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「不愉快競争」に参加している子どもたちよ

2006年09月18日 | 雑記帳
 非行や問題行動は、自分を誰かに認めてほしいことの表現の一つである
といった考えは繰り返し聞いてきたし、なるほどとも思ってきた。
 そう考えると次の言葉も納得ができるのだが、同時に「何故」という疑問も浮かび上がってくる。

 子どもたちが必死になって「うぜえ」とか「むかつく」とか口走るのは
昔の子どもが庭掃除したり、打ち水したりして親から認められようとしたのと
人類学的には同一の目標をめざしたふるまいだろうと思います。


 『児童心理』誌5月号の内田樹氏へのインタビューである。

 内田氏は、その理由をこう語る。

 今や、家庭内で家族のメンバーから社会的承認を受ける
もっとも効率的な方法というのは「不愉快であることを示す」ことなんです。
・・・(略)・・・・
そういう家庭で育った子どもは物心がついてくると
まずその「不愉快競争」に参加するようになる


 「不快に耐える」ことが、家庭内で流通している貨幣となっているという。
それは、家事労働の劇的変化による妻と夫との関係の変化に発端しているという分析である。
 不愉快な顔をしてもどる父、不快に耐えた顔で迎える母…
その中で育つ子どもは、不快な言動こそが表現の手段とるのは当然のことかもしれない。

 ずんとした重く暗いものが残ってしまう文章だった。
 そんな子どもたちが増えている、という認識を、
どう仕事に反映させるかというときに、救いになる言葉は簡単には出てきはしない。

 ただ、そんな心を解きほぐし、暗いものに支配されないような働きかけが
私たちの仕事の一部であることは確かだと思う。