の尾根を歩きました。広がった枝やたくさんの倒木が歩くのを邪魔しました。今回歩いたルートは、独歩が歩いていた頃の道とそう変わりがないはずです。昭和30位頃まで、高塔山ははげ山でした。幼稚園児が遠足で歩いていたのを覚えています。それほどに歩きやすく展望が良い山でした。
昭和30年初期、北側(吉見家側)から見た高塔山、当時ははげ山
下画像の高塔山周辺の赤線は当時の山道です。幼稚園児が歩くことができるほど普通に歩くことができました。昭和50年頃に、工場を誘致するためにずいぶんと山が削られ道が無くなりました。頭の端っこに残った当時の山や道を思い出すことが今や困難です。
高塔山周辺の山道はそれぞれ、
A:麻郷神社から高塔山へ向かう道、
B:今は崩されて無い山への道、
C:吉見山から高塔山へ向かう道、
D:子守山と三味線山を通って高塔山へ向かう道、
E:田んぼを通って高塔山へ向かう道、
F:高塔山を横に巻く道、
G:高塔山から峠に抜ける道、当時の峠は寂しく山深い
H:吉見家近くから高塔山へ向かう丘、
I:旧八海橋から峠に向かう道、
J:峠から吉見家に向かう道
K:旧人島橋を渡って平生に向かう道。高塔山の峠(山深いため)を歩かない場合。
実踏調査した国木田独歩関連ルート
雨を数日後に控えて、育った藍の苗を植え付けたり、ハト麦や緑綿などの種を蒔きました。ここ数日間の晴天で、強い風で土埃が舞ってもいいほど畑はカラカラに乾いていました。最初、その乾いた畑に藍の苗を二列次々に植え付けました。やってきた子供達のうち、小学1年生にはジョロで水をまいてもらいました。しかし、何のために水をまくのかまだ分からないようでした。そのため、バラバラに水を撒き散らしてしまいました。その点、小学3年生のお兄ちゃんは分かっているようでした。植えた藍の根元を狙って水を筋状にまいてくれました。藍の苗を植え付け終わると、日陰になるように黒い寒冷紗を掛けておきました。一週間ほどして根が活着すれば、黒い寒冷紗を取り除きます。
手分けして藍の苗を二列に植え付け中
藍の苗は多めに持ってきたはずでしたが、植える間隔を狭くしたため苗が途中で足りなくなりました。新しい苗を持ってこようとすると、小学1年生の弟さんが猫車(1輪車)を押す私に付いてきました。300m位歩いて私の家の前の畑に着きました。すぐに藍の苗を掘り起こして猫車に載せました。すると、猫車を自分で押してみたいとのこと。やらせてみました。すると、畑まで300m位押してくれました。初体験の猫車だったと思います。
次々に苗を植え付け 子供達の手伝い 水やりは子供達にお任せ
藍の苗の植え付けが終わると、次に種まきをしました。ハト麦、ほうきモロコシ、緑綿、そしてハブ茶です。これまた、カラカラの畑に種をまきました。数日後の雨で発芽することでしょう。発芽後は、いつものことながら除草作業が待っています。これから、夏に向かってどんどん熱くなります。熱中症にならないようにこの夏を乗り切りたいと思います。
猫車を押す小学1年生 カラカラの畑に種まき
毎年の事ですが、グミが終わるころにユスラウメの実を収穫します。グミはとても甘く実が大きいため、一粒ずつ味わいながら食べます。そして、種を一つ吐き出します。しかし、ユスラウメは実が小さいため何粒かまとめて食べます。そして、スイカのように種を吐き出します。ユスラウメは、わずかな甘みにお青臭さが混在しているため決して美味しいとは言えません。6月上旬に収穫するため、ユスラウメを口に含むと初夏が来たことを感じます。
お青臭さと甘みが混在するユスラウメの実
例年ユスラウメは樹木全体が赤くなるほど実がなるのですが、今年は枝にまばらに実っています。そもそも葉が茂っていません。何か病気になったのか、幹にカミキリムシのような害虫が入ったからでしょうか。あるいは、剪定しすぎてしまったからでしょうか。不思議です。
宝石のような丸く赤い実 まばらに実る赤い実
今年、我家の畑に極小1坪ほどの田んぼを作りました。作った理由は、わら細工用の稲わらを作るためです。先日田布施町伝統のわら細工民具「ほぼろ(稲わら製の籠)」を試作したのですが、すべていただいた稲わらで作りました。せめてわら細工を試作できる程度の稲わらを自給したいです。10年ほど前まで東京で田んぼ体験用に稲作をしていましたので、田植えや稲刈りなどはお手の物です。今回、ずぶずぶと極小田んぼに入って田植えしました。3行 x 8列 =24株です。植えた苗は先日苗箱に種まきしたものです。品種はコシヒカリです。背が高いためわら細工に使えます。この秋、わら細工に使える稲わらを収穫できるでしょうか。
ずぶずぶと極小田んぼに入って田植え
ところで、4月に極小田んぼを作ってから1ヶ月位しか経っていないにも関わらず、いろんな小動物が住み着くようになりました。一番最初に住み着いたのはアメンボでした。その後、ミズスマシが来てくるくる回るようになり、カエルも跳び込むようになりました。何と今ではオタマジャクシが泳いでいます。どうやってカエルはこの田んぼを見つけて、卵を産んでのでしょうか。
大きくなった稲の苗 稲の苗を左手に 右手で苗を移植
田んぼと違って水が流れていません。そのため、肥料をどう与えればよいか分かりません。落葉を入れるか、麦やわらなどを裁断して水に放り込もうと思います。水の中で分解して肥料になるのではないでしょうか。それでも稲の生育が遅ければ、堆肥か化成肥料を少し入れてみようと思います。このような極小田んぼは一種の水槽です。いろいろ工夫しながら稲を育ててみようと思います。
田植え後の稲、ちゃんと生育してくれるでしょうか