すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

宝玉に出逢いたいという気持ち

2009年09月11日 | 読書
 上手いものである。

 『読売新聞「編集手帳」第十五集』(竹内政明著 中公新書ラクレ)を読んだ。

 新聞コラムの集約版というのがどれほど出版されているのか知らないが、初めて手にとってみた。昨年の下半期分なので出来事もまだ身近に感じられて読みやすかった。
 制限された字数で、多くはその日の記事になっているはずの事柄について、少し斜に構えた視点?で綴っていく…その作業を週5日で続けていく、これはもうプロの仕事だなあと思える。

 古典にも短詩形文学にも造詣が深いことが「料理する」ための条件だなと考えていて、半分読み終わった頃に著者の年齢が同年代と知ると、何だか妬ましく思えてきたほどだ。
 2001年からというからもう10年書き続けているわけで、字数感覚はもう染みついているのだろうし、いくつかある切り口(展開のさせ方)の選択で、自然に筆が動いていくのだろうか。

 本文の前に「コラムに言葉あり」と題され30ほどの引用した言葉が記されていることが、名コラムの大きな下地になっている証明でもあろう。
 ああこの人も言葉が好きなんだなあ、言葉を感じることが好きだし、言葉で揺らされ、揺さぶられることが好きだし、そして自分もまた言葉によって揺さぶってみたいという気持ちを強く持っている人なのだと思う。

 私の中にもそういう小さい熾きのようなものがあり、この本によって少し風をおくられて赤みを増したような気もする。

 「新語・流行語大賞」発表翌日のコラムは、「言葉の宝玉」と(後で)題した著者の手帳にある心揺さぶられた言葉の公開であった。
 例えば、車イスの金メダリストの言葉だ。

 (金メダルは)、今までの人生で5番目にうれしい。子どもが4人いるので…。
 
 そういう宝玉と出逢いたいと思う気持ちだけは負けてはいない。読むぞ、観るぞ、という気にさせられる。