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いちばん進んだ人をつくる学校

2006年09月03日 | 雑記帳
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学校というところはいちばん遅れてしまったなあ、いちばん進んだ人をつくるためにあるはずの学校がいちばん遅れてしまったなあ、とつくづく思います。
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 『新編 教えるということ』(大村はま著 ちくま学芸文庫)の一節である。

 これは、1970年の富山県小学校新規採用者研修での講演記録とある。
 学校での指導に進歩がなく「教える場」でなく「検査場」と化しているのではないかという危惧を語っている場面である。

 三十数年前と今の状況の違いはあるにしろ、かみ締めてみるに値する言葉だと感じた。
 社会と学校の関係、教員の意識、設備や管理等々、深く掘り下げてみれば様々な視点から検討できるような気もする。
 しかし、一番肝心なことは、次のことであるはずだ。

 いちばん進んだ人をつくる


 「いちばん進んだ人」は、未来に生きるという形式的なとらえではなく、どのように生きるかという意味を含んだものでなければならない。
 私たちを支えている「法」や「規則」などを踏まえることはもちろん必要だろう。
 しかしもっと肝心なのは、「進んだ人」のイメージをしっかり持っているかどうえかである。
 
 国際化や情報化が押し寄せ、少子化、高齢化や地域コミュニティの問題があり、環境問題があり…
 はっきりと見えているのは「不透明である」という笑えない現実である。
 
 そう考えてくると「進んだ人」のイメージとは、案外シンプルなものでしかない気がしてくる。
 その点に関しての合意ができているか、形だけでなくある程度の筋道ができあがっているか…
 かなり、疑問が残る。
 
 「世の中の進んだもの」が邪魔しているんじゃないか。