すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

もっと悩ませもっと逡巡させ

2006年09月24日 | 雑記帳
 ある会で、指導的な役割についている方がこんなことを話した。

「今の子供たちは、自分で選んだり決めたりする力が足りない」

 なるほどと思いがちな言葉だが、考えるとかなり雑な表現であり、間違った方向にいきそうに思う。

 まず、これは「昔の子ども」と比較しているのだろうか。
 仮にそうだとしたら、それは見当ちがいだろう。
 昔の子どもには、選択する場が圧倒的に少なかったし、選択しなくても決められていた道を歩めばよかった。
 もちろん、それに反旗を翻した勇敢な子どもたちはいるにはいたが、数多くはない。
 「選ぶ力・決める力」の平均値?が高かったとは到底言い切れまい。

 次に、何を根拠とした「選ぶ・決める」なのか。自分の意思を伝える術は持っている子が多いし、何かで悩み苦しむという姿が日常的であるとは言いがたい。

 今の子たちに選ぶ力、決める力が足りないように見えるとすれば、以前と比べてそういう場面が圧倒的に増えていて、子どもたちの現状がそれに追いついていかないというだけではないのか。

 将来そうした選択の場に立たされることが多いという予測のもとに、いや過剰な消費社会という現実のもとに生きている子どもたちには、選ぶ、決める機会が圧倒的に多い。
 そしてその選択、決定が正しかったかどうかは、なかなか見えない。表面的には正解のようにみえても、どこで足元をすくわれるか不透明な時代において、不安な気持ちを抱えながら、選択・決定を繰り返している姿が見えるだけである。

 そして、それは子どもだけでなく、私たち大人の姿でもある。

 真の意味での「選ぶ力・決める力」(それは何だ!幸せに結びつくということだ)を養うためには、自分で選んだり決めたりする機会を増やすことよりも、「考える力」「耐える力」を鍛え、もっと悩ませもっと逡巡させてもいいのではないか、などと時代遅れのようなことを考えている。